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校長室より

「防災の日」常に備えを(校長室より)

昨日、9月1日は「防災の日」でした。
防災の日とは、「台風、高潮、津波、地震等の災害についての認識を深め、それらの災害に対処する心構えを準備するため」の啓発日です。
政府の南海トラフ地震を想定した総合防災訓練をはじめ、全国各地で防災に関する様々な取組が行われました。

9月1日の日付は、1923年(大正12年)に発生した「関東大震災」に由来しています。
99年前の9月1日(土)11時58分に発生した関東大震災では、相模湾一帯を震源とするマグニチュード7.9の巨大地震により、死者・行方不明者は約10万5千人、建物の全半壊・焼失は約37万棟と関東一円に大災害がもたらされました。

日本はプレートの境目に位置しており、ひずみのエネルギーがたまれば必ず巨大地震が起きます。
政府の地震調査委員会は、関東大震災と同様の首都直下地震が、今後30年以内に70%の確率で起きると予測しており、今後も油断は禁物です。

加えて、近年全国各地で起きているの豪雨被害も心配されるところですが、地震と違い台風や豪雨はある程度予測できます。
自治体の避難情報を受けて迅速に行動することが重要となります。

いずれにしても、災害発生時には「的確な判断」と「迅速な行動」により自らの命を守ることが何より大切です。
本校でも、避難訓練の充実等により災害発生時に自らの命を守る力を身に付けさせたいと思います。

【関東大震災のときにも発生したと思われる火災旋風】

実り多き2学期に(校長室より)

いよいよ今日から2学期がスタートしました。
夏休み中、多きな事件・事故もなく、元気いっぱいの生徒の皆さんと再会できたことをうれしく思います。

1学期の終業式では、明治大学ラグビー部元監督北島忠治さんの言葉、「前へ」を紹介しました。
きっとこの夏休みは、勉強に部活動に大きな1歩を「前へ」進めたことと思います。

さて、2学期始業式は、県内に「BA.5対策強化宣言」が出されていることから、校長室から配信する形で行いました。
主な内容は以下のとおりです。


初めに大変うれしいお知らせを一つ。
吹奏楽部が夏休みに行われた栃木県吹奏楽コンクールで上位入賞を果たし、東関東吹奏楽コンクールへの出場が決定した。
これは、本校始まって以来初の快挙であり、大変すばらしいこと。
吹奏楽部の皆さん、本当におめでとう。
9月17日に千葉県で行われる東関東でも、上位入賞・東日本出場を期待している。
また、水泳に関しても2年生女子が関東出場を果たし、うれしいことが多かった。

次に、新型コロナウイルス感染症に関して、本県が発出した「BA.5対策強化宣言」は、当初昨日8月いっぱいの予定だったが、新規感染者数が減少しないことから、9月いっぱいまで延長されることとなった。
本校においても、夏休み中相当数の生徒が感染した。
中には明らかに油断したことによる感染もあり、2学期のスタートに当たり、改めて感染防止対策の徹底をお願いする。

話は変わるが、2学期は3つある学期の中でも最も長く、気候的にも過ごしやすい秋が中心のため、大きな成果が期待できる。
行事や大会等に進んで真剣に取り組み、チャンスを逃さず、自分を大きく伸ばしてほしい。
3年生には、西輝が丘祭を中心に、まさに西中の顔として中心となって活躍してくれることを期待している。
そして、何よりも来年に控えた受験に向けて確かな学力を身に付け、夢への扉を自分自身の手でしっかりと開けてほしい。
2年生は、3年生の後をしっかりと受け継ぐ、大切な学期となる。生徒会役員選挙も12月に予定されていることから、3年生の思いをもとに、西中のよき伝統を引き継ぎ、更に発展させる、そんな活躍を期待している。
1年生は、中学生としての土台を作り上げる大事な学期となる。
土台が小さいと小さな建物しか建たないが、土台が大きくしっかりしていれば、どんな大きな建物も建てることがでる。
先輩を見習いながら、その土台をしっかりと作ってほしい。

そのような大切な2学期を迎える皆さんに、1つのメッセージを送る。
それは「5分後の未来を変える」ということ。
皆さんは10年後、20年後のの自分を想像できるか。
仮に想像はできたとしても、10年後、20年後の未来を断定することは誰にもできない。
しかし、5分後の未来は、今すぐ自分の意志で変えることができる。
頑張ろうと努力するのも自分、もういいやと怠けるのも自分、そして怠けようとする自分を叱り、励ますのも自分自身。
5分後の未来の積み重ねは、確実に10年後、20年後の未来につながっている。
「なりたい自分になる」ためには、「5分後の未来」を大切にしほしい。
「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。」アメリカの心理学者であるウィリアム・ジェームズの言葉である。
未来に決まった運命があるとしても、心を入れ替えて「5分後の未来」を変え続ければ、その運命すらも変えることができるはず。
2学期の皆さんの頑張りを期待する。

読書の夏「青少年読書感想文全国コンクール『課題図書』」

いよいよ明後日から夏休みとなります。
42日間の長期の休みであり、時間的な余裕も十分にあると思います。
そこで、是非毎日の日課の中に読書の時間を設けてほしいと思います。
特に、長期の休みは普段読まないジャンルの本に挑戦するチャンスです。
読書は、言葉を学ぶことはもちろん、感性を磨き創造力を豊かにしてくれます。
参考までに今年度の課題図書を以下に紹介します。
本校の図書室には、各課題図書が3冊ずつそろえてありますので、是非借りてください。


『セカイを科学せよ!』

転校生はとんでもない蟲オタク!上がる悲鳴とため息と……。ミックスルーツの中学生が繰り広げる、バイオロジカルコメディ。

『海を見た日』

同じ家で暮らしていても、心が通わない養母と里子4人。ある日の冒険をきっかけに、「本当の家族」になっていく。清々しい感動作。

『江戸のジャーナリスト葛飾北斎』

世界に誇る浮世絵師・葛飾北斎とは、どんな人物だったのか。ジャーナリストの著者独自の視点で、新たな北斎像をあぶり出す。


長い夏休み、是非良書に親しんでください。
必ず君の成長を助けてくれるはずです。

7月20日(水)追記:課題図書9冊(3種類各3冊)中、7冊が貸出中となりました。
生徒の皆さんの積極的な姿勢をうれしく思います。

強い気持ちとチームワーク

7月1日(金)に選手壮行会を行いました。
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、1・2年生は教室での視聴としました。
運動部の3年生にとって夏の総体は、勝てば県・関東・全国へとつながる重要な大会であると同時に、負ければ引退という厳しい大会でもあります。
そんな厳しい大会に挑む3年生に、以下の2つを話しました。


1つ目は、試合に臨む心とき構え。
試合において最後に勝敗を分けるのは、技術でも戦術でもなく「強い気持ち」である。
相当の実力差がある場合を除き、10回試合をして1回でも勝てる相手であれば、本番の気持ち次第で互角の勝負に持ち込むことができる。
今まで一切手を抜くことなく練習に励み、努力を重ねてきたことと思う。
大会本番では、努力した自分を信じて「強い気持ち」で試合に臨み、気持ちで相手を上回り、持てる力を存分に発揮してほしい。

2つ目は、仲間との絆、「チームワーク」。
自分がこれと決めた部活動で頑張った3年間。
ときには練習がきつくて、くじけそうになることもあったはず。
そんなときに、一緒に頑張ろうと励ましてくれた仲間。
自分のミスで試合に負けて、落ち込んだときもあったかもしれない。
そんなときに、寄り添い元気付けてくれた仲間。
そんな、大切な仲間との絆、「チームワーク」を信じて試合に臨んでほしい。
試合中の厳しい場面ほど、「チームワーク」が力を発揮する。


「強い気持ち」と「チームワーク」、この2つで夏の総体に挑み、最後まで諦めることなく戦い抜いてください。
本校のスローガンは、「挑戦 ~夢を志に~」です。
本気の思いは、必ず叶います。
県大会出場、関東大会出場などの目標を達成し、苦楽をともにした仲間と一日でも長くプレーできるように頑張りましょう。
皆さんの活躍を信じ、応援しています。
校外のクラブで活動している生徒や文化部の生徒の皆さんも、それぞれの目標に向けて頑張ってください。

臆病な自尊心

中島敦の小説「山月記」には、かつて人間であり、詩人になろうとしてなれず、その妄執から虎に変身した男が描かれています。

虎になった男は、旅人としてその地を通りかかった昔の友人と出会い、虎になるまでの身の上を語ります。
その中に、「臆病な自尊心」という言葉が出てきます。
「自分は、詩によって名を成そうと思いながら、師について勉強することもせず、志を同じくする友人と切磋琢磨することもしなかった。わざと努力を怠ったのは、自分に詩の才能がないことを自覚するのが怖かったからであり、つまりは『臆病な自尊心』のせいである。」と。

程度の差はあるかもしれませんが、誰の心にも「臆病な自尊心」はあります。
全力を尽くして失敗したり、敗北したりすると、自分があまりにもみじめで救いがたいからです。
そこで、「まだ本気出していないから、失敗したってどうってことないもんね。」と、言い訳を先に用意してしまいます。
果たして、これで本当によいのでしょうか。
山月記の虎になった男と同じように、きっと「後悔」することでしょう。

明後日から、いよいよ期末テストです。
初めての定期テストを受ける1年生はもちろん、2・3年生も、「臆病な自尊心」に負けず、全力で努力した上で、テストに臨んでほしいと思います。
がんばれ、西中生!

6月15日は県民の日(校長室より)

本日、校長講話を行いました。
前半は、写真を見せながら、春季各種大会やスポーツフェスティバルの振り返りを行い、一層の活躍をお願いしました。
後半は、「県民の日」の話をしました。主な内容は、以下のとおりです。


今日6月15日は「県民の日」です。栃木県のホームページによると、「県民一人ひとりが、郷土を見直し、理解と関心を深め、県民としての一体感と自治の意識をはぐくみ、より豊かな栃木県を築きあげることを期する日」として制定された。明治6年(1873年)に栃木県と宇都宮県が合併し、おおむね現在と同じ県域の栃木県が成立した日である6月15日を県民の日とした。

栃木県のシンボル
県章

県木「トチノキ」

県獣「カモシカ」

県花「ヤシオツツジ」

県鳥「オオルリ

皆が生きるこれからの時代は、グローバル化が一層進展し、国境を越えた様々な交流が当たり前のように行われる。
そのような時代だからこそ、自分が生まれたふるさとのことをしっかりと知り、そのよさを実感し、自己がよって立つ基盤にしっかりと根を下ろすことが大切だと思う。
今日の昼の校内放送では、県民の歌を流す予定である。県民の日にちなんだ給食を食べながら、この校長講話と併せて郷土愛を深めるよい機会としてほしい。


生徒の皆さん、栃木県とともに成長・発展していきましょう!

梅雨入りしました。(校長室より)

本日、関東甲信地方が梅雨入りしました。
今も昔も、日本人は、季節に寄り添いながら暮らしています。
日本以外にも四季のある国はたくさんありますが、ことさら日本人の季節感は称賛されます。
それは、幼いころから自然に親しみ、繊細な感覚を身に付け、季節を愉しむすべを会得しているからだと思います。
梅雨にまつわる俳句をいくつか紹介します。

五月雨を あつめて早し 最上川  松尾芭蕉
降り続く五月雨(さみだれ)を一つに集めたような、最上川の流れの早さやすさまじさが伝わってきます。

さみだれや 青柴積める 軒の下  芥川龍之介
軒の下に集めた柴が五月雨で湿ってしまった様子から、山里の梅雨の風景とそこに暮らす人の質素な生活が描かれています。

紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘  正岡子規
紫陽花(あじさい)が色を変えていく様子と人の心がうつろいでいく様子が似ていることを表しています。

国際化、グローバル化が加速するこれからの時代だからこそ、日本のよさを感じ、日本人としての自覚を深め、自己がよって立つ基盤にしっかりと根を下ろすことが重要になると思います。
ちなみに今日は、二十四節気の一つ「芒種(ぼうしゅ)」です。麦などの芒(穀類の堅い毛)のある穀物の種をまく頃を指します。

今にときめけ!活気あふれる青春魂(校長室より)

本日、5月28日(土)に「西輝が丘スポーツフェスティバル(SF)」を実施しました。
今年度も昨年度同様、生徒の健康・安全を最優先に考え、半日の縮小開催とした上で保護者の皆様の入場も制限させていただきました。

制約が多い中でのSFでしたが、生徒たちはすべての演技に一切手を抜くことなく全力で取り組みました。
そこには、スローガンの「今にときめけ!活気あふれる青春魂」が体現されており、多くの喜びや感動がありました。
まさに、生徒一人一人が主役のSFとなったと思います。
特に、3年生の頑張りと学級の垣根を越えて応援し合う姿に感動しました。

コロナ禍の中で学校行事を実施することは容易ではありませんが、改めてSFを実施してみて、学校行事の重要性を認識しました。
発展途上にある生徒たちは、それぞれの学校行事を節目として階段を1段上がるように、一気に次のステージへと成長していきます。
勝利を目指して奮闘すること、新しい役割に挑戦すること、係の仕事を責任をもって行うこと、喜びを分かち合うこと、涙する友人を慰めること、声を枯らして応援することなど、様々な経験が人を成長させます。

真岡西中学校はこれからも学校行事に力を入れて取り組んで参ります。
当日、応援に駆けつけてくれた保護者の皆様、検温や撮影等をお手伝いいただいたPTA役員や各委員会の皆様、本当にありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

あわてなさんな(校長室より)

谷川俊太郎さんの詩、「あわてなさんな」を紹介します。


「あわてなさんな」  谷川俊太郎

花をあげようと父親は云う
種子が欲しいんだと息子は呟く
翼をあげるわと母親は云う
空が要るんだと息子は目を伏せる

道を覚えろと父親が云う
地図は要らないと息子がいなす
夢を見ないでと母親が云う
目をさませよと息子がかみつく

不幸にしないでと母親は泣く
どうする気だと父親が叫ぶ
あわてなさんなと息子は笑う
父親の若い頃そっくりの笑顔で


私たちが子供を見るとき、どうしても大人の目線で見てしまいます。
そのため、失敗しないで最短距離で成功をつかめるように、先回りをしてあれこれ手伝いがちです。
でも、子供は、花(成功)をもらうより種子(可能性)をもらったほうが、うれしいのではないでしょうか。

種子を手間暇かけて世話をして、自らの手で芽吹かせ、花を咲かせる喜びを知る。
谷川さんの詩、「あわてなさんな」は、「子供の可能性を信じ、じっくり成長を待つ大切さ」を教えてくれてるような気がします。
成長に失敗は付きものです。
ときには、あわてずにぐっとがまんして見守ることも必要です。
いよいよ今週末は「西輝が丘スポーツフェスティバル」、手を掛けすぎず、生徒たちの成長を見守りたいと思います。

堂々と胸を張って(校長室より)

御協賛企業及び団体様の御厚意により、学校に毎月「PHP」(PHP研究所)が寄贈されます。
本校でも、職員図書コーナーにて活用させていただいております。
そのPHP5月号の「生きる」(467話)に、藤田ゆかり様の「堂々と胸を張って」が掲載されていました。
心打たれる大変すばらしい内容で、共生社会の実現を目指してインクルーシブ教育を推進している本校にとって、大きな示唆をいただきました。

今回、発行元であるPHP研究所様及び作者の藤田ゆかり様の御厚意により、本校ホームページへの転載許可をいただきましたので、全文を掲載させていただきます。
本当にありがとうございます。
障がいをお持ちの方々が「堂々と胸を張って」生活できる共生社会の実現を目指して、本校は今後も特別支援教育の充実及びインクルーシブ教育の推進に力を入れて参ります。

なお、作者、出典等の詳細は、以下のとおりです。
・作者名 藤田ゆかり様
・出典名 月刊誌『PHP』2022年5月号、株式会社PHP研究所様刊行 
・URLのリンク https://www.php.co.jp/php/


 「あらあら、お帽子をなおしてあげましょうね」
 娘をおぶっていた私のうしろで声がした。同時に、中年女性が駆け寄ってきて、あっというまに目深にかぶっていた娘の帽子を上にあげた。
 次の瞬間に起こるであろう光景で、私の頭の中は真っ白になった。おそらく彼女は狼狽し、自分のおせっかいを悔やみながら足早に立ち去ろうとするだろう。そんな未来を想像していた。
 「まあ、かわいいこと。なんてお名前なの?」
 彼女から発せられた思いもよらない言葉に、私はおどろいた。
 「愛子です」
 思わず答えた私に、彼女は微笑みながら、こう言った。
 「お帽子でおめめがよく見えないみたいだったわよ。お母さん、愛子ちゃんのために、堂々として!」
 狼狽してしまったのは目の前の女性ではなく、私のほうだった。
 愛子はダウン症。愛子を連れて行くスーパーでは、いつも他人の目が気になって、私はおどおどしていた。
 なるべく愛子の顔に気づかれないように、故意に帽子を深くかぶらせていたのだ。障害児を産んでしまった自分を恥じていたし、世間にも負い目を感じていた。そんな私の心の中を見透かしたかのような女性の発言。
 彼女は、こう続けた。
 「お母さん、堂々と胸を張って愛子ちゃんのために」
 そう言うと、笑顔のままスーパーから出て行った。私は、雷に打たれたかのような衝撃を覚えた。
 そうだ!今このときから卑屈になるのはやめよう。私が卑屈になれば愛子も卑屈になってしまう。堂々と胸を張って、生きるのだ。
 私の中で、何かがはじけた。
 スーパーを出ると、西の空が茜色に染まっていた。私は、その夕焼けに、美しいなあと見入ってしまった。つい先日も、空は同じような色をしていたけれど、私は夕焼けを血を流したような色だと思ってしまったのだった。
 愛子が生まれて、11か月。忘れられない母親再生の日だった。

おまじないの言葉を胸に
 堂々と胸を張って生きていると、いいことが向こうからやってくるようになった。愛子がよく笑うようになった。私にママ友ができた。そして何よりうれしかったのは、特別支援学校で吉田先生と出会えたことだった。
 そのとき、愛子は小学1年生。私は娘に文字の読み書きなど、まったく期待していなかった。でも、吉田先生は、
 「最初からあきらめないでください。少しずつやっていきましょう」
 とおっしゃり、根気よく教えてくださったのだった。愛子は、6年かけてひらがなの読み書きができるようになった。そして、はじめて書いた文は、「せんせいだいすき」であった。先生とは、もちろん吉田先生のことだ。
 私はというと、「堂々と胸を張って」という言葉を、おまじないのように唱えて暮らしていた。
 「あんな嫁をもらったばかりに、あんな子ができてしまった」
 そんな姑の嘆きを耳にしたときには、本当にこのおまじないに救ってもらった。もし、このおまじないがなかったら、私は、まるで深い海の中で、もがき苦しむような心境になっていただろう。

先生たちのおかげで
 子育ても順調に思われたころ、吉田先生のお母さまの訃報がもたらされた。
 私は、告別式に出席した。その告別式で手を合わせたとき、私は心臓が飛び出るほどおどろいたのだった。
 遺影のお顔は、ずいぶん年を重ねていらっしゃるけれど、なんとあのスーパーで出会った女性ではないか。あのお方は、吉田先生のお母さまだったのだ!
 遺影からは、まるでこんな声が聞こえてきそうだった。
 「堂々と生きていますか?胸を張って生きていますか?」
 私は何度もうなずきながら、涙が止まらなくなった。
 人目を気にしながらうつむいていたあのころ、彼女に出会わなかったら、私の人生は大きく違うものになっていただろう。
 現在、愛子は42歳。
 あいかわらず幼児のような子だけれど、私は愛子の手を引いて堂々と、どこへでも出かけている。
 さあ、胸を張って!