日誌

田上教育長日誌

捲土重来に期待

  7月8日(土)の下野新聞に、中村南小リレーチームの県大会3位の記事が掲載されました。全校生僅か57人の小規模校の見事な活躍を知り、大変嬉しく思っております。
 さて、今日から夏休みになりました。中学校の部活動では、いよいよ3年生にとっては最後の大会となる総合体育大会が始まりました。春季大会では、真岡中卓球部の県大会優勝や中村中野球部の3位など、たくさんの部が県大会出場を果たし、大変活躍しました。
 その一方で、残念ながらあと一歩というところで敗れ、県大会を逸した部もあれば、県大会には出場したが、目標達成までは至らなかった部など、何らかの課題を残し、生徒だけでなく指導の先生も悔しい思いをしたという部もあったのではないでしょうか。
 春季大会では十分に力を発揮できず、目標を達成できなかった部の捲土重来を期待しております。これまでの練習の成果を存分に発揮して、思い出に残る中学校最後の大会にしていただきたいと思います。各部の健闘を大いに期待しています。

暑さ対策 熱中症対策 大丈夫ですか

 昨年のことですが、某中学校のバスケットボール部の生徒が部活動の練習中に倒れ、熱中症が原因で亡くなるという事故が発生しています。この事故は夏休みの8月16日の朝、まだ気温もこれから上昇するというときに起きています。
 このときの練習は午前8時半からのランニングで開始されました。通常なら30分走るときには15分で給水することになっていたそうですが、この日は正顧問が不在で副顧問が指導、給水なしで走らせたとのことです。しかも、生徒が通常より5分早く終わらせたのを、教師は「ごまかした」と判断、さらに5分長く走らせたため、実際は35分間無給水でランニングをしたことになります。事故はその直後に起きています。
 この事故については、第三者による調査委員会が設置され詳しく調べられました。その結果、「水分を取らせなかったこと」と「通常は30分のところ5分長く走らせたこと」が不適切な指導と指摘されました。これ以上詳しいことは報道からの情報では分かりませんが、こういった事故にはいくつかの原因が考えられます。 
 その一つに、時間帯での危機意識のなさがあったのではないでしょうか。事故が起きた午前8時半から9時といえば、まだ気温が上がりきっていない時間帯です。日中の炎天下なら誰でも熱中症を警戒しますが、この時間帯ではその意識はなかったと思われます。そうでなければ、無給水で30分(教師はそう思っていた)も走らせることはなかったでしょう。
 それにもう一つ、熱中症はそのときの体調にも左右されるということを認識していたでしょうか。例えば、夏バテで朝食を食べられなかったり、夏休みの不規則な生活のため体調を崩したりしても熱中症になるリスクは高まります。事故が起きた8月16日といえば、まだお盆も終わってなく、盆踊りなどの行事や親戚等との交流もあり、夜遅くまで起きていて寝不足などということも考えられます。ですから、部活動の開始前には、健康観察により一人一人の体調を把握することも必要なのです。
  さて、あと1週間で夏休みです。日本の夏は近年暑さが増しています。暑さ対策、熱中症対策は大丈夫でしょうか。上述のように、時間帯にかかわらず熱中症の危険性がありますので注意が必要です。また、夏休みの子供たちの生活は不規則になりがちですので、部活動等での健康観察は不可欠です。
 気象と健康が専門の村山貢司氏によると、「夏バテしない規則正しい生活が大事で、それだけでも熱中症はかなり防げる」と言います。また、「ただの水では体液が薄まって2次脱水が起こるため、ナトリウム等の電解質が入ったスポーツドリンクのようなものがよい」とも言っています。これから夏本番に向けて各学級等での指導をお願います。
 

いい教育してますね

 先日、とてもよい光景を見ました。それは、私がよく行っている公園でのことです。
 幼稚園の年長さんくらいの女の子が自転車に乗って遊んでいました。すると、突然、乗っていた自転車から飛び降りて、「〇〇くーん」と叫んで、一目散に走り出したのです。女の子が向かった先には、幼い男の子が自転車で転んだのでしょうか、泣いていました。女の子から男の子までの距離は約30mくらいあったと思います。女の子は脇目も振らず一心不乱に走って行って、その子を助けてあげました。たぶん、男の子は女の子の弟なのでしょう。しばらくすると、お母さんも近くにいたようで、二人のところへやって来ました。男の子は、お姉さんとお母さんの二人に助けられ、べそをかきながらも自分で自転車を起こしました。
 なんと、弟思いのお姉さんなのでしょう。私は、思わずそのお母さんに、「よい教育をしてますね」と言ってしまいました。そのお母さんは、30歳くらいの年齢ですが、とてもしっかりしたお母さんでした。このような姉弟でしたら、思いやりの心が育まれ、陰湿ないじめなどしない子供に育つのだろうと、つくづく思いました。
 どうしたら、この女の子のように思いやりのある子供に育つのでしょうか。どうしても、就学前の兄弟姉妹の場合には、親として下の子のほうに手をかけてしまうのが普通です。その結果、上の子が愛情不足を感じてしまうなどの、子育ての難しさも指摘されています。
 それを思いますと、少なくともこのお母さんは、普段から二人の子供に、惜しみない愛情を分け隔てなく注いでいるのだと思います。そして、女の子自身も満ち足りた愛情を感じ、安心した生活を送っているのでしょう。
 また、このお母さんは、もし子供に何かあったら、この女の子がとった行動のように、自分のことはさておき、すぐに対応しているのだと思います。女の子も、そういったお母さんの行為をいつも見ているからこそ、冒頭のようなほほ笑ましい光景があったのではないでしょうか。
  と考えますと、これは教師にも当てはまります。子供が一番嫌うのは、教師の依怙贔屓(えこひいき)です。教師はそうとは思っていない行為であっても、子供は捉え方が違うことがありますから注意が必要です。また、子供最優先は教師の鉄則であるにもかかわらず、忙しさのあまり、つい後回しになってしまうことがあります。
 改めて、これらのことは子供への影響が大きく重大なことですので、これを機会に、「教師の当たり前」として意識していただきたいと思います。
 
ii

学校経営に命を吹き込む

 6月6日(火)に芳賀郡市小中学校校長会があり、岡良一郎教育長会長の代理として挨拶をしました。
 校長先生方に少しでも参考になればと思い、私の校長経験から得たことですが、「学校経営に命を吹き込む」という内容で、次のように話しました。

 
 「校長の言葉は校経営に命を吹き込む」と言えます。それは、なぜかと言いますと、学校経営には校長の教育理念が必要です。また、経営理論も大事ですし、それに基づく経営構想や経営計画も大事です。しかし、どんなに崇高な教育理念をもっていても、また、高度な理論に基づき、素晴らしい経営構想や経営計画があったとしても、それらを通して見える学校の現状を的確に捉え、適宜・適切に発信する「言葉」が校長になかったら、学校は安定しません。血液が心臓から体内のあらゆる器官に行き渡るように、校長の言葉が、職員に、学校組織に、そして子どもたちに伝わってはじめて、学校経営が円滑に機能すると言えるのです。このように考えると、無味乾燥な学校経営に命を吹き込むのは、やはり「校長の言葉」と言えるのではないでしょうか。
  言葉には力があります。学校経営に命を吹き込むような大いなる力があるのです。ですから、言葉は学校経営の戦略として使えます。と言っても、言葉巧みに相手を洗脳するとか、カリスマ的に相手を操るとかのために使うのではないことは言うまでもありません。あくまでも、校長が学校組織を動かし、円滑に学校経営を進めるために使うのです。そのためには、職員への発信が最も大事になります。
  よく「校長は講話で勝負する」と言いますが、これは主に児童生徒や保護者向けの講話です。もちろんそれも重要ですが、それ以上に神経を注がなければならないのは、実は職員への話なのです。なぜなら、その校長の言葉によって学校組織が動き、あらゆる教育活動が展開されるからです。一人一人の職員が校長の考えに納得し、共感・共鳴して、一丸となって学校運営に当たれるかどうかは、校長の言葉次第ということです。
 ですから、学校経営の戦略として言葉を使う必要があるのです。そのためには、普段使っている言葉は別として、思いつきや行き当たりばったりで言葉を使うことは避けなければなりません。そこで、次の3つのことが大切になります。
 (1) 言葉を使える確かな言葉として整え、ストックしておくこと。
 (2) いつ、何をどのような言葉で発信するか、意図的・計画的であること。
 (3) 必要に応じて、同じ言葉を何度でも繰り返し使うこと。
  言葉は見えませんし形もありませんが、使い方次第で、学校経営の大きな武器になるということも忘れてならないことです。

笑顔で始め、笑顔で終わる

 新学期が始まり3週間が経ちました。学級経営や日々の授業は順調でしょうか。そこで今回は、先生方へのメッセージとして書きましたので、是非実行していただきたいと思います。

 子供は教師をよく見ています。なかでも、教師の表情は常に見られていますので、子供に大きな影響を及ぼします。といいますのは、教師の表情によってそのクラスの雰囲気が変わりますし、それだけではなく、クラスの子供自身が変わってしまうからです。
 私が最初に勤務した中学校の先輩教師のことです。その教師は、子供に厳しく、どちらかといえば力で牛耳るタイプの教師でした。毎年のように問題行動のある子供を担任していましたが、それでも無難な学級経営をしていました。
 しかし、ある年のクラスはそうはいきませんでした。やはり、問題行動のある子供がクラスにいましたので、彼は、毎日のように、険しい表情で朝や帰りの会を行っていました。それだけでなく、授業でも厳しく、笑顔などほとんど見せませんでした。教室に入るときから、怒鳴り散らしていることも希(まれ)ではありませんでした。
 ついに彼のクラスは、今でいう学級崩壊の状態となってしまいました。だからといって、そのクラスには問題行動のある子供がたくさんいたわけではありません。ほんの数名だったのですが、恐ろしいことに、他の子供も教師に反発するようになってしまったのです。
   教師の表情で子供が変わります。やはり、笑顔でにこやかな表情が、子供によい影響を与えることは間違いありません。
 特に、授業は笑顔で始めたいものです。私は、いつも授業に臨むときには、自分の気持ちをハイにして子供の前に立つように心がけていました。とはいっても、授業中はそうはいかないこともあります。もちろん、大切なところは真剣な表情で教えなければなりませんし、注意を促すときには表情も厳しくなってしまいます。教師は、ときには役者になることも必要なことです。
 笑顔や厳しさなどの表情の豊かさは、まさしく教師の専門性といえます。ですが、授業においては、笑顔で始め、笑顔で終わることを心がけるだけでも、子供の授業への取り組みは変わってくると断言できます。


 

学力が人の流れをつくる

 4月5日(水)に真岡市小中学校校長会総会があり、教育長の挨拶の中で、次のことをお話ししました。

 平成29年度がスタートしました。4月10日(月)・11日(火)には小・中学校の入学式が行われます。次の週の4月18日(火)には全国学力・学習状況調査ととちぎっ子学習状況調査、そして本市独自の学力調査も行われます。その準備はいかがでしょうか。チャレンジシート等の活用はされたでしょうか。
  もはや、学力向上は学校だけの問題では済まされないのです。
 去る3月17日(金)に行われた県議会予算特別委員会総括質疑の中で、学力問題が取り上げられました。新聞によると、学力向上は人口減少対策に直結する重要課題だとして、低迷している本県の小学生の学力について、原因の分析と適切な対応、そして危機感をもって学力向上に取り組むよう強く要望されたということです。
  特筆すべきは、「学力向上が人口減少対策に直結する」という点です。
  ご承知のとおり、日本の人口は平成20年から減少時代に入っています。特に地方においては、少子化だけでなく都市部への人口流出も相まって、著しく減少しているところもあります。人口の減少は、労働生産の減少や消費市場の縮小を引き起こし、地域経済やサービスに大きな影響を及ぼします。そのため各自治体では、少子化問題や人口流出問題は喫緊に取り組まなければならない重要課題とし、当該自治体へ人の流れができるよう「選ばれるまち」づくりに躍起になっています。
 その方策の一つが教育です。つまり、教育の質を上げることによって人の新たな流れができるということです。なぜなら、教育は若い子育て世代にとっては関心が高く、よい教育が受けられるところに人は集まって来ると予想されるからです。中でも学力については注目度が大きく、「学力が人の流れをつくる」と言っても過言ではありません。水は高いところから低いところに流れますが、「人は学力の低いところから高いところに流れる」と言えます。
 したがって、学力向上は、学校だけの閉じた世界で論じられる問題ではなく、今や県をはじめ各市町村の行政が人口減少対策として講じなければならない重要な問題となっているのです。校長先生にはこういった社会情勢も踏まえたうえで、学力向上に積極的に取り組んでいただきたいと思います。

ご卒業おめでとうございます。

 小学6年生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。山前小また、保護者の皆様、お子様の大きく成長された姿に喜びもひとしおかと存じます。本当におめでとうございます。
 さて、小学校課程を終了したみなさんは、4月から中学生となります。中学生の時期は思春期前期に当たり、心も体も人生の中で最も成長する時期です。また、感受性も強くなり多感な時期でもあります。ですから、中学校での学びや体験はそのときだけに留まらず、将来に大きな影響を与えることになります。しかし、中学校は小学校と違って3年間しかありませんから、これまで以上に一日一日の生活が大切になります。
 そこで大事なことは、先ずは勉学に励んでほしいということです。中学校での学習は、小学校とだいぶ違います。「算数」が中学校では「数学」となります。名前が変わっただけではなく、内容もより考える力が求められるようになります。英語の授業も本格的に始まります。また、授業も教科ごとに先生が違う教科担任制になります。さらに、小学校ではなかった中間・期末テストがあります。そのため、予習や復習などの家庭学習も計画的にやることが大切になります。中学校3年間は、皆さんが自ら進んで勉強する良い時期でありますし、意欲的に学んでほしいと願っています。
  次に、何かに本気で打ち込み友情を育んでほしいと思います。中学校では、体育祭や文化祭など様々な行事があります。また、生徒会活動や部活動も活気があります。特に部活動では、県大会をはじめ、関東大会や全国大会ですばらしい活躍をしています。このような活躍は、皆さんの先輩たちが、毎日努力を積み重ね、本気で取り組んできた成果なのです。仲間と本気で取り組めば、そこに確かな友情が生まれます。共に何かを成し遂げる体験やそこで生まれてくる友情は一生の宝物です。豊かな体験を通して友情を育み、一生の友とできる人を探してほしいと願っています。
 みなさんの中学校での活躍をご祈念申し上げます。

ご卒業おめでとうございます。

  卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。真岡東中また、この日を長く待ち望んでおらました保護者の皆様には、心よりお慶び申し上げます。
  さて、義務教育を終了したみなさんは、今日より新しい門出を迎えます。進む道もそれぞれ異なりますし、将来就く職業も違います。自分の人生設計に基づいて、自分の意思で歩んで行くことになります。
  そこで、大切にしてほしいことは、「感謝の気持ちを忘れない」ということです。
  思い起こしてください。ちょうど6年前の3月11日午後2時46分、未曾有の被害をもたらした東日本大震災が起こりました。ここ真岡市でも震度6弱の激しい揺れに見舞われ、甚大な被害が生じました。水は出ない、電気は付かない、スーパーでの買い物もできない、ガソリンスタンドには長蛇の列、一瞬にして「日常」が奪われてしまいました。学校でも、電気や水、トイレ、チャイム、給食、授業、そして部活動等々、当たり前のことが当たり前でない状態になってしまいました。
  その後、少しずつ復旧していきましたが、その都度、誰もが当たり前の生活ができることに感謝したことと思います。東日本大震災という過去に経験したことのない大災害を乗り越えてきた皆さんだからこそ、より以上に「感謝の気持ち」の大切さを深く心に刻み、これからも忘れないでほしいと思います。
  私たちは誰でも、一人では生きていくことができません。皆さんがこうして卒業の日を迎えられたのも、決して皆さん一人だけの力ではありません。これからの人生、皆さんが生きていくためには多くの人の力を必要とします。そうした方々への感謝の気持ちが大切で、その気持ちが何よりも自分自身の人生を豊かにしてくれます。感謝の気持ちを忘れずに大切にしてほしいと思っています。
  みなさんの輝かし未来を祝福いたします。

指導主事を活用していただきたい

 本年度最後となる3月2日(木)の校長会で、次のことを校長先生方にお願いしました。
 
 ご承知のとおり、芳賀地区広域行政事務組合教育委員会(以下「芳広教委」という)は一昨年3月末をもって解散いたしました。これまで1市4町の教育事務の共同処理として、芳広教委が行っていた教員研修や学習指導・教育課程に関する指導等を各市町教委が行うことになりました。そのため真岡市教委においては、指導係を新設し指導主事6名を配置するなど、組織を改編し体制を整えたことは周知のとおりです。
 しかしながら、芳広教委を解散するとなると、教員研修をはじめ合同訪問や教科書採択等の事務を滞りなく市町教委へ移管しなければなりません。これは相当の事務量で容易ではありません。そこで、芳賀地区教育研究協議会を1年間の限定で創設し、解散後もこれまでと同様に事務処理を行い円滑に移管できるようしました。業務は広域行政センターで市町教委の指導主事が行い、真岡市教委は3名を派遣していました。そのため、指導係に6名の指導主事が配置されたとはいえ、実際は3名で指導係の業務を行っていました。
 その芳賀地区教育研究協議会もこの3月末をもって解散することになります。4月からは指導係に6名の指導主事が揃います。いよいよ真岡市教育委員会学校教育課の指導係が、本格的に業務を遂行するときが来たと言ってよいでしょう。ですから、大いに指導主事を活用してほしいと思っております。
 今やどこの学校においても、学力向上やいじめ・不登校対策、若手教員の育成等々、課題があります。また、授業をはじめ、学級経営や児童・生徒指導等、学校で日常的に営まれている教師の仕事であっても、専門性と実践的指導力が要求されます。指導主事はこういった学校の課題解決の取組を援助し、教師を支援するために配置されています。
 地教行法第18条第3項には「指導主事は学校における教育課程、学習指導その他学校教育に関する専門的事項の指導に関する事務に従事する」とあります。そのため、指導主事には理論と実践に基づく高い専門性が要求されます。それだけではなく、学校教育を教育行政の最前線で支援する市教委の指導主事には、県教委や教育事務所等の指導主事と違って、積極果敢な機動性も要求されます。つまり、学校で起きた諸々の出来事に即対応し、解決を図らなければならないのです。6名の指導主事は学校の要請に応えるため、その専門性と機動性を培ってきていますので、是非とも活用していただきたいと思います。

指導がなければ向上はない!

 2月13日(月)に真岡市小中学校校長会があり、次のことを話しました。

 早いもので年が明けて既に1か月半が経ち、2月も中旬となりました。短い3学期の慌ただしい中で、ふと気付いてみれば、平成29年度の全国学力・学習状況調査及びとちぎっ子学習状況調査の実施まであと2か月になっています。どこの学校でも、昨年の調査結果を分析し、学力向上のための改善プランを作成しています。また本年度は、学力向上検討委員会を設け、学校で取り組むべき学力向上の具体的手立てを提案していただきました。それらの取組状況はいかがでしょうか。
  言うまでもありませんが、教師の指導がなければ子供の向上はありません。特に各学校の課題となっている学力については、子供一人一人の学力を把握し、必要かつ適切な指導を全校体制で行うことが必須と言えます。そのための改善プランであり、具体的手立ての提案であったわけです。もちろん、学力向上は一朝一夕には結果が出ないことは分かっています。しかし、だからといって改善プランや具体的手立てを、教師が安易な気持ちで受け止めていたのでは事態は絶対に改善しません。先ずは教師自身が、それらの学力向上の取組に本気になることです。子供にとって必要な学習指導を本気で行うことです。
  当然テストへの備えも必要です。思考力・判断力・表現力等の活用力については、課題や発問を工夫したり、論述や説明などの言語活動を取り入れたりして、授業を通して育んできています。しかしながら、授業学力とテスト学力は必ずしも同じではありませんので、授業で身に付けた力がテストに反映されるとは限りません。全国学力・学習状況調査のB問題に見るように、たとえ算数や数学の問題であっても、解答するためには相当の読解力を要します。子供たちはそういった問題をやり慣れていませんので、無防備に臨むと戸惑ってしまい対処しきれません。したがって、ある程度類似した問題に取り組ませておくことも必要です。各学校に配布してある「チャレンジシート」(芳賀教育事務所・芳広教委発行平成26年12月配布)はそのためのものですので、是非とも活用をお願いします。
  また、テストのあるなしにかかわらず、国語の漢字やローマ字、算数・数学の計算等の基本的事項は、その学年で確実に身に付けていなければ、その後の学習に支障をきたすことになります。ですから今、この時期が大切であって、まとめの3学期におけるそれらの総括した学習と、定着させるための繰り返し指導が極めて重要になります。
 改めて、教師の指導があってはじめて子供は向上するということをご指導願います。

「質」とは「品質」のこと

 昨日(1月18日)、真岡市小中学校校長会がありました。改めて、平成29年の年頭所感について話しました。そして、その中で述べた「質」について、私の考えを次のように話しました。

 平成29年の年頭所感では、今年は「質」にこだわり質的充実を目指して、「授業の質を高める」「教職員の質を高める」「教育委員会事務局の質を高める」「事業の質を高める」の4点を挙げました。
 この「質」とは「品質」のことを意味しています。手元の辞書で「質」を引くと、「その物を形成している物質の可否。良し悪しからみた品物の性質」(旺文社国語辞典)とあります。良し悪しからみた品物の性質とは品質のことであって、冒頭の4つのことにも相通じます。
 例えば、真岡特産の苺の「質を高める」というのであれば、「品質を良くする」ことですから、より甘くておいしくする、より色つやを良くする、より大きく形良くする、などが挙げられます。これらは苺を買ってくれる消費者から求められることです。つまり、「質を高める」というのは、対象となる相手があって、相手が求めていることに対して、より近付き、あるいはそれ以上のことをすることと言えます。
 このように捉えますと、「教職員の質を高める」というのであれば、対象となる相手はもちろん児童生徒です。したがって、児童生徒の求める分かる授業を追究し授業力を高めること(これは「授業の質を高める」ことでもあります)や、児童・生徒指導、学級経営等における実践的指導力を高めることとなります。これらについては、教育委員会としても研修等で積極的に教職員の資質能力の向上を図っていきたいと思っています。学校におきましても、OJTや校内研修の充実に努めていただくとともに、教職員自らの自己研修の啓発もお願いします。
 また、対象となる相手は児童生徒だけではなく、保護者や地域の方もそれに当たります。これらの方々には誠意ある対応が何よりも大切になります。言うまでもありませんが、学校での教育は、学校への信頼があってはじめて成り立ちます。ですから、学校は不誠実だと思われては困りますし、万が一教職員の軽率な言動があれば、学校の信頼は一瞬にして失われてしまいます。これはまさに教職員の質の問題と言うことができ、こういったことのないよう教職員の質を高めていくことが大切です。そのためにも再度言わせていただきますが、昨年4月当初に教職員の信条として掲げた「誠意・愛情・実力・根気」を今一度確認していただき、「教職員の質を高める」ことに努めていただきたいと思います。

新年明けましておめでとうございます

  新年明けましておめでとうございます。酉
   平成29年がスタートしました。今年の干支は酉です。「酉」という文字は、酒を醸す器の象形文字だそうで、収穫した作物から酒を抽出することや作物が収穫できる状態を表すことから「実る」という意味があるそうです。この「酉」の文字が示すように、平成29年が実り多い充実した一年となりますようご祈念申し上げます。
   本市教育におきましても、実り多い充実した教育活動が展開できるよう、今年は「質」にこだわり、質的充実を目指したいと考えております。   といいますのは、本市においては、学校教育をはじめ、生涯学習、文化芸術、スポーツ関係等々における教育資源や教育環境はほぼ整っており、他と比べても遜色ありません。それらを余すところなく活用し、一層の教育効果を上げることが本市教育の充実・発展には不可欠と考えております。質的充実とはそのためであって、今年は次の4つのことについて全力で取り組んで参りたいと思っております。
(1)  授業の質を高めます
   将来を担う子供たちに確かな学力を身に付けさせることは、学校の役目であり責任をもって行わなければなりません。そのためには授業の充実が何よりも大切であって、子供にとって分かる授業はもちろんのこと、「分かる・できる・定着する」まで責任をもって学習指導を行うことが必要です。学校ではこのようなことを踏まえ、教師一人一人の授業力の向上を目指し、定期的に授業研究会を行うなど積極的に授業研究に取り組んでおります。教育委員会としてもそれらの取組を一層支援し、教師一人一人の授業の質を高めて参ります。
(2)  教職員の質を高めます
  「あらゆる教育論は突き詰めていけば教師論に行き着く」と言われるように、教育は何といってもその直接の担い手である教師にかかっています。また、教職員の大量退職・大量採用の時代を迎え世代交代が進んでおり、ミドルリーダーの育成や若手教師の資質能力の向上が課題となっております。そのため、教育委員会としては独自の研修を立ち上げ、教職員研修の充実を図って参ります。また、各学校のOJTによる人材育成の取組への支援や、新たな2~5年目教員への支援事業を通して、教職員の質を高めて参ります。
(3)  教育委員会事務局の質を高めます
    何を隠そう私たち教育委員会事務局としても、その質を高めていかなければなりません。教育委員会事務局には、学校教育課、生涯学習課、文化課、スポーツ振興課、給食センター、自然教育センター、科学教育センターがありますが、職員誰もが本市教育行政を司るという責任と自覚、そして高い課題意識をもって業務を遂行できるよう質を高めて参ります。特に、昨年4月には学校教育課指導係が組織され、指導主事6人が配置されました。学校教育を最前線で支援する市教委の指導主事には、高い専門性と積極果敢な機動性が要求されますので、それらを踏まえた資質能力の向上を図って参ります。
(4)  事業の質を高めます
   そして何よりも各種事業の質を高めて参ります。本年も各課において様々な事業を実施しますので、それらが参加者の期待に応え満足されるよう質的充実を図って参ります。中でも、自然教育センターや科学教育センターは本市特有の教育施設であり、不断に目的・内容・方法等の見直しを図り、より教育的効果が上がるよう努めて参ります。

合い言葉は集団を引っ張る

 先週の議会一般質問の中で、大瀧和弘議員から学力向上のための合い言葉について質問がありました。
  私も、合い言葉の必要性や重要性は十分に認識しており、「合い言葉は集団を引っ張る」と考えております。ですから、校長として赴任した市貝中では「がんばろう市貝 つくろう新しい市貝中」を、山前中では「きずこう!山中の新たな歴史」をそれぞれ掲げて学校経営を行いました。これら2つが全く異なる合い言葉となっているのは、学校経営上それぞれに深く重要な意味づけがあったからです。
  若干説明しますと、先ず市貝中の合い言葉「がんばろう市貝 つくろう新しい市貝中」ですが、当時の市貝中は、東日本大震災のため甚大な被害を受け非常に厳しい状況にありました。学校だけでなく、町全体も大きな被害を受けていましたので、「がんばろう市貝」の「市貝」には、市貝中だけでなく市貝町全体への思いも込めています。これに対して後半部を「市貝中」としたのは、新しい市貝中をつくるのは市貝中の生徒以外にはいない、生徒一人一人が自分たちの手で新生市貝中をつくる、という気概をもって学校生活を送ってほしいという強い願いを込めて掲げたものです。
 次に、山前中の「きずこう!山中の新たな歴史」ですが、歴史と伝統のある山前中での生活に満足するのではなく、更に向上する新たな1歩を踏み出してほしいという願いから、次の3つの意味を込めて掲げたものです。
   一つ目は、歴史は一人では築けませんから、「きずこう」には「みんなで」が含まれています。生徒、教職員、保護者、地域が一緒になって山前中の新たな歴史を築くことを願っています。
   二つ目は、 「新たな歴史」といっても、何か特別なことを成し遂げることではありません。先ずは一日一日を大切にすることです。授業を真剣に受ける、大きな声で元気に挨拶をする、掃除をしっかりやる、部活動に一生懸命に取り組む、家庭学習を毎日行う、などの日々の積み重ねが新たな歴史を刻みます。
   三つ目は、過去を振り返ると、山前中には素晴らしい歴史があります。どの生徒も、先輩に負けないよう、一生懸命に努力してほしいことを願っています。

もおかの心で伸びゆく心 
 合い言葉は短く簡潔に表現されていますが、このように思いや願いが凝縮されて込められています。
だからこそ力があり、強いメッセージ性があるのです。
 真岡市にも「もおかの心で伸びゆく子」という合い言葉があります。
   「も」は「もう一歩努力する心」
   「お」は「おもいやりの心」
   「か」は「感じ、かんがえ、学ぼうとする心」
   というものです。これは真岡市小中学校校長会と教頭会で作成していただきました。真岡市の子供たちの実態を踏まえ、健やかな成長を願って掲げられた、価値ある合い言葉です。この合い言葉は、各学校の各教室に掲示してありますので、先生方には大いに発信し活用していただきたいと思います。
   合い言葉は集団を引っ張ります。「もおかの心」が浸透し、日々の教育活動の原動力となることを願っています。

「分かる・できる・定着する」指導を

  教師は毎日授業をしています。しかも、どのようにすれば子どもにとって分かる授業となるか、日々悩み工夫しながら授業をしています。「教師は授業で勝負する」とも言われています。では、こういったことから、教師の仕事は授業をすることなのでしょうか。
   かつて教師になりたての頃、自分の授業づくりに生かせないかと思い、NHK教育テレビの数学講座をよく見たものです。ご存じのとおり、こういった講座は、授業構成のよさや洗練された説明、ポイントを押さえた板書、適切な時間配分などから、分かり易い授業になっています。ここでの講師は、まさに授業をすることが仕事だと言えます。つまり、分かり易い授業をするために、綿密に構想を練り確実に授業を行うことが仕事であって、視聴者である相手ができてもできなくても問題にはしません。
 しかし、学校の教師はそうはいきません。どんなに子どもにとって分かり易い授業を行っても、分かっただけでは済まされないのです。教師は子どもが学習内容を、「分かる→できる→定着する」ところまで見届けなければなりません。なぜなら、教師は子どもに確かな学力を身に付けさせることが仕事だからです。もちろん、そのためには分かる授業は不可欠です。しかし、授業はあくまでも手段であって、授業を通して子どもに確かな学力を身に付けさせることが本分なのです。
  さて、過日発表された全国学力・学習状況調査では、残念ながら本県の結果は芳しくありませんでした。アンケート調査を見ると、授業が「好き」「分かる」と回答した児童は全国平均より高いにもかかわらず、正答率は低いことが分かりました。このことに対して県では、「小学校の授業では特に丁寧に教えているので、その場では分かったつもりになっているのではないか」と答えております。本市においてもその傾向は同様です。
 子どもの学力向上は、どこの学校でも取り組むべき重要課題だと思います。そして、これまで以上にその成果が問われています。そのためには、分かる授業から一歩進んで、「分かる・できる・定着する」指導を心がけていただきたいと思います。

読書の秋 心の贅沢はいかが

  読書は知識を得ることはもちろん、想像力や言語力を培う上でも有効です。それに留まらず、本に親しみ本から受ける影響というのは計り知れないものがあります。体に栄養が必要なように頭や心にも栄養が必要です。そのためにも読書は欠かすことができません。
  本市では読書活動の充実に力を入れています。今年度から専任司書を5人に増員し、市内全小学校に巡回で配置しています。また、各小中学校では朝の一斉読書を行っています。僅かの時間ですが、子供たちは自分の好きな本を用意し、しばし本の世界に浸っています。
  ところで、このとき担任の先生は何をすべきでしょうか。試験監督と同じように、子供の読書の様子を監視することでしょうか。もちろん、読書と全く違ったことをしたり、他に迷惑をかけたりするような子供がいれば、注意しなければなりません。しかし、それが常時ということはないと思います。中には、生活ノートを見たり、家庭学習帳を見たりしている教師もいます。毎日忙しいですから、こういった僅かな時間を利用して、これらのノートを見なければならないのも分かります。ですが、読書の時間は、やはり教師も読書をすべきなのです。なぜなら、子供を読書好きするには、教師自らも読書好きになって、大いに読書のよさを語らなければならないからです。そのためには、本を読むのは当たり前であって、一斉読書の時間に教師が読書をしないで、読書のよさなど語れるはずがないと思います。また、たとえ語ったとしても、子供が受け入れてくれるわけありません。
   北海道大学大学院教授の橋本努氏は、「読書は溺れてみないとその効果は分からない。読書の意味を疑う人は、人生の豊かさを逃してしまうかもしれない」と言っています。教師自らが人生の豊かさを享受する上でも、読書は重要なのです。そのためには、一斉読書の時間はもちろん、寸暇を惜しんで本を読んでみるのもいいものです。
  また、心への栄養は子供だけでなく大人も必要です。現代人の口癖は「忙しい」だそうですが、忙しいとは「心を亡くす」と書きます。教師も忙しく、余裕のない毎日を送っていますので、心を亡くしてしまっては困ります。だからこそ、心の栄養が求められますし、読書がそれを満たしてくれると思います。
  今まさに秋本番、読書の秋を迎えています。10月27日からは秋の読書週間も始まります。秋の夜長、虫の音(ね)を聞きながら好きな本を思いっきり読むという、心の贅沢はいかがでしょうか。

教師の当たり前

 本日、真岡市小中学校校長会があり、冒頭で次のようなことをお話ししました。
       
  教師には、教師としてやるべき当たり前のことがあります。
 例えば、パソコンに向かって仕事をしていて、子供が来てもパソコンから目を離さずに対応する教師がいることは、よく指摘されたことです。
 子供が来れば、子供と向き合うのは教師として当たり前のことです。他にも、教師としての当たり前はたくさんあります。
 ・学級担任ならば、朝は子供より先に教室に行き、子供を迎えるのは当たり前です。
 ・挨拶ができないと嘆く前に、子供より先に教師が挨拶をするのは当たり前です。
 ・授業はチャイムと同時に始め、チャイムと同時に終るのも当たり前です。
 ・子供がいるうちは子供を優先し、仕事は子供が帰ってから行うのも教師としては当たり前のことです。
  これらはほんの一部です。各校長先生が考える教師の当たり前もあると思います。充実の2学期となるよう、是非ともその徹底をお願いします。

「節目」での指導大丈夫ですか。


 1学期もあと僅かとなりました。学校では通知表もほぼ完成し、終業式を迎えるばかりのことと思います。ところで、学級担任の先生は、通知表を子供たちに渡した後、どのような話をして夏休みに入るのでしょうか。そして、子供たちはどう受け止めるのでしょうか。
  毎年夏休みに入ると、子供の事故が発生し、尊い命が失われています。終業式の日にはどの担任も、夏休みには交通事故や水難事故等に遭わないよう注意し、全員元気で2学期が迎えられるよう話しているはずです。なのに、子供の事故は後を絶ちません。事故の話に限らず、学習指導や生活指導等、「節目」となる終業式での担任の話は極めて重要です。
  かつて2学期制が競って導入されていた時期、子供たちが通知表をもらわずに夏休みに入ってしまう「節目」のなさに、いささかの不安を感じていた教師もいたことをご存じでしょうか。通知表は、1学期の子供の努力の足跡を教師が評価し、心を込めて書いたものです。担任はそれを子供たち一人一人に渡し、夏休み中の学習や生活等の有り様(よう)を話します。そこには、1学期の終了と夏休みを迎え、通知表を挟んだ絶好の「節目」の指導があったのです。それができない危機意識が働いていたのです。
 学期だけではなく、子供たちの生活の中には様々な「節目」があります。週や月の「節目」での指導は、平坦に流れがちな子供たちの生活にメリハリを与え、ほどよい緊張感を持たせることができます。その重要性を認識し、毎回子供たちの状況を見て、適切な指導を心がけている教師とそうでない教師では、学級経営に格段の差が出てきてしまいます。
 夏休み中にも大きな「節目」があります。中学校の運動部の生徒は、夏休みの総合体育大会が終了した時点で部活動に終止符を打ち、進路に向けた勉強に本腰を入れることになります。中学校生活を二分するこの「節目」のときに、部活動顧問からの指導は意欲を喚起し相当の効果があります。中学校の部活動顧問は、技術指導だけではなく、生徒指導はもちろんのこと、学習指導や進路指導等、部員の将来を見据えた指導まで要求されるのです。
  他にも、季節や行事の始めと終わり等々、大切な「節目」での指導があります。それらは大丈夫でしょうか。特に現在、新採や若い担任が増えています。今一度、その重要性を確認していただき、どの教師もしっかりとした「節目」での指導をお願いします。

 

信頼される教師

 6月30日(木)に、真岡市教育会と教頭会の合同研修会があり、先生方に話をする機会をいただきました。教職員の大量退職・大量採用の時代に入っている本地区においては、若い教職員を育てることが重要な課題となっています。そこで、平成22年9月発行の「芳広教委だより」巻頭言で酒井前教育長が書かれた「『信頼される教師』再考」をお借りして、4つの求められる教師像をお話ししました。信頼される教師となるための条件でもありますので、ここでそれらを紹介します。
 
 先ず第一に、授業力のある教師です。つまり、どの子どもにも「分かる授業」ができる教師ということです。子どもは誰でも、能力の差こそあれ、授業が分かり、できるようになりたいと思っています。それに応え分かる授業を行うことが、教師としての役目であり責任でもあります。ですから、教材研究を怠り授業がマンネリ化すれば、教師の信頼が落ちるのは間違いありません。
 子どもの学習意欲を喚起し、子どもが主体的に学習に取り組み、一人一人が「なるほど、分かった」と実感できる授業を常に心がける教師でありたいものです。
 第二に、子どもを理解し認めることができる教師です。子どもは誰でも、多かれ少なかれ教師に認めてもらいたいと思っています。しかし、この欲求が意外に厄介です。子どもによっては自分の気持ちを素直に表現できず、大人から見れば不自然な言動をとることがあります。
 例えば、学級で教師を遠巻きに見ていて無視しているような子どもでも、実は声をかけてもらいたいと思っているのです。 子どもの深層心理は複雑で、時として理解し難いことがあります。しかし、子どもは正直でもあります。「私を見てほしい、よさを認めてほしい」と内なるサインを発していますので、それを見逃さない敏感さが教師には必要です。子どものよさをつぶさに見取り認めてあげられるよう、子ども理解に努めてほしいと思います。
   第三に、教育への情熱がある教師です。子どもに愛情を注ぎ、童心を失わず教育愛に燃えているということです。情熱のある教師は、いくつになっても魅力的で生き生きしています。その姿が子どもを引き付けます。
 昨今、教師の多忙化が問題になっていますが、教育への情熱を持ち続け、子どもと一緒に考え、悩み、共に成長できる教師であってほしいと願っています
  第四に、人間性が豊かな教師です。子どもは教師を一人の人間としても見ています。そのため、教師の人間性が子どもの生涯に影響を及ぼすこともしばしばあります。
 教師の言動はもちろんのこと、見方や考え方、生き方までも、子どもは教師をよく見ています。だからこそ、その見方は厳しいときもあるということを忘れてはいけません。一瞬にして信頼を失うことがありますので、子どもの鋭い見方に耐え得るよう、教師の内なる資源を磨いてほしいと思います。
 

ワンフレーズとストーリー


 6月23日(木)に第3回真岡市小中学校校長会がありました。私は、いくらかでも校長先生方にお役に立てればと思い、毎月教育長室だよりを作成し、校長会の折に配布しております。今回の巻頭言では、私が校長のときに心がけていた次のことを書きましたのでご紹介します。
 
「ワンフレーズ」と「ストーリー」で勝負
 前回、「校長の言葉は学校組織を動かす」ということについて述べましたが、そこで重要になるのが「ワンフレーズ」と「ストーリー」です。
  小泉純一郎元首相は、まさにそのワンフレーズで人を引きつけ、強いリーダーシップを発揮した指導者と言えます。例えば、かつて怪我を抱えながらも気力で優勝した貴乃花関に、「痛みに耐えてよく頑張った。感動した!」と讃えた言葉は有名で、今でも多くの人に知られていると思います。また、国の施策等を表した「構造改革なくして成長なし」や 「郵政民営化が改革の本丸だ」などの簡潔明瞭な言葉は、自身の考えを国民に分かりやすく伝え、見事に国民の心を掴みました。
 このように、自分の考えや主張を凝縮しワンフレーズで表すことができると、分かりやすくインパクトもありますので効果的です。校長先生がメッセージを発信する際にも、ワンフレーズでうまく表現できると、確実に伝わり記憶にも残るでしょう。と言いましても、なかなか端的に表現するのは難しく、容易ではありません。ですが、先ずは実践。よく考え、言葉を吟味・精選し、ワンフレーズで表すことを心がけてみてはいかがでしょうか。
  一方で、ワンフレーズだけで全てが伝わるということではありません。そこで、ストーリーが大切になります。
 平井孝志・古田興司著『組織力を高める』では、「ある事柄が、自分との関連性が強く、連想が広がり、そしてそれがストーリー性をもって伝えられたとき、それは心の奥に大きなインパクトを与えることになる」とあります。そして、「組織内でのコミュニケーションにストーリー性をもたせるということは、指示や説明を行う際に、前後の文脈をしっかりと語ることだ」とも言っています。つまり、単なる事実の羅列ではなく、それらが一つのスト-リーとして伝えられたとき、人は共感し心を動かすのです。そして同時に、組織も動くのです。ですから、校長先生がリーダーシップを発揮するときには、ストーリーを無視することはできず、根拠を示したり、論理的なつながりを重視したりして、職員に納得が得られるよう、自身の考えや思いを発信してほしいと思います。
   
 

 
 

元気なあいさつ 明るい応答


 去る6月13日(月)の議会一般質問で、大瀧和弘議員から、「元気なあいさつ 明るい応答」について質問がありました。
  この言葉は、私が昨年勤務した山前中学校の卒業記念碑に刻まれた言葉で、あいさつ運動の合い言葉として使わせていただいたものです。昨年5月の学校だよりでは、次のように家庭にも呼びかけましたので、ここでご紹介します。

   皆さんは、本校の正門西脇に「元気なあいさつ 明るい応答」と刻まれた碑があるのをご存じでしょうか。これは遡(さかのぼ)ること今から38年前、昭和52年度の卒業記念碑なのです。当時から本校では、あいさつの励行に力を入れて、学校全体で取り組んでいたことがうかがわれます。
 あいさつは、漢字で「挨拶」と書きます。この「挨」という漢字には「心を開く」という意味があります。また、「拶」という漢字には「迫る」という意味があります。つまり、「挨拶」という漢字は「心を開いて迫っていく」という意味を持っているのです。だから、好ましい人間関係を築く第1歩はあいさつからといえます。見知らぬ人からでもあいさつをされますと、何となく気分が良くなるのはこのためなのでしょう。「元気なあいさつ 明るい応答」の碑
 さて本校では、当時の先輩方が残してくれたこの記念碑の精神を受け継ぎ、誰もが元気なあいさつができるよう、学校全体で取り組んでいます。「元気なあいさつ 明るい応答」を合い言葉に、いつでも、どこでも、誰とでも、元気なあいさつができるよう呼びかけています。そして、更にあいさつ日本一の学校を目指したいと思っています。そのためには、保護者の皆様のご協力が欠かせません。
 そこで確認です。朝起きたとき「おはよう」とお子さんに笑顔であいさつができているでしょうか。また、帰宅したときの「おかえりなさい」はいかがでしょうか。一日のスタートを気持ちよいあいさつで始めたいものです。また、疲れて帰ったときの「おかえりなさい」の一言は何よりも嬉しいものです。お子さんにとっても、保護者の皆様にとっても、あいさつは元気の源となりますので、ご家庭でも「元気なあいさつ 明るい応答」を合い言葉に、あいさつの励行にご協力をお願いします。
                 山前中学校 学校だより「山前中は今」5月号より