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校長室より

永遠の友情

本日、7月24日(月)正心高級中學訪問団を迎え入れた交流活動が、無事終了いたしました。

多大なる御協力をいただきました真岡市教育委員会、真岡ロータリークラブの方々、ホストファミリーの方々、歴代PTA会員の皆様に深く感謝申し上げます。30年にわたる交流の歴史に新たな1ページが刻まれました。

真岡西中学校と台湾正心高級中學が未来永劫交流し、互いの生徒がより友情を深め、友好関係を築くことを願っています。ありがとうございました。 謝謝

歓迎の歌「心つないでずっと」

7月21日(金)交流30周年記念式典において、歓迎の歌「心つないでずっと」を、全校生徒で合唱しました。

この曲は、本校第9代校長仁平茂夫様が作詞、当時の教頭音頭玲子様が作曲してくださり、当時の交流活動に深い絆を結ぶことに繋がったと聞いております。歌詞の意味を1つ1つかみしめるよう歌う生徒の姿が印象的でした。

改めて、国際交流の長い歴史に感銘を覚えます。

 

 心つないで ずっと   作詞:仁平茂夫 作曲:音頭玲子

  心つないでずっとずっと友達でいようよ
  夢だった隣歩くこと 夢だった共に過ごすこと
  夢だった笑い合えること 夢叶え永遠に続くこと
 
  心一つにつなぐため大切なこと
  永遠の友情築くために大切なこと
  それは愛 信じ合い 求め合い 喜び合い
  歩み始めた斗六と真岡が平和のスタート

       はしゃいだね夏祭りの夜 見上げたね大きな花火を
       悩んだね夜店の買い物 過ごしたね素敵なひととき
 
  心一つにつなぐため大切なこと
  永遠の友情築くために大切なこと
  それは愛 信じ合い 求め合い 喜び合い
  斗六と真岡でみんなの未来の幸せを開こう

 

 

 

30周年記念式典

7月21日(金)正心高級中學との交流30周年記念式典を無事挙行することができました。

30年の長きに渡り、御支援・御協力いただいた、真岡市、歴代PTA会長をはじめPTA会員の皆様、本校歴代校長をはじめ職員の方々、そして、真岡ロータリークラブ関係者の方々、最後に林校長先生をはじめとする台湾正心高級中學関係者の方々に、深い深い感謝の意を表したいと思います。

そして、本校と正心高級中學との交流が、未来永劫に渡り継続されることを心から願います。

 

 

 

国際交流活動再開を祝して

本日、台湾斗六市正心高級中學との直接交流が再開いたします。感染症防止対応等のため、約4年間直接交流ができない状況ではありましたが、リモートでの交流等を通して、互いの友情を確かめ合ってきた成果があったと認識しています。

今年は、交流30周年を祝う記念すべき年であり、互いの文化を認め合い、長い年月をかけ築いた友情を再認識したいと考えています。

交流30周年を記念し、台湾斗六市正心高級中學に送る記念品(日光彫)を紹介いたします。

 日光彫 起源は、東照宮造宮の際、全国から集められた匠達が、余技として創ったのが始まりとされる。

 牡丹  美しく高貴な花とされ、日光東照宮には彫刻として非常に多く用いられる。
 蝶々  日光彫の歴史上、また、日本の文化において再生能力が高いと言い伝えられる。言い換えれば末永く、永遠         に、未来永劫と考える。

 
  真岡西中学校と正心高級中學との交流が永遠に続き、豊かな未来を創造することを願い、この記念品としました。

 

 

 

 

創立記念日に寄せて

5月23日は、本校の「創立記念日」です。平成2年4月1日、真岡市立真岡中学校から分離、開校し、本年度34年目を迎えることとなります。開校当時のPTA新聞が貴重な資料として残され、当時の様子が多面的に表現されておりましたので、原文のまま御紹介いたします。

-以下、真岡西中学校PTA新聞「にしき」平成2年7月20日発行より-


 西輝が丘を緑の園に -真岡西中地域の期待を担って開校、奈良・平安時代の集落跡-

『西輝が丘』に愛称きまる  1年生 中川恵さん

「西の小高い丘に美しく光り輝いて建っている。大きくて希望をもった学校」という意味を込め考えてくださった名称です。

そねの木は残った

 校庭校舎寄りに、数本の株立ちの「そね」が列植されています。この木はもともとこの山にあったもので、工事中は一時仮植され、完成時に改めてこの場所に植えられた木だそうです。他の雑木と共に処分するには惜しい立派な木であり、また、緑の少ない校庭を緑化する第1歩になるよう、計られたものと思われます。まだ、幹には保護のため麻布が巻かれ、葉の茂りも少なく、木かげも強い日差しにたよりなく心細げですが、いつかはたくましく根づき校庭に枝を広げ涼しい木かげを作ってくれることでしょう。その下で、部活動で疲れた子供たちが汗を拭き、友達同士が未来を語り合う楽しい場所を提供してくれることでしょう。

西輝が丘の昔むかし

 大昔の人々の住んだところは日当たりの良い高台で、近くに水のある場所と決まっていました。西輝が丘はそれらの条件に合った所と見え、真岡西中建設に先立って行われた発掘調査では、1,200年前頃の住居の跡がたくさん発見されました。正門奥の崖の辺りからは23戸、校舎の建っているところからは18戸、プールのある所には少し大きな住居と倉庫らしい建物跡が各1棟。運動場の所からは発掘されませんでしたが、掘ればもっと数多くの家の跡が見つかることでしょう。1,200年前といえば、奈良から平安時代にかけての頃です。その頃、西輝が丘の集落では多くの人々が暮らし、東側と西側の低いところで稲を作り、江川や鬼怒川で魚を捕っていたのでしょう。

 開校当時の、生徒、保護者、地域、そして教職員の深い愛情が随所にあふれたPTA新聞に感銘をうけました。