日誌

田上教育長日誌

ふるさと真岡を愛し、世界で活躍する「もおかっ子」の育成

                   

 新年明けましておめでとうございます。新しい年平成30年がスタートしました。今年は戌年です。犬は社会性があり忠実な動物で、古くから人間とともに暮らしてきました。その性質から「勤勉」で「努力家」の象徴でもあり、地道な努力によって成果が上げられる年ということもできます。私は戌年生まれ、今年は教育長として3年目を迎えます。
 さて、昨年3月には新しい学習指導要領が告示され、これからの21世紀を生きる子供たちに必要な資質・能力やそれを身に付けるための教育内容等が示されました。4月からは全面実施に向けての移行期間に入り、新しい教育課程への新たな取り組みがスタートすることになります。
  本市におきましては、昨年5月に石坂新市長が誕生し、「JUMP UP もおか ~だれもが『わくわく』する街づくり」のスローガンの下、まちづくりの基本戦略として、5つのプロジェクト、32の施策が打ち出されました。その1番目に「こどもの元気な成長プロジェクト」があり、学力の向上、ICT教育の推進、英語教育の充実、体力アップ、次世代リーダーの育成の5つの施策が挙げられています。
  これらを受け、各施策等の確実な推進とともに、今後一層進展することが予想されるグローバル化や情報化を鑑み、本市教育の目指すべき姿として「ふるさと真岡を愛し、世界で活躍する『もおかっ子』の育成」をスローガンとして掲げることにしました。
  グローバル化の時代、これからの子供たちには世界に視野を広げ、世界で活躍できる資質・能力を身に付けさせることが極めて大切になります。一方で、地方創生の時代でもあり、地域活性化のため郷土愛を育むことも欠かすことができません。昨年ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏の小説には、生まれ故郷の長崎や日本への思いが切々と綴られています。世界的に活躍しているイシグロ氏であっても、原点はふるさとにあって、それが旺盛な創作活動の原動力となっているといいます。
 郷土愛に満ちたグローバルな人材の育成は、我が国はもちろんこと、我がふるさと真岡を発展させるため今後ますます重視され、まさにこれからの時代に求められる教育と言っても過言ではありません。本市におきましても、「ふるさと真岡を愛し、世界で活躍する『もおかっ子』の育成」のスローガンの下、本市教育の更なる発展・充実に向けて、微力ではありますが全力で取り組んで参りたいと思いますので、今年もご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。


 

命の大切さや尊さの指導に加えて

 またしても異常極まりない事件が発生してしまいました。先月末、神奈川県座間市のアパートで、20歳前後の男女合わせて9人の遺体が発見されました。容疑者が逮捕され、その後の報道で犯行の状況が徐々に明らかになってきました。衝撃的といえるのは、僅か2ヶ月余の間に9人全員を殺害し、しかも遺体を切断し自分のアパートに遺棄したということです。容疑者の猟奇性は疑う余地がないのですが、教育に携わる者として看過できないことは、被害者のほとんどが「自殺願望」を持っていたということです。
 報道では、容疑者はネット上で自殺願望者を物色し犯行に及んだとされています。ネット上には自殺願望を発信する者が後を絶たないといいます。多くは若者で、実際の自殺者数をみても、警察庁の統計では自殺者全体の数は減少しているにもかかわらず、小中高校生の自殺者は変わっていません。この10年間、毎年300人もの小中高校生が自殺しており、多い年は350人を超えています。因みに昨年は320人でした。
 子供の自殺は対岸の火事ではありません。怖いのは、「死にたい」などと口にしたり、ネット上に発信したりする行為に抵抗感がなくなっていくことです。なぜなら、子供の深層心理は複雑でガラス細工のように脆い一面があるため、そういった行為がいじめなどで触発され実行に及んでしまう危険性を孕んでいるからです。現に身近でも、肝を冷やすような行為が散見され侮ることはできません。
 では、どう対応すればよいのでしょうか。私は、この事件の容疑者が「本当に死にたいという者はいなかった」と供述している点に注目しています。それは、自殺願望者であっても、実際に死と直面すると恐怖やリスクがよぎり、ためらいが生じると思えるからです。だとすれば、これまでの命の大切さや尊さの指導に加えて、次の①~③のような、死の恐怖やリスクを伝えることが自殺抑止に繋がるのではないかと思われます。
 ① 自殺という行為は耐えられないほどの痛みや苦しみを伴うということ
 ② 命は失うと二度と戻ってこないということ                     
 ③ 子供を失った親の悲しみは計り知れないものがあるということ
 自殺の代償は余りにも大きく、それは本人のみならず親にも重くのしかかります。特に我が子を失った親の悲しみは深く、子供の想像を遥かに超えています。かつては、「親より先に死ぬほどの親不孝はない」と親が子に諭したものですが、現在はほとんど聞かれないのではないでしょうか。だからこそ、子供を救えるのであれば、敢えてこういった死ぬことのリスクも伝えるべきではないかと思うのです。

[チーム学校」をより強化するために

本日、真岡市小中学校校長会があり、次のことをお話ししました。

 平成27年12月に、中央教育審議会答申「チームとしての学校の在り方と今後の改善方策について」が出されて以来、学校においては「チーム○○学校」という表現が目立ってきています。答申では、新しい時代に求められる資質能力を育む教育課程の実現や複雑化・多様化した教育課題への対応、子供と向き合う時間の確保のために「チームとしての学校」の必要性が謳われています。特に注目すべき点は、教職員だけでなく、心理や福祉等の専門スタッフとチームを組んで対応できる指導体制を整備すべきという点です。「チーム学校推進法」なる法案も用意されているとのことですので、専門スタッフを加えて学校の指導体制を強化することは喫緊の課題と言えます。
 こういった背景もあって、多くの学校で「チーム○○学校」と銘打って、教職員の結束力を高め日々の教育活動の向上に取り組んでいます。言うまでもありませんが学校は組織体です。ですから学校教育の充実には、「組織的対応」が欠かせません。これはチームとしての学校も同様です。そこで、改めて組織的対応について次の三つをお示しします。
 先ず一つ目に、目標の共有化・共通理解です。組織には必ず目標があり、構成員全てがその目標を共有化していなければなりません。また、何か問題が起こりそれに対処するには、共通理解が絶対的に必要です。
  二つ目は役割分担です。そもそも組織が存在するのは個人ではできないからです。企業でいえば分業の必要性です。そのためには役割分担が重要になります。特に大切なことは、組織のトップが必要に応じて適切な役割分担をしなければならないことです。急を要する事態には、必要な役割を相応しい人員に、即割り当てることが管理職には求められます。
  三つ目は意思の疎通、情報の伝達です。これをコミュニケーションと言うことにします。たとえ行動は単独であっても、他の構成員との意志の疎通がなければなりませんし、組織のトップへの情報伝達は欠かすことはできません。
 組織の大小にかかわらず、組織的対応には目標の共有化・共通理解、役割分担、コミュニケーションの三つは極めて重要です。もちろんチームも同様で、例えば野球で4番バッターだけを揃えてもチーム力は上がらず、役割に応じた選手が必要なように、学校のチーム力を上げるには教職員の持ち味を生かす役割分担が何よりも大切です。
  今まさに学校は組織として、あるいはチームとして組織力と機動力が求められています。中でも、緊急のときこそ組織的対応が不可欠で、上述の三つのことを確実に実践することによって機動力にも結び付きます。「チーム学校」をより強化するために再確認願います。
  

起こったこと全てに原因がある

 かつてベストセラーとなった『原因と結果の法則』(ジェームズ・アレン著)では、ものごと全てに「原因」があるから「結果」があることを説いています。つまり、身の回りで起こったこと全てに必ず原因があるということです。ですから、何か問題が発生した場合に、その原因を明らかにしない限り問題の根本的解決にはなりません。
 例えば、日本の新幹線や航空機が他国に比べて極めて安全性が高いのは、問題発生の原因を徹底的に究明してきた結果といえます。これに対して、依然としていじめの問題が後を絶たないのは、原因究明にどこか問題があるからではないでしょうか。
  いじめの問題は、これまで研究者や学校関係者等が再三再四に渡り原因究明に取り組んできました。しかし、悲惨ないじめは繰り返し発生し深刻化しています。なぜでしょうか。
 いじめの問題を考えるには、学校はもちろんですが、被害者、加害者、保護者など、いくつかの側面があります。にもかかわらず、ひとたびいじめの問題が発生すると、一方的に学校ばかりが責め立てられ、学校は終始責任の追及に晒(さら)されます。当然、発見の遅れや対応の不適切さ等があれば、学校の責任は免れません。しかし、それだけでは原因の究明にはなりません。被害者、加害者、学校、保護者など、いじめの発生に関わるあらゆる側面から徹底的に原因を追究しなければならないのです。
 学校では、いじめの問題に限らず、大小さまざまな問題が発生します。生徒指導上の問題だけでなく、学力向上等の教育課程上の問題もあります。こういった問題を解決するためには、なぜ起こったのか、どうしてそうなったのかなど、それらが起こった原因を明らかにすることが大切です。しかし、問題が発生すると、どうしても対症療法的な対応になってしまい、再発が繰り返されるということが多々あります。そうならないためにも、「起こったこと全てに原因がある」という認識のもと、徹底した原因究明が必要なのです。

教師の仕事は体と感覚で覚えなければならない

 8月に入り、夏休みも中盤となりました。現在、校内研修や教育行政機関の研修が佳境を迎えています。夏休みといえども学校では、学力向上や児童・生徒指導等の課題に対応するため校内研修を実施しています。また先生方は、市教委や総合教育センター等の研修に積極的に参加して学んでいます。特に今年は、新しい学習指導要領が告示されたり、小学校道徳が次年度から教科化されたりするため、県教委主催の教育課程説明会をはじめ、それらに関する研修への参加も多くなっていると思います。
 教育公務員特例法第21条(教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない)を持ち出すまでもなく、教師にとってこういった研修で学ぶことは欠かすことのできないことです。しかし、注意しなければならないのは、研修で学んだからといって、直ちに指導力の向上に結び付くとは限らないということです。
 なぜなら、教師の仕事というのは、直接子供と関わって身に付くことが多いからです。特に学習指導や児童・生徒指導は、子供の実態に応じた適切な指導が求められます。学級集団は異なりますし、一人一人の子供はみな違いますから、それに応じた指導が必要となります。時として、一般論や定石では対応しきれないこともあります。だからといって、知識や技術等の理論が必要ないということではありません。それらはもちろん重要ですから、研修等でしっかりと学んでいただきたいと思います。ただ、それだけではなく、その後の実践と省察、そして更に深めるための自己研修が大切になります。
  ところが、かつて芳広教委が実施した研修等に係わるアンケート(平成22年1月小・中学校25校抽出427名対象に実施)では、芳賀地区の教員は、教育センター等の研修に積極的に参加している割合が70.8%と高かったものの、その内容に関わる実践や自己研修を研修後行っていると回答した割合は11.6%と低かったのです。研修がその後の実践や自己研修にそれほど結びついていないことが明らかになりました。
  これは、教師は忙しく、研修を受けたとしても、それを振り返り実践する余裕がないのかもしれません。ましてや自己研修に発展させるなど困難と言われるかもしれません。しかし、教師の仕事は子供に対する皮膚感覚というのが不可欠で、こればかりは研修では補えず、教師自身が体や感覚で覚えなければならないことなのです。研修等で学んだことを実践に生かし、省察し更に深めることの繰り返しによって、教師の実践的指導力は身に付くということです。