校長室より

校長室より

ぼくが ここに(校長室より No.15)

ぼくが ここに  まど・みちお

ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない

もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ
マメが いるならば
その一つぶの マメだけ
しか ここに いることは できない

ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも

その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として


これは、「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」、「一年生になったら」などの童謡の作詞で知られる、詩人「まど・みちお」さんの詩です。
「誰もが大事に守られているたったひとりの存在であり、そこにいること自体が何よりもすばらしいことなのだ。」と、まど・みちおさんは伝えてくれているのだと思います。
世界でたった一つのかけがえのない命を、どうか大切に

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群青忌(校長室より No.14)

「滝落ちて群青世界とどろけり」
これは、水原秋櫻子(しゅうおうし)の代表的な俳句で、秋櫻子が62歳、昭和29年(1954年)に詠んだものです。

この句にある滝は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の「那智滝(なちのたき)」です。
那智滝は、一段の滝としては落差日本一で、日光の「華厳の滝」などともに日本三名瀑の一つに数えられています。

「群青世界」という言葉は、秋櫻子がこの句を詠むにあたり作った言葉です。
群青とは、深い藍青色を言います。那智大滝の水や滝壺の青、熊野の山々の古杉の葉の青、そして空の青と、正に群青の世界であり、青が目に飛び込んでくる視覚の世界です。

また、「とどろけり」は、高いところから水が落ちてきて、滝壺で音がとどろいているという情景ですが、聴覚の世界であると同時に、水しぶきが掛かってくるよな触覚の世界でもあります。
全体として、五感に訴える句となっています。

「滝落ちて群青世界とどろけり」
秋櫻子は、何を思ってこの句を詠んだのでしょうか。
自然の偉大さや自然への畏敬の念、悠久の時間、熊野の山々と滝から受ける神秘性、それとも自分もあの滝のように雄々しく生きたいという思いでしょうか。

来週、7月17日は秋櫻子の命日です。俳句の世界では、7月17日をこの句にちなんで「群青忌」と呼び、夏の季語となっています。
生徒の皆さんも是非お気に入りの俳句を見付けて、愛唱句としてください。
きっと日本語の奥深さに触れることができると思います。

読書の夏「青少年読書感想文全国コンクール『課題図書』」(校長室より No.13)

いよいよあと3週間で夏休みとなります。
42日間の長期の休みであり、時間的な余裕も十分にあると思います。
そこで、是非毎日の日課の中に読書の時間を設けてください。
特に、長期の休みは普段読まないジャンルの本に挑戦するチャンスです。
読書は、言葉を学ぶことはもちろん、感性を磨き創造力を豊かにしてくれます。
思春期を迎え、子供と大人の狭間で自分はどう生きるべきか思い悩む今だからこそ、良書に親しむことで、進むべき道が明らかになることもあります。
参考までに今年度の課題図書を以下に紹介します。
本校の図書室には、各課題図書が2冊ずつそろえてありますので、是非借りてください。


『スクラッチ』

コロナ禍で何もかもが中止、延期、規模縮小。今までの日常が奪われ、閉塞感の中で過ごした日々。中学生の4人が、もがきながら未来の自分へと手を伸ばす姿、揺れ動く繊細な心の変化に寄り添ってみてください。

『アップステージ:シャイなわたしが舞台に立つまで』

中学生たちが学校ミュージカルを一からつくりあげていく様子を描いた楽しい物語。恋あり、悩みあり、失敗あり、思わず吹き出してしまう場面も! 作中の「ザ・ミュージック・マン」は現在も上演されている作品です。

『人がつくった川・荒川:水害からいのちを守り、暮らしを豊かにする』

首都圏を貫く荒川は、たび重なる洪水に見舞われた「荒ぶる川」。これまで人の手で何度もつくり変えられてきました。同じような人工の川は日本各地にあります。温暖化による大水害も懸念される今、私たちは川とどう付き合うべきか。


長い夏休み、是非良書に親しんでください。
必ず君の成長を助けてくれるはずです。

臆病な自尊心(校長室より No.12)

中島敦の小説「山月記」には、かつて人間であり、詩人になろうとしてなれず、その妄執から虎に変身した男が描かれています。

虎になった男は、旅人としてその地を通りかかった昔の友人と出会い、虎になるまでの身の上を語ります。
その中に、「臆病な自尊心」という言葉が出てきます。
「自分は、詩によって名を成そうと思いながら、師について勉強することもせず、志を同じくする友人と切磋琢磨することもしなかった。わざと努力を怠ったのは、自分に詩の才能がないことを自覚するのが怖かったからであり、つまりは『臆病な自尊心』のせいである。」と。

程度の差はあるかもしれませんが、誰の心にも「臆病な自尊心」はあります。
全力を尽くして失敗したり、敗北したりすると、自分があまりにもみじめで救いがたいからです。
そこで、「まだ本気出していないから、失敗したってどうってことないもんね。」と、言い訳を先に用意してしまいます。
果たして、これで本当によいのでしょうか。
山月記の虎になった男と同じように、きっと「後悔」することでしょう。

明日から、いよいよ期末テストです。
初めての定期テストを受ける1年生はもちろん、2・3年生も、「臆病な自尊心」に負けず、全力で努力した上で、テストに臨んでほしいと思います。
がんばれ、東中生!

今日、6月15日は「栃木県民の日」(校長室より No.11)

今日、6月15日は、「栃木県民の日」です。
今年は、栃木県が誕生して150年の節目の年であり、県内各地でお祝いのイベントが開かれています。
本校でも、昨日の全校朝会で、栃木県の生い立ちやシンボル等について、話をしました。
主な内容は、以下のとおりです。


明日、6月15日は、「栃木県民の日」である。
明治6年(1873年)の6月15日に、栃木県と宇都宮県が合併し、おおむね現在の栃木県になったのが県民の日の由来である。
そして今年は、それから150年が経ち、栃木県誕生150年の節目の年となる。
栃木県の生い立ちは。以下のとおりである。
「旧石器時代から平安時代」
大和朝廷の勢力が東へ拡大したころの本県は、下毛野国(しもつけぬのくに)と那須国があった。
7世紀後半、統一されて下野国、すなわち栃木県の原型が形作られた。
下野国は9郡に分かれ、政治の中心として国府が置かれた。
「鎌倉時代から江戸時代」
鎌倉幕府が成立すると、小山・宇都宮・足利・那須などの下野の武士も御家人として活躍した。
中でも小山氏は、下野国の守護を務め、一族は結城・長沼等に分かれて栄えた。
足利学校は「坂東の大学」として、宣教師によってヨーロッパにまで隆盛の様子が伝えられた。
徳川家康が幕府を開くようになると、中世以来の豪族は相次いで下野から姿を消し、天領や旗本領に細分化され大名や旗本が支配するようになった。
日光は幕府の聖地として、東照宮をはじめとする華麗な建物が作られ、特別に保護、崇敬された。
二宮尊徳は、近世後期の荒廃した農村のたて直しを図るため、桜町(現在の二宮地区)の旗本領の復興に努め、以後各地で報徳仕法と呼ばれる改革事業を実施した。
幕末から近・現代」
戊辰戦争を経て明治維新を迎えると、政府は中央集権を推し進めるため廃藩置県を断行し、旧来の封建支配の一掃を図図った。
さらに県の整理統合が進められ、明治6年(1873年)6月15日に今日の栃木県が成立した。
県庁は、最初栃木町(現在の栃木市)に置かれたが、明治17年(1884年)に宇都宮町(現在の宇都宮市)に移された。

次は、県名の由来についてである。
「栃木」という県名は、本県最初の県庁所在地「栃木町」(現栃木市)に由来しているが、この地名の語源には、様々な説がある。
1「十千木説」
栃木町内に神明宮(しんめいぐう)という神社があり、この屋根にある2本の千木(ちぎ)と8本の鰹木(かつおぎ)を遠くから見ると、10本の千木に見えたことから、この周辺を「十千木(とおちぎ)」と呼ぶようになったという説
2「トチノキ」説
旧栃木町にトチノキが多く生えていたという説
3「崩壊地名」説
市内を流れる巴波川うずまがわは、かつて度々氾濫を起こしたことから、崩壊地を表す「チギる」に接頭語「ト」が付いたという説

次は、県のシンボルについてである。
「県章」
デザインは、県内の在住者及び本県の出身者から公募して選定した。
図案の意味は、「栃」の字を抽象化し、エネルギッシュな向上性と躍動感を表現したもので、3本の矢印は「木」の古代文字を引用したものである。
県木「トチノキ」
平和のシンボルである緑の意義を自覚し環境緑化を推進するため、県庁内で選定された。
この木は、その名前により古くから郷土の木として親しまれている落葉樹である。
葉は手を広げたような形をしており、5月頃、白やピンクの優雅な花を咲かせる。
県獣「カモシカ」
県民に野生動物を理解してもらい愛護の精神を高めるため、県鳥獣審議会の答申により選ばれた。
体はシカよりやや小さく、オス・メス両方に短い角が生えている。
県北西部の山地の奥深くにすみ、性格はおとなしく、草や木の葉などを食べている。
特別天然記念物に指定されている貴重な動物である。
県花「やしおつつじ」
県民の郷土愛と郷土意識を高めるとともに、昭和45年に開催された日本万国博覧会を記念して選定された。
那須高原、塩原、日光などを中心に、県中央部や南部の山地にも広く分布しているツツジ科の落葉低木である。
花は、直径5センチメートルくらいで、ピンク、白色、濃い赤紫色のものがあり、4月中旬から5月上旬にかけて咲く本県の春のシンボルである。
県鳥「オオルリ」
県民に野生鳥獣を理解してもらい愛護の精神を高めるため、 県鳥獣審議会の答申により選ばれた。
ウグイス、コマドリとともに日本三大鳴鳥の1つに数えられる渡り鳥である。
5月頃南方から渡ってきて、10月初め頃まで日光、塩原、那須などの渓谷にすむ。
雄は美しい瑠璃色で姿もよいことから、県鳥に指定された。

「栃木県民の日」は、県民一人一人が、郷土を見直し、理解と関心を深め、県民としての一体感と自治の意識を育み、より豊かな栃木県を築きあげることを期する日として、昭和60年(1985年)に6月15日を「県民の日」として制定された。
ここで、栃木県誕生150年を記念して、福田富一栃木県知事から、皆にメッセージがあるので見てほしい。
今日の校長講話により、郷土愛が一層深まることを期待している。


今日は、昼の校内放送で「県民の歌」を流してもらいました。
生徒たちは、「県民の日特別給食」をおいしく頂きながら、栃木県誕生150年をお祝いしました。
 一連の取組により、生徒たちの「栃木愛」が一層深まることを祈念しています。