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校長室より

群青

本日、3月9日(水)、令和3年度卒業式を挙行しました。
コロナ禍により、昨年に引き続き規模を縮小しての実施となりましたが、式中の卒業生の態度は大変立派で、中学校3年間の確かな成長と今後の大いなる飛躍への期待を感じさせてくれました。

式辞では、3年間のたくさんの活躍を振り返り、32年の長い西中の歴史に輝かしい新たな一ページを刻んでくれたことについて、お礼を述べました。

また、はなむけに、二つの言葉を贈りました。内容は以下のとおりです。


一つ目は、「出会いを大切にしてほしい」ということです。
様々な人との出会いは、自分の新たな可能性の扉を開いてくれます。
スポーツとの出会いは、仲間との連帯感を高め上達の喜びを感じさせてくれます。
音楽との出会いは、感性を豊かにし、感情の幅を広げてくれます。
書物との出会いは、人生を支え、進むべき方向を定めてくれます。
絵画などの芸術作品との出会いは、様々な見方や世界観があることに気付かせてくれます。
科学との出会いは、真実とは何かを見極めさせてくれます。
感性を磨き、出会いを大切にする心を持っていれば、きっと皆さんの人生は、心ときめくような彩り豊かなものになることでしょう。

二つ目は、「ふるさと真岡を大切にしてほしい」ということです。
長い人生、楽しいことばかりではなく、ときには困難にぶつかることもあります。
困難に負けずにしっかりと立ち向かうためには、太い軸が必要です。その軸となるのは、やはりふるさとです。
ふるさとには、皆さんを慈しみ育ててくれた保護者の方々がいます。
真岡木綿の縦糸と横糸のような友との確かな絆があります。
そして、豊かな自然と産業がバランスされた発展の基盤があります。
負けそうになったら、くじけそうになったら、「ふるさと真岡」と「西中魂」を思い出し、少しずつでも前進してください。
きっと、一人一人に大輪の花が咲くことでしょう。


今日で思い出いっぱいの西中を後にしますが、卒業合唱「群青」の歌詞のように、友と遠く離れてもきっと同じ空を見上げているはずです。
西中を巣立ち、それぞれの道を歩む131名の卒業生の前途に、幸多からんことを心からお祈りいたします。

叱咤激励

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

これは、茨木のり子さんという方の詩です。
茨木のり子さんは、1926年に大阪で生まれました。高校時代を愛知県で過ごし、上京して現・東邦大学薬学部に入学。その在学中に空襲や勤労動員を体験し、1945年に19歳で終戦を迎えました。
戦時下で体験した飢餓と空襲の恐怖が、命を大切にする茨木さんの感受性を育んだと言われています。初めから詩を書いていたわけではなく、創作活動のスタートは劇作家でした。
1977年、彼女は代表作のひとつとなる『自分の感受性くらい』を世に出しました。
それは、かつて戦争で生活から芸術・娯楽が消えていったときに、胸中で思っていた事を詠い上げたものでした。
詩には様々な解釈がありますが、私は「時代や他人のせいにせず、しっかりと自分に向き合い努力しなさい。」という叱咤激励を感じました。
生徒の皆さんも卒業、進級を間近に控えたこの時期に、逃げずにしっかりと自分と向き合ってみましょう。
茨木のり子さんは、他にも教科書に載っている「わたしが一番きれいだったとき」や「倚(よ)りかからず」など、すばらしい詩をたくさん書いていますので、また別の機会に紹介したいと思います。

特設理科部の快挙に寄せて

先日、栃木県理科研究展覧会が実施されました。
本校からは、芳賀地区理科展を勝ち抜いた1年生と2年生の作品が出品され、両作品とも県の1位である最優秀賞に輝きました。
二つの学年でのダブル受賞は、本校創立以来の快挙であり、粘り強く研究に取り組んだ生徒の頑張りに、心から拍手を送りたいと思います。
本校では、今年度から特設理科部を新設し、科学的な分野に興味・関心の高い生徒を中心に期間限定で活動しています。
その成果がこんなに早く現れたのも、休日返上で指導に当たっていただいた理科担当の先生方のお陰です。本当にありがとうございました。

さて、理科研究展覧会は今回で75回を数える歴史と伝統ある展覧会です。
芳賀地区から県に出品できるのは、最も優れた作品1点のみです。
1年生と2年生の作品はともに芳賀地区で1位に輝き県出品を果たし、3年生の作品は惜しくも2位となり県出品はかないませんでしたが、大健闘だったと思います。

1年生の作品「水滴の音の研究」は、お風呂で聞いた水滴の音に興味をもちスタートした研究です。水滴の音を周波数で測定したり、落下の瞬間をハイスピードカメラで撮影したりしながら、音が鳴るときの水面の様子と音がばらつく仕組みについて探求したすばらしい作品です。
2年生の作品「コップが浮かない?~水底コップの研究~」は、当たり前のように浮くはずの水底に沈めたコップが、穴を開けただけで浮かなくなる現象に興味をもち始めた研究です。コップに空ける穴の位置や数を変えながら数百に及ぶ実験を丁寧に行い、新たな疑問が生じるたびに仮説を立てながら探求したすばらしい作品です。

生徒が生きるこれからの時代は、将来の予測が困難な変化の激しい時代だと言われています。それは、グローバル化や情報化の更なる進展、少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少、AIの急速な進歩などによって、世の中が大きく変わることが予想されるからです。
果たして、そのような新しい時代を生きていくためにはどのような力が必要なのでしょうか。
詳細は別の機会に述べたいと思いますが、理科研究のように常に結果を疑い、試行錯誤を繰り返しながら新たな発想を生かして真実に迫る取組は、きっと大きな力になってくれると思います。
夏には全国の理科好きと競え合える「日本学生科学賞」があります。
特設理科部のますますの活躍を期待しています。頑張ってください。

しもつかれ

「しもつかれ:神社に供え、近所で分け合う、昔ながらの伝統食」
明後日、2月9日(水)の給食に、栃木県の郷土料理である「しもつかれ」が出ます。
伝統的な「しもつかれ」は、割とくせのある味ですが、給食では、小中学生にも食べやすいように、かなり工夫されています。
私が子供の頃は当たり前のように2月の初午の日に食卓に並びましたが、今頃はどうなのでしょうか。
そういう我が家でも10年以上見ていません。

「しもつかれ」は初午(はつうま:2月最初の午の日)に、わらをたばねて作った「わらづと」に入れて、赤飯といっしょに稲荷神社にそなえる行事食です。
「しもつかれ」という名前の由来には下野(しもつけ:栃木県)だけで作るからという説と、酢むつかり(いった大豆に酢をかけた料理)からきたという説があります。
「七軒の家のしもつかれを食べると病気にならない」といわれ、近所の人たちと分け合って食べることが多い郷土料理です。
「しもつかれ」に使うダイコンやニンジンは「鬼おろし」という竹でできた目のあらいおろし器を使います。
材料を大きく削ることができるので水分がでにくく、野菜の風味を残すことができます。
それぞれの家に昔から受けつがれてきた作り方があり、同じ「しもつかれ」でも、家庭によってずいぶん味がちがうようです。

時代の流れとともに郷土料理が家庭から姿を消しつつある中、学校給食で「しもつかれ」が出ることは本当に有り難いことだと思います。
食べるだけでその当時の記憶がよみがえってくる、そんな郷土料理はこれからも継承していきたいものです。

世界で一番貧しい大統領のスピーチ

現在、図書室では絵本フェアが開かれています。
「時をかける少女」で有名な日本を代表するSF作家・筒井康隆氏と日本画家・福井江太郎氏のコラボレーション作品である「駝鳥」(ラストが衝撃的!)など、多くの絵本がディスプレイされていますので、是非お読みください。

 私も、ふと思い立って、数年前に購入した絵本、「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」を改めて読み直しました。
2012年6月、ブラジルのリオデジャネイロで、国連の「持続可能な開発会議」が開催されました。世界の首脳・閣僚が参加し、自然と調和した人間社会の発展や貧困問題などが話し合われましたが、演壇に立った南米のある大統領のスピーチが、世界中に感動を巻き起こしました。8分間の熱弁が終わると、静まり返っていた会場は沸き立ち、聴衆の拍手は鳴り止むことはなかったのです。

その人は、ウルグアイ第40代大統領ホセ・ムヒカ氏(85)です。ムヒカ氏は、この演説をきっかけに一躍時の人となり、質素な暮らしぶりでも注目されました。大統領公邸には住まず、首都郊外の古びた平屋に妻のルシア・トポランスキ上院議員と二人で暮らしています。古い愛車をみずから運転し、庶民と変わらない生活、気取らない生き方を貫いたことで、いつしか尊敬を込めて、「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれるようになりました。2009年の選挙で当選し大統領となってからも、給与のほとんどを寄付していたことでも知られています。ムヒカ氏は、2015年に大統領の職を辞し、上院議員として活動していましたが、2020年10月20日に高齢と持病を理由に政界からの引退を表明しました。

数々の名言を残したムヒカ氏ですが、先人の教えに基づく、「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。」という言葉は胸に刺さります。
くしくも、SDGs「持続可能な開発目標」が、2015年の国連で全会一致で採択されました。貧困や環境、ジェンダーなど、17の目標と169のターゲットがあり、2030年までの達成を目指すとされてます。
ムヒカ氏の2012年の演説は、正にこれを先取りしたものとなっています。

本校は、今学期、生徒会を中心に「西中SDGs宣言」を行う予定です。
「SDGsー持続可能な社会の実現ー」に向けて、どのような取組が可能か、生徒たちと一緒に考えていきたいと思います。