日誌

田上教育長日誌

真岡西中学校創立30周年記念式典祝辞

10月25日(金)に真岡西中学校創立30周年記念式典が、東泉真岡西中学校PTA会長を実行委員長とする実行員会主催で開催されました。

式典開催の祝辞として次のように述べました。

                                                祝  辞

 本日は、真岡西中学校創立30周年記念式典が、かくも盛大に挙行させますこと、誠におめでとうございます。
 顧みますと、真岡西中学校が開校したのは平成2年4月です。時代は昭和から平成に変わり、バブル時代の好況期の中での開校でありました。
 当時、市内から臨む小高い丘の上に、瓦屋根を配した斬新で趣のある校舎と、丘の中腹に屹立する近代的な2階建ての体育館を配置した本校は、まさに「西輝が丘」の由来のとおり、西の丘に美しく光り輝き、大きな希望に満ちた学校であって、関係者の期待もことのほか大きかったことと思われます。
  そういった期待を一身に受け、本校は創立以来、「心身ともに健康で、誇り高い「西輝が丘」生徒の育成」を目指し、地域に根ざした特色ある教育活動を着実に展開してきました。そして、新たな歴史を刻み、連綿と伝統を受け継ぎ、国際交流をはじめとする各種行事や生徒会活動、部活動等において、輝かしい成果を収めてきました。
  中でも平成5年に始まりました台湾斗六市正心高級中学校との国際交流におきましては、昨年25周年を迎えられ、進展するグローバル化の時代にふさわしい、姉妹校相互交流という特色ある教育活動を確実に展開されておられます。
 また、昨年度と本年度は、本市が推進しておりますICT教育の導入モデル校として、電子黒板やタブレット、デジタル教材等の効果的な活用に積極的に取り組んでいただいております。
 これもひとえに、歴代の校長先生はじめ、教職員、保護者、地域、関係する皆様がたの並々ならぬ御尽力の賜物と、心より感謝申し上げます。
 さて、時代は平成から令和に変わりました。「令和」の元号は万葉集の序文「初春の令月にして、きよく風和らぎ・・・」という句からの引用で、「厳しい冬の寒さの後に見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる日本でありたい」という願いが込められているそうです。
  この「日本人」を「子供」に換えますと、「一人一人の子供が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる」ようにする営みは、教育に他なりません。ですから私たちは、この「令和」という元号に込められた願いを教育への期待と受け止め、日々の教育に取り組んでいかなければならないと思っております。
 真岡西中学校におかれましては、その令和の時代の幕開け、記念すべき元年に創立30周年を迎えられたことを契機として、より一層の充実した教育活動が展開されますことをご期待申し上げます。
 結びになりますが、真岡西中学校の益々のご発展と関係の皆様方の益々のご健勝を心より御祈念申し上げ、お祝いの言葉といたします。

                 令和元年10月25日

                                  真岡市教育委員会教育長 田上富男

「子供の助けを借りる」という発想の大切さ

 夏休みも後半に入りました。これまで各学校の適切な指導のお陰で、子供の命に関わるような交通事故や水難事故等もなく、無事夏休みが送れていますことに感謝申し上げます。
 さて、去る8月1日(木)に茨城県笠間市で、文部科学省主催「児童生徒の自殺予防に関する普及啓発協議会」が開催されました。協議会と言っても実際は、文部科学省の行政説明と九州産業大学の窪田由紀教授の講話・演習でした。私も、子供たちの尊い命を自殺から守れるならと思い、藁をも掴む思いで参加させていただきました。
 ほぼ1日の講話・演習でしたが、特に成果と言えば、「子供の助けを借りる」ということの重要性を再確認したことです。このように言いますと、「え!それだけですか」と言われてしまうかもしれませんが、実はこれは極めて大切なことです。つまり、子供のことは子供が一番よく知っていて、たとえ自殺であっても、必ずSOSのサインを周囲の子供には発信しているということです。ということは、自殺を未然に防ぐには、発信されたSOSのサインを、教師が周囲の子供からいかにキャッチするか、が決め手となります。そのための「子供の助けを借りる」ということであって、それは教師に求められる極めて重要な力と言えます。
 あと2週間で2学期が始まります。内閣府の2015年版自殺対策白書によりますと、子供の自殺が最も多いのは、2学期が始まる9月1日の前後であることが明らかになっています。これが発表になった後も、この時期になると毎年子供が自殺しており、不幸にも統計上の危機が現実となってしまっています。
 子供にとっての危機は至るところにあります。たとえ自殺であっても、決して対岸の火事ではなく身近に起こります。思春期の子供は、傷つきやすくガラス細工のような脆い一面を持っています。特に子供の深層心理は複雑で、大人には理解しがたいところがあります。だからこそ、教師はその兆候を見逃さず、適切に対応することが求められるのです。しかし残念ながら、子供がSOSを発信し続けていたにもかかわらず、それを察知できず、最悪の結果に至っていることがたびたび起きています。
 そうならないよう、子供のことは子供が一番よく知っているという認識に立ち、「子供の助けを借りる」という発想も必要です。
 明日では手遅れになる場合があります。なんらかのSOSを発信し、助けを待っている子供が目の前にいるかもしれません。教師は、そういった子供をいち早く発見し、適切な対応をしなければなりません。夏休み明けこそ、教師の力量が最大限に要求されますので、よろしくお願いします。

学校経営の勘所(芳賀郡市校長研修会講話概要)

研修会風景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7月12日(金)に真岡市青年女性会館で、芳賀郡市内の小中学校の校長先生を対象に学校経営研修会がありました。研修講師として90分の時間を頂き、「学校経営の勘所」と題して、次の6つのことについて話しました。

 勘所1  校長の仕事は職員を動かして子供を変えること
 勘所2  校長は職員への発信に神経を注がなければならない
 勘所3  人は指示や命令では動かない
 勘所4  学校経営の第1歩は距離感を縮めること
 勘所5  布石を打つ
 勘所6  校長と職員の危機意識は異なる
 これらは私自身が校長として実際に行ったことや経験したことの中で、是非とも校長先生方に伝えたかったことであって、学校経営に何かしらのお役に立つ内容と思っています。以下、その概要について順次説明します。
 
 勘所1 校長の仕事は職員を動かして子供を変えること
 私が新任校長として赴任した市貝中学校は、東日本大震災で甚大な被害を受け、校舎が使えず、隣町の廃校になった旧水沼小で生活するなど、かなり不便な生活を強いられました。学校にとって校舎が使えないことは想像以上に重大で、多くの困難がありましたが、私自身の校長としての学びもたくさんありました。その一つが勘所1で示したことです。
 部活動ができない、給食や電気がない、野ざらしの自転車置き場などの不便な生活も月日が経つにつれ徐々に改善されてきました。そしてついに、教室に待望の電気が点きました。子どもたちは歓声をあげて喜びました。
 私は、このときの喜びを単なる喜びだけに終わらせたくないと思い、朝の打合せで職員に「今こそ子どもたちに、これまでの生活の豊かさや当たり前のことが当たり前にできる幸せを話し、当たり前の生活に感謝する気持ちをもたせてほしい」と伝えました。
  すると、7月10日付けの下野新聞に、震災4か月の県内被災小中学校の状況を伝える記事が掲載され、本校の生徒が震災後の生活について「当たり前の生活のありがたさを感じる」と答えていたのです。この記事を読み、これこそ校長の仕事なんだと実感しました。
  つまり、校長の仕事は自分ではできないかわりに、職員を動かして子どもたちを変えていくことにある、ということをこのとき知ったのです。校長の意図することが職員に伝わり、職員が動いてはじめて学校経営ができるということを知りました。
 これはなんと言っても学校経営の最も大事な勘所です。校長が自ら行うことも大事ですが、それは限られています。「職員を動かして子供を変えること」これを知っていることで学校経営は大きく変わっていくと思います。

 勘所2  校長は職員への発信に神経を注がなければならない
 よく「校長は講話で勝負する」と言いますが、これは主に児童生徒や保護者向けの講話のことです。もちろんこれらは重要で、私も校長のときは毎回相当苦心しました。しかしそれ以上に、校長が重点を置き、神経を注がなければならないのは、実は職員への話なのです。なぜなら、その校長の言葉によって学校組織が動き、あらゆる教育活動が展開されるからです。そして、その教育活動によって子供が変わっていくのです。
 また、校長は職員へ話す機会も多く、それは児童生徒や保護者などの比ではありません。朝の打合せ、会議、研修等、必ず校長の一言が求められ、そこでの言葉次第で職員の意識も動きも違ってきます。
  さらに校長の言動は職員から評価されています。一人一人の職員が校長を信頼し、校長の考えに納得し、共感・共鳴して、一丸となって学校運営に当たれるかどうかは、校長の言葉次第ということになります。ですから、校長は職員への発信に最も神経を注がなければならないのです。

 勘所3  人は指示や命令では動かない
 部下職員は指示や命令では動きません。しかし、たとえ容易ではない指示や命令であっても、その背景となる状況や明確な根拠を伝えることにより、部下は屈辱感なしに受け入れるといいます。これを「状況の法則」といいます。
 校長としてむやみに無理難題を課すことは避けなければなりませんが、状況によっては負担になる仕事を依頼しなければならない場合があります。
 その実例として、隣町の旧水沼小での生活をあげました。生徒のバス送迎、職員は旧水沼小、中央公民館、市貝中と2重、3重の生活。職員の負担軽減を図り、バスの乗車指導は行っていませんでした。ところが、6月後半にバスでのトラブルが連続して発生、更には、不注意とはいえ旧水沼小のガラスを立て続けに割るなど生活全体に落ち着きがなくなってきました。私は、些細なことですが早めに対処しないと後々収拾がつかない事態になりかねないと判断し、職員がバスに乗車すること、他の職員はバスが到着時に全員で子供たちを迎えることを依頼しました。しかし、職員はこれまでの厳しい状況の中で疲れが溜まっていることも承知していました。
 そこで、これらを依頼する理由として「割れ窓の理論」を職員に示しました。割れ窓の理論とは、「窓が割れたまま放置しておくと建物全体が荒廃する。だから、初期段階で軽微な違法行為を徹底して取り締まれば凶悪犯罪も防ぐことができる。つまり、小さな犯罪を見逃すとやがて凶悪事件が横行する」という理論です。
 状況の法則に従い、指示・命令の根拠を割れ窓の理論で明示したことにより、職員には相当負担だったと思いますが、状況を理解し受け入れてくれました。
 校長として「人は指示や命令では動かない」ということを常に意識し、それ相当の根拠を示していくことは大切なことです。

 勘所4  学校経営の第1歩は距離感を縮めること
 一校目の市貝中はかつて8年間勤務したところですので、学校、保護者、地域を相当知っていました。ところが、2校目は初めて勤務する学校ですので、全く分かりません。
 そこで、私が心がけたことは、職員、保護者、地域の方々との距離感を縮めることで、これが学校経営の第1歩と考えます。特に職員との距離を縮めるためには、職員への直接のアプローチももちろん大切ですが、それ以上に、子供への働きかけ、学校の歴史、教育目標の解釈等、間接的なことが以外と効果がありますので、それらを紹介しました。
  距離感を縮めることは地道な取り組みですが、怠ると意外なところで亀裂を生じかねませんので、心得ておくとよいでしょう。

 勘所5  布石を打つ
 校長が替われば学校が変わると言われます。しかし、学校の雰囲気は1年目でも変わるかもしれませんが、教育活動そのものはそうはいきません。校長がどんなに素晴らしい構想をもっていたとしても、いきなりやりたいことができるかといったら、それは難しく、校長の思いを実現するには、その道筋を描き、必要な布石を打っていくことが大切です。
 それを中学校において教科の壁を越えた授業研究会を例に取り、次のような布石を打ったことを紹介しました。
 ① 校長室だよりによって、教科の壁を越えた授業研究会の必要性を訴える。
 ② 職員を総合教育センターと芳広教委の研修に派遣し授業研究を学ばせる。
 ③ 授業を見る一貫性のある視点(本時のねらいから見た手立ての有効性)を示す。
 ④ 校長自らが授業を行い、研修派遣の教員を中心とした授業研究会を行う。
 ①は即効性はありませんが、連続で少しずつ示すことによって浸透し、外堀を埋める効果があります。②は事を成し遂げるには校内だけで完結しませんから外部資源の活用が不可欠です。③はこの実践の本丸であって、これによって成否が分かれます。④は「隗より始めよ」で、校長は職員に強いるばかりでは事はうまくいきません。実際には1年で異動してしまったため、結果を見届けることは叶いませんでしたが、先を見通して布石を打つことは大切なことです。

 勘所6  校長と職員の危機意識は異なる
 校長と一般教員では意識がかなり違うと言えます。当然と言えば当然なのですが、それを意識して学校経営に当たれるかどうかで成否が分かれると思います。特に危機意識については、一般教員の方が遥かに低いということに注意しなければなりません。
  校長は常に全体的、多面的、複眼的に見ています。また、先を見てかなり悲観的に見ている場合が多いのです。そして、たとえ身近で起こっていなくても当事者意識をもって事態を見ています。しかしながら、一般職員はそこまではいきません。
  実際、生徒が「死にたい」と言ったとしても、担任は意外と軽く見ている感じを受けたことがあります。看過できないので、再度本人から詳しく事情を聞いたり、学級や部活動の交友関係も調べたりしたのですが、部活動での交友関係にも起因していたようで、いじめとも取れる言動もありました。こういった例をもとに、校長と職員との危機意識の違いを話しました。
 一般教員は自分とは同じではなく、危機意識は低いということを認識して事に当たることは、危機管理上極めて重要だと思います。

         

郡市校長会でこんなことを話しました。

6月4日(火)に郡市校長会がありましたが、冒頭の挨拶で、私の経験をもとに次のようなことを話しました。 

   校長は結論をもって臨む                                

 校長先生は常に判断を迫られ、日々緊張感があります。もちろん、教頭の考えを求めたり、職員の合意で結論付けたりすることもあるでしょう。時には難しい判断を強いられ、迷うことだってあるかもしれません。
 私が新任校長として市貝中に赴任して早々のことでした。東日本大震災で甚大な被害を受けた市貝中は、旧水沼小での生活を余儀なくすることになりました。そのため、市貝町中央公民館から大型バス7台で生徒を送迎することになり、4月13日から始まりました。しかし、これがそう簡単ではありませんでした。 
 生徒は朝7時50分に中央公民館集合としたのですが、最初に直面した問題は遅刻者への対応でした。職員からは、遅刻が分かるよう通学班を編成する、遅刻と分かれば職員が待って対応する、或いは、遅刻と分かった時の出発時刻をどこまで遅らせるか、等々侃々諤々の話し合いになりました。結局、この時の職員会議では決着が付かず、運営委員会に委ねることになりました。最終判断を下さなければならない校長としても難しい問題です。
 しかし、私は最初から結論は決まっていました。それは、バスは定刻通り7時50分に出発すること、遅刻者には、乗車指導の職員がその保護者に連絡、保護者が責任をもって対応すること、たとえ、仕事や車の免許がなく直接保護者が対応できなくても、タクシーを使うなど保護者自身に任せること、遅刻者については職員は一切かかわらないこと、と少々生徒と保護者にとっては厳しめのものでした。 
 それはなぜかと言いますと、旧水沼小での日課は、必要な授業時数を極力確保するため最大限考慮して作成したものですから、一人の遅刻者のためにそれを崩すわけにはいきません。また、遅刻者への対応で授業に支障を来すことがあってはいけません。それに、旧水沼小での生活は職員の負担増になっており、これ以上負担をかけるわけにはいきませんし、送迎の際の事故等も考えられます。そして、遅刻はなんといっても本人の責任ですので、その対応は基本的には保護者が当たるべきです。厳しいようですが、これらは、はっきりとさせておかなければならないと思ったからです。
    校長は結論をもって会議や話し合いに臨むべきと考えます。運営委員会でも、様々な意見が出され、私は、それらに真摯に耳を傾けました。聞くことは重要ですし、結論を修正することもできます。しかし、最後は、校長として先の結論を言いました。だからといって、職員会議や運営委員会での議論は無駄ではありません。むしろ、そういった議論は、職員の参画意識や資質能力の向上のためには不可欠です。校長は、答えをもっていて、敢えて質問することも必要でしょう。そのためにも、会議等には結論をもって臨むことが大切です。

                              

 

ICT元年 学校と市教委が一丸となって取り組みましょう!

 5月1日(水)に元号が令和に変わり、新しい令和の時代がスタートしました。ご承知のとおり、新しい元号「令和」は、万葉集「梅の花の歌」の序文「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かを)らす」からの引用です。安倍総理は会見で、「厳しい寒さの後に見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる日本でありたいという願いを込めた」と述べています。
 この言葉の「日本人」を「子供」に換えて、「一人一人の子供が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる」ようにする営みは、学校教育に他なりません。なぜなら、このように換えると、この言葉は子供たちの自己実現のことであり、それは学校教育の目指すべき働きであるからです。これを教育基本法では、第5条第2項において「義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い」と謳っています。
 ですから、「令和」の元号に込められた願いを、私たち教育関係者は学校教育への期待と受け止め、これからの21世紀を生きる子供たちのために更なる教育の充実・発展に努めていかなければならないと思います。
 本市においてもその願いを実現すべく、今後一層進展することが予想されるグローバル化や情報化への対応を鑑み、「ふるさと真岡を愛し、世界で活躍する真岡っ子の育成」を目指し、様々な施策を展開しています。
 特に、昨年度から取り組んでいるICT教育においては、市内小中学校全ての普通教室、特別支援教室、理科室に65インチのモニター一体型電子黒板を完備しました。ICT導入モデル校の真岡東小と真岡西中はもちろんのこと、全ての学校でこれらの機器を活用した授業づくりに取り組んで頂いております。今年度はタブレットやデジタル教科書も順次配備し、ICT教育のための学習環境を整えていきます。
 こういった取組みを踏まえ、年頭所感では「授業改善ではなく授業改革」と称して、ICT機器を活用した授業づくりに本腰を入れて取り組みたい旨、お伝えしました。さらに本年度中には、教職員の事務処理の負担が軽減できるよう、統合型校務支援システムを全校配備することになっています。
 そこで本市においては、令和元年に因んで本年度を「ICT元年」と位置付け、ICTを積極的に活用した学校づくりに、学校と市教委が一丸となって取り組んでいきたいと思っております。各学校におきましても、「ICT元年」を合い言葉に積極的なICT機器の活用をお願いします。

教師は教えることのプロです!

 教師は教えることのプロです。これには誰もが異論はないでしょう。では、「プロの教師」とはどのような教師を言うのでしょうか。採用試験に合格し、赴任した学校で授業や学級担任等を受け持てばプロの教師となったことになるのでしょうか。もちろん否で、プロの教師となるにはそれ相当の条件が必要です。
  であれば、その条件とは何でしょうか。これについては諸説ありますが、少なくとも次の4つの条件はプロとして必須のものと考えます。
   まずは「専門性」です。当たり前のことですが、プロの教師は高い専門性を有していなければなりません。学習指導だけでなく学級経営や児童・生徒指導等の専門性も必要です。ところがこれらは、知識や技術だけでなく教師の肌感覚も要求されますので、容易に会得できるものではありません。相当の経験と研修が必要になります。教師は反省的実践家と言われるように、実践し省察し自己研修によって更に深めていく営みが求められるのです。
    次に「研究心」です。「研究なき実践は停滞する」と言われますように、研究し理論に裏付けられた実践でなければ、単なる独りよがりに過ぎず、成果は得られません。プロのスポーツ選手やプロの小説家など、世の中でプロと名の付く人たちを見れば分かるように、全てが旺盛な研究心に支えられています。教師にとっても当然それは欠かせません。
    そして「成果」です。これはプロにとって絶対的なものですが、残念ながら教師の意識は極めて低いと言えます。しかし今や、学力向上が県や市町の人口減少対策の一施策となるなど、教育が学校だけの閉じた世界で論じられる問題ではなくなってきています。それに相まって、現在は評価の時代とも言われ、成果主義が席巻している中では「成果」は避けて通れないのです。
    最後に「責任」です。結果について常に「責任」が問われるのがプロです。が、これについても教師の意識が低いと言わざるを得ず、一抹の不安を抱いています。教科担任であれ学級担任であれ、一人一人の子供を1年間責任をもって教え導かなければならないのですが、できているでしょうか。また、組織人としての責任も同様です。
    以上、私の考える「プロの教師」について述べましたが、「あらゆる教育論は教師論に行き着く」と言われるように、いつの時代でも教育の成否はその直接の担い手である教師に係っています。現在の芳賀地区は大量退職の時代にあり、経験年数の少ない教師が増えていますので、一人一人の教師の資質能力の向上がこれまで以上に求められています。だからこそ、誰もがプロ意識を持って取り組むことが大切であり、そのためには「専門性」「研究心」「成果」「責任」の4つの条件を具備することが重要と考えています。

 

異動は最大の研修である

 毎年、春の訪れと共に人事異動の季節を迎えます。教職員であれば異動は避けて通れないことではありますが、長年勤務し愛着のある職場を離れることは誰でも寂しいものです。また、異動先でうまくやれるかなどと、一抹の不安も付きまといます。
  私自身40歳半ばから、3年、2年、2年、2年、1年、3年、1年、そして現在と、小刻みな異動を転々と繰り返してきました。異動した先々では、当初電話一つ取ることができず、悪戦苦闘の連続でした。しかし、どの職場でもある一定期間を過ぎれば、それなりにその職場に馴染んで仕事も行うことが出来るようになっていました。これは皆さんも同じことだと思います。我々教職員はこうして一つ一つ仕事を身に付け、自分自身のキャリアを形成していくのです。
 それ故、「異動は最大の研修である」と言われています。新しい職場は元の職場と多かれ少なかれ勝手が違い仕事も異なりますから、自分自身の能力開発のチャンスになるというわけです。人事異動では、主に次のようなことが期待されています。
① 気分一新して新たな気持ちで仕事を行うことができる。
② 新しい業務に就くことによって、自分自身のキャリアを形成することができる。
③ 学校文化・風土の違いから、たとえベテランでも新たなことを学 ぶことができる。
 ずっと同じ職場では、どんなに気を付けていても慣れが生じたり、仕事に対する固定観念が生じたりして、自己向上の妨げとなる場合があります。そのため、異動は自分の能力開発のために与えられた絶好の機会と捉えることが大切です。今回異動になる教職員の皆さんには、「異動は最大の研修である」ということを肝に銘じて、4月から新し職場での一層の活躍を期待します。

交通事故は自ら注意しないと防げない

 立春が過ぎて、春の息吹が感じられる時節になって参りました。学校では年度末の卒業式や修了式を控え、1年間の学校運営の最終段階に入ります。そこでこれからの時期、特に注意しなければならないのは子供の事故です。
 消費者庁の調べによれば、公園や学校、商業施設などにある遊具での子供の事故は、三月から五月に増える傾向があるといいます。子供の事故は、暖かくなるこれからの時期に発生しやすくなる、ということを知っておかなければなりません。
 また、中学校では、進路が決定した3年生は緊張感から解放されます。1・2年生にあっては、部活動もこれといった大会等がなく目標が見えない時期であり、学年末テストが終わると、それ以上に緊張感がなくなると思われます。それに相まって春の陽気も手伝い、子供だけでなく大人も気が緩みがちになるのがこれからの時期です。ですから、たとえ自らの過失がなかったとしても思わぬ事故に遭う危険性があります。
 3年前に某市で発生した交通事故がまさにそれでした。その事故は、卒業式を1週間後に控えた3月1日の放課後に起きました。市内の中学3年生が信号機のある交差点を自転車で横断中、左折するタンクローリーに巻き込まれてしまいました。生徒は頭を強く打ち、間もなく死亡するという痛ましい事故となってしまいました。
 事故の原因は、ドライバーが横断中の生徒に気付かなかったことのようですが、この事故に限らず、横断中の歩行者等を巻き込む事故は幾つも発生しています。日常的に運転しているドライバーであれば、信号機のある交差点で右左折する際に、横断中の歩行者等に気付くのが遅れ、ハッとした経験は1度や2度はあることでしょう。ましてや、春が近付きつつあるこれから時期です。危険度は増してしかるべきです。
 交通事故は、いつ、どのような形で起こるか分かりません。たとえ交通ルールを守っていても事故に遭う危険性はあるのです。事故防止には、信号無視等の違反行為や飛び出し禁止だけでなく、このことも子供たちに十分認識させておく必要があります。
  特に、信号が青だからといって全く左右を確認せず横断する自転車を見かけますが、危険です。最近起きた生徒の自転車事故の中にも、青信号で横断中に車と接触している事故が散見します。もちろん、いずれも車側の過失なのですが、自転車側で左右確認していれば防げた事故でもあります。
 改めて、交通事故は自ら注意しなければ防げません。特に信号機のある交差点では正しく横断していても事故に遭う危険性がありますので、横断する際は信号が青になっても、もう一度左右確認する危機意識を子供たちに持たせてほしいと思います。

「授業改善」ではなく「授業改革」

 新年あけましておめでとうございます。平成31年がスタートしました。今年は亥年です。「亥」は十二支の中で最後の年です。偶然にも「平成」も最後となります。「終わりよければすべしよし」となるよう、先ずは元号が変わる5月までを有終の美で飾りたいものです。そして新元号の下、新たな時代の幕開けに相応しい飛躍の年にしたいと思っています。

2019干支

 そこで、今年はICT機器を活用した授業づくりに、本腰を入れて取り組んで行きたいと思います。
 本市では昨年末までに、市内小中学校全ての普通教室、特別支援教室、理科室に65インチのモニター一体型電子黒板を完備しました。今年から来年にかけてタブレットやデジタル教科書等も配備し、ICT教育のための学習環境を整えていきます。
 現在、真岡東小学校と真岡西中学校がICT導入モデル校として、これらの機器を活用した授業づくりに取り組んでおります。早速、昨年10月17日(水)には石坂市長をはじめ市教委で、12月13日(木)には市議会でモデル校を訪問し、授業を参観しました。どの授業もICT機器の活用が図られ、子供たちも意欲的で能動的な授業が展開されていました。
 中でも、私が見たグループ活動の授業では、タブレットと電子黒板が効果的に働いていました。その授業では、教師がワークシート等の電子データを各グループのタブレットに配信し、一斉に指示しました。グループでの話し合いでは、その内容をタブレットに整理すると、各グループの状況が電子黒板に映し出され一目瞭然となります。教師はそれを基に指導・助言していました。また、発表はタブレットと電子黒板を使って行っていました。発表者が追加の書き込みもできますし、教師が電子黒板に直接書き込みもできます。
 この授業を見たのは10月17日(水)です。タブレットや電子黒板を配備してから2か月も経ってないときの授業ですから、機器の機能のほんの一部を活用したに過ぎないでしょう。にもかかわらず、従来では考えられなかったような授業が展開できるのです。ICT機器には多種多様な機能が備わっています。活用次第で相当効果的な授業ができます。
  これは「授業改善」というよりは「授業改革」だと思います。「改善」はより良く改めることで、現状の延長線上で方法や手続きを変えることです。これに対して、「改革」は改め変化させることで、将来志向から考え方を変革することです。(日本能力協会「知恵ぶくろ・べからず集」より)
 昨年6月のICT機器導入の際には、これからの国の教育環境整備の動向を見据え、「デジタルが主でアナログは従」という発想の転換の必要性を強調しました。それはまさに「将来志向から考え方を変革すること」であって、授業づくりにおいては、「授業改善」ではなく「授業改革」を進めていかなければならないと考えております。


 

教師は子供に夢を与える職業 それを忘れないでほしい

                               

  かつては「聖職」とまでいわれた教師の仕事ですが、現在はその「ブラック化」が大きな問題になっています。こうした状況の中で、子供たちは教師という職業をどのように見ているのでしょうか。
 (株)クラレが小学校6年生を対象として毎年行っている、将来就きたい職業を尋ねたアンケートの今年度の結果が新聞等で報じられています。(アンケートは今年の1月から3月、ランドセルをアフガニスタンに寄付する活動に協力した子供たちを対象に実施)
 それを見ると、教師は男女とも3位にランクされ、将来就きたい職業の上位にあることが分かります。男の子を見ると、スポーツ選手、エンジニアに次いで教師が入っています。女の子では、医師、看護師に次いで教師が入っています。因みに、昨年度の女の子のトップは、医師を押さえて教師でした。 
 この結果を見る限り、子供たちは教師という職業を将来就きたい憧れの職業と見ているようです。
  そういえば、管理訪問の初任者との面談で、「どうして教師になったのですか」と尋ねると、「当時の担任や部活動の先生に憧れて」と答える初任者が多いことを思い出します。
 初任者だけではありません。手元に、ある学校の広報だよりがあります。その中に「どうして先生になったのですか」という質問に対する教師の答えが掲載されています。17名中6名の教師が「当時の担任や部活動の先生に憧れて」と答えています。現職の教師の多くが、当時の先生の影響を受けて教師の道を志したのではないでしょうか。
  教師という職業は、いつの時代も子供が憧れる職業、子供にそういった夢を与える職業なのです。にもかかわらず、わいせつや体罰等の教師の不祥事は後を絶たず、つい先日も本県の中学教師が酒気帯び運転で逮捕されるという事案が発生しています。表沙汰にならないまでも、教師の不用意な言動により、子供が傷付き信頼を失うという場面は多々見られます。社会的風潮としても、学校バッシング、教師バッシングがはびこっている現状があります。とはいえ、子供たちは教師を憧れの職業と見ているのです。このことは教師として絶対に忘れてはいけません。教師は子供に夢を与える職業なのです。それを忘れずに、自信と誇りをもって教師の仕事に打ち込んでもらいたいと思います。

子供の心に寄り添う教師が求められているのですが・・・

 9月2日付け下野新聞『日曜論壇』に掲載された、獨協医大公衆衛生学教授小橋元(げん)氏の「心に寄り添い救う社会に」を読んで感銘を受けました。
 小橋氏は、学生時代に多くの治らない患者と接したことから、病気になる前の予防を考えるようになったといいます。そして、臨床の場で病気の予防ができるのは、産科の妊婦検診と母親教室と気付き、産婦人科医になることを決心します。しかし、自分が男である以上、産婦人科を受診する女性の気持ちは分からないことを知り、愕然とします。そこで氏は、少しでも女性の気持ちを分かろうとして自ら試みたことを次のように書いています。

 私は、夜中の誰もいない分娩室で分娩台に上がってみたことがある(もちろん下着も取って)。また、初めて働く病院では、いつも朝早く病院の正面玄関から受付を通って外来へ行き、待合室のベンチに腰掛けてみることが習慣だった。たとえば外来で昨晩からの腹痛で来院した患者さんに会ったとき、「昨晩からどんな気持ちで過ごして、今朝はどんな気持ちでどんな景色を見ながらこの外来に訪れたのだろう」と具体的にイメージしながら診察をする。患者さんと同じ境遇にはなれないが 「患者さんの心に寄り添おうとす」る気持ちが、患者さんの不安を和らげ、患者さんを救うと信じていた。

 体験しなければ分からないことがあります。と言っても、絶対に体験できないこともあります。その最たるものが男性が妊婦になることでしょう。しかし小橋氏は、自ら分娩台に、しかも下着を取ってまでして乗るなど、患者と同じ状況に自らを置くことを試みます。もちろんそれで、患者の気持ちが理解できるということではありませんが、そうすることが「患者の心に寄り添う」気持ちの表れで、それがあるからこそ患者の不安を和らげ救うことができるというのです。なんとすばらしいことでしょう。医者の鑑と言えます。
 翻って、教師も今ほど子供に寄り添う指導が求められているときはないでしょう。しかも、小橋氏とは違って、どの教師も子供時代があって学校生活を経験しているのですから、子供の境遇が分かるはずです。にもかかわらず、教師になった途端に子供の立場を忘れ、「指導」という美名の下、多少難しいことでも一律に子供に強いる教師がいます。
 かつてのように「子供の共通性を前提とする学校」であればそれでも通ったかもしれませんが、今や学校は、「子供の多様性に応答する学校」への転換が求められているのです。だからこそ、子供の心に寄り添う教師であってほしいと思っています。

ルールは教えるものです!

 公園で4人の子供がかくれんぼを始めました。ひとりが「おに」になり、私の近くにある木の下で、「1、2、3・・・」と数え始めました。そして10数えた後、「もーいいかい」と何度か聞きました。隠れた子供たちから「まーだだよ」と最初は返答があったのですが、その後なくなったので、「おに」の子供は隠れた3人を探し始めました。
  少し経った後で、「○○ちゃん、みーつけた!」と声がしました。その後、しばらくして3人全員が見つかりました。
 私は、次の「おに」となる子供がこちらに来るのだろうと待っていましたが、いつまで経っても来ませんでした。気になったので様子を見に行くと、4人の子供たちは別の遊びをしていました。不思議に思ってひとりの子供に聞いてみたところ、誰も「おに」をやらないからかくれんぼは止めてしまった、とのことでした。
 えっ、誰も「おに」をやらない・・・? 驚きました。次の「おに」は一番最初に見つかった者がなる、というのがかくれんぼのルールではなかったでしょうか。このルールはどこへ行ってしまったのでしょうか。
 おそらく、この4人の子供は誰からもそのルールを教わっていないのです。私の子供の頃は、近所のほとんどの子供が空き地に集まって一緒に遊んでいました。かくれんぼもその中で行われ、初めて加わった子供には年長の子供が教えたと思います。今の子供はそれがないのです。だから、かくれんぼのルールも知らない。知らないからこのときのように、最初に見つかった子供でも「おに」が嫌なら拒否することができ、他の子供もそれを無理に通そうとしないため、そこでかくれんぼが終わってしまったのです。
 ルールは教えなければ分かりません。分からなければできないのは当たり前です。
 昨今、子供の規範意識の低下が問題視されています。規範意識とは、道徳、倫理、法律等の社会のルールを守ろうとする意識のことで、規範は社会のルールです。ルールであれば、教えなければ子供は分からないのです。
 以前のように、家庭や地域の教育力が確かなものであれば、そこで子供は教えられたので学校の出番はなかったと言えます。しかしそれが以前ほど期待できない現在、「社会のルールを教える」という役割を担うのは学校以外にありません。構図は冒頭のかくれんぼと同じですから、しっかりと教えなければ、規範意識は益々低下してしまいます。

何を言ったかではなく、どう受け取られたか

9月4日(火)に芳賀郡市小中学校校長会がありまして、パワハラ問題で揺れている体操界を取り上げ、次のような話をしました。

 体操協会がパワハラ問題で揺れています。去る8月29日(水)体操女子の宮川紗江選手が都内で記者会見を開き、パワハラを受けたことを明らかにしました。宮川選手は、日本体操協会の塚原千恵子女子強化本部長と塚原光男協会副会長から、速見コーチの暴力について「認めないと厳しい状況になる」と強要され、また、五輪強化プロジェクトへの参加を拒むと「オリンピックに出られなくなる」などと圧力をかけられたと主張しました。
    これに対して塚原女子強化本部長は猛反発、「宮川選手は嘘も言っている。高圧的な話し方はしていない」と、発言の一部は認めたもののパワハラは全面否定しました。
    またしても、「やった」「やらない」、「言った」「言わない」の水掛け論になってしまっています。得てしてこの類いの問題は、勃発すると最初はそうなってしまいます。なぜでしょうか。それは、問題の根源にあるのは、何をやったかでもなく、どう言ったかでもなく、どう受け取られたかにあるからです。本人の受け取り方次第で、事の成り行きは相当違ってくるということです。ですから訴えられた方は「身に覚えがない」と最初は反論するのですが、最後は「どう受け取られたか」の方に軍配が上がってしまいます。
    直近で起きたパワハラ問題を取り上げましたが、身の回りにはこのような問題が頻繁に見られます。例えば、教師が無意識に言った言葉に子供が反応し、それが保護者に伝わり、大きな問題になってしまったなど、いくつかのケースが抵抗なく浮かぶと思います。
 だからこそ、学校ではこういったことがないよう防がなければなりません。それには、教師が子供との信頼関係を築き、軽率な言動を慎むことが何よりも大切です。そのために知っておいてほしいのは、言葉は言葉だけで伝わるのではないということです。言葉は必ず表情や態度を伴って伝わります。ですから、相手にどう受け取られるかは、言葉以上に表情や態度によって左右されてしまうことがあります。このことはメラビアンの法則というのが示しています。
 メラビアンの法則とは、アメリカの心理学者アルバート・メラビアンが話し手が聞き手に与える影響を、視覚情報55%、聴覚情報38%、言語情報7%と数値化し表した概念です。これによると、聞き手は話し手の言葉(言語情報7%)よりも遥かに、表情や態度(視覚情報55%)に影響を受けることが分かります。ですから教師は、子供や保護者と話す時には、「どう受け取られるか」も意識し、言葉はもちろん、表情や態度にも注意しなければいけないのです。これは教師にとって極めて重要なことですが、どれだけ認識されているでしょうか。

悉皆調査で大切なのは個への対応


 去る7月31日(火)に全国学力・学習状況調査の結果が公表されました。昨年から都道府県の平均正答率は整数値で公表されているにもかかわらず、未だ全国の順位がマスコミや新聞紙上を賑わしています。しかし、見逃してはならないのは、各都道府県の平均正答率の差が極めて小さいということです。小学校で言えば、最下位の県と全国の平均正答率の差は、国語A2.9、国語B2.8、算数A2.7、算数B2.7、理科2.4で、いずれも3ポイント未満です。(但し、全国平均正答率は小数第1位まで公表、都道府県は四捨五入して整数値で公表のため、最大で3.4ポイントの差の可能性はあります)全国学力・学習状況調査が実施されて今年で12年目になりますが、年々各都道府県の平均正答率の差が縮まってきています。
 既にとちぎっ子学習状況調査と真岡市総合学力調査の結果は出ていますから、これで全ての結果が揃いました。平均正答率に一喜一憂するだけでなく、3つの調査結果をもとに今後次のような取組が必要になります。
 ① 児童生徒に調査問題を再度復習させる。
 ② 児童生徒一人一人の結果を把握し、個に応じた指導をする。               
 ③ 学級・学年の結果を分析し改善プランを作成して実行する。
 ④ ②と③においては、小学校では3年から6年、中学校では1年から3年の学年のつながりを考慮し、学力向上のPDCAサイクルを確立できるようにする。
 ここで特に大切なのが②です。それは、いうまでもなく学力調査の目的は学力向上です。つまり、調査結果をもとに児童生徒一人一人の現在の学力を把握し、それを更に向上させることなのです。そのための悉皆調査であって、学力の傾向を見るためなら抽出調査でも間に合います。したがって、児童生徒一人一人への学力向上の指導が重要になります。とちぎっ子学習状況調査と真岡市総合学力調査の結果には、児童生徒の答案のコピーが添付されています。答案の再確認ができますし、結果表だけでは見えない誤答分析も可能になります。
 また、これら3つのテストの実施により、小学3年から中学3年までの学力調査のデータが得られることになります。これは④で示したように、学校としての学力向上のPDCAサイクルとともに、児童生徒一人一人の学力向上のPDCAサイクルの確立にも役に立ちます。
 実のところ、全国学力・学習状況調査は小学6年と中学3年の卒業学年実施ということもあり、個への対応はなおざりにされたきらいがあります。しかし、とちぎっ子学習状況調査と真岡市総合学力調査の実施により、上述のような個の学力向上のPDCAサイクルの確立が可能になります。
 真岡市総合学力調査は11月にも実施しますので、よりきめ細かな児童生徒の学力の把握ができます。悉皆調査で大切なのは個への対応です。各学校での適切な指導をお願いします。

「デジタルが主で、アナログは従」という発想の転換

 
 去る6月19日(火)に議会が閉会しました。今回の議会では6月の補正予算も審議され、教育委員会関係ではICT教育の予算が可決されました。これにより、小中学校の全ての普通教室、特別支援教室、理科室に1台ずつ電子黒板が設置されることになります。また、次年度までには、小学校の学級担任と中学校の教科担任に1台ずつタブレットを配布するとともに、児童生徒分として、小学校ではパソコン教室のパソコンを児童1クラス分のタブレットに入れ替え、中学校ではパソコン教室のパソコンの他に生徒1クラス分のタブレットを配備します。さらに教員へのタブレット配布に併せて、デジタル教科書の導入も進めていきます。
 このようにICT機器を完備し学習環境を整えるのは、何を隠そう授業を変えるためです。が、一抹の不安もあります。それは、言うまでもありませんが、大きな予算を投入したにもかかわらず、活用が十分されないということです。
 かつて、中学校にはどこの学校にもLL教室というのがありました。主に英語学習で使うのですが、アナライザーも設置されており数学の授業などでも使うことができました。設置には相当の予算が必要だったと思います。しかし、ほとんど活用されず、宝の持ち腐れとなってしまいました。これは典型的な例としましても、学校では得てしてこの傾向にあります。それは、「授業は黒板とチョーク」というアナログ的考えが根強くあるからです。
 だからこそ、同じ轍は踏んではいけないのです。そのためには、全ての教師が「デジタルが主で、アナログは従」という発想の転換が必要です。つまり、従来ならば「授業のどこでICTが使えるか」という発想でICT教育を考えていたものを、ICTで授業を行うことを前提として、どうしても黒板を使った方が効果があるというところだけは黒板を使うという「授業のどこで黒板が使えるか」という考え方に変えなければならないのです。
  文部科学省も、新学習指導要領の全面実施に向けて、学校のICT環境の整備を進めていくことが喫緊の課題としています。2020年から導入されるデジタル教科書は、現時点では紙の教科書とデジタル教科書の併用としていますが、いずれ必ずデジタル教科書が必須となり、ICTを活用した授業が主流となることは間違いありません。今回のICT機器の導入は、本市において時代を先取りする絶好の機会と捉えています。そのためには、電子黒板やタブレットを使ったデジタル授業が主で、黒板とチョークのアナログ授業は従という発想の転換が絶対的に必要だと考えます。

校長のリーダーシップとは

5月21日(月)に真岡市小中学校長会があり、校長のリーダーシップについて次のように話しました。

 校長にはリーダーシップが大切であるというのは当たり前のことです。ならば、リーダーシップとは何でしょうか。実はリーダーシップの定義は学者の数だけあると言われ、一つに確定するのは難しいのです。時のリーダーの置かれた環境や立場、やるべきことがそれぞれ異なることから、様々なリーダーシップの定義が生まれるのは至極当然のことです。だとしたら、「校長のリーダーシップ」はどう定義したらよいのでしょうか。
  独立行政法人教員研修センター(現:教職員支援機構)の組織マネジメント研修では、「目標・経路理論」というのを取り上げています。これは「優秀なリーダーは、集団が目標に向かって活動する過程で、直接働きかけて集団のまとまりや個々のメンバーのやる気を促すに留まらず、到達地点を定め、そこに至る道筋を明確にし、仕事のしくみや構造を創り出す」というものです。この理論は、校長がリーダーシップを発揮する上で、何をやるべきかを明確に示しています。それは次のように捉えることができるからです。
 先ずは「方向性を示す」ということです。理論では「到達地点を定め、そこに至る道筋を明確にし」とあります。これはリーダーとして絶対的なものであり、組織が向かう方向をスローガンや合い言葉で簡潔に表すことも大切です。また、問題等の発生時には、解決に向けた方向性を的確に示していくことがリーダーには求められます。
 次に「環境を整える」ということです。理論では「仕事のしくみや構造を創り出す」とあります。これは、組織目標を達成するために、必要な組織づくりや体制づくりをすることです。リーダーは「舞台を作る」と言われていますが、それはこのことです。
 そして「積極的に働きかける」ということです。理論では「直接働きかけて集団のまとまりや個々のメンバーのやる気を促す」とあります。職員を把握し、適宜・適切な働きかけをすることがリーダーには欠かせません。
  マネジメントが校長が担う機能であるのに対して、リーダーシップは校長の行う行為そのものです。ならば何をするかがリーダーシップで、「方向性を示す」「環境を整える」「積極的に働きかける」という具体的行動を知っていなければ実行はできません。

次代の校長・教頭を育てることが課題

 平成30年度がスタートしました。本市では3月末をもって4つの小学校が閉校になったため、小・中学校合わせて23校でのスタートとなりました。4月4日の市小・中学校長会総会では、これからの芳賀地区の管理職の状況を考え、次のように話しました。
             
             次代の校長・教頭を育てなければならない

 前回の教育長室だよりでは、校内人事の視点から人材育成の重要性について述べました。実は、「人材育成」と言いましても、現在の職務に必要な資質能力を身に付けさせることと、将来的に必要な資質能力を身に付けさせることの2通りの人材育成があるのです。
 例えば、授業力の向上を目的として行う授業研究会は、現在の職務に必要な資質能力を身に付けさせるものですから、前者に当たります。これに対して、将来の管理職候補としてのリーダー育成は後者に当たります。特にリーダー育成は、本来、人材を「選抜」することから始めますから、全ての教職員を対象とするわけではありません。つまり、「人材育成」と言っても、教職員を育てることとリーダーを育てることは異なるということです。
  大量退職・大量採用の真っ只中にある芳賀地区におきましては、全ての教職員がその職務を遂行する上で必要な資質能力を身に付けさせることと併せて、リーダーの育成も不可欠になってきています。
 芳賀地区の今後3年間に退職する校長・教頭の人数と、それに伴って誕生する新任校長・教頭の人数を見ますと、この3年間では、新任校長36名、新任教頭45名、合わせて81名の管理職が新たに誕生することになります。校長においては、3年間で43名中36名が新任校長に入れ替わることになります。ということは、現在の教頭と教務主任、あるいは主任層の中から、この3年間に81名の先生が校長・教頭として昇任されることになります。
  ところが学校では、教職員の資質能力の向上を目指し、校内研修の充実は図られているものの、リーダーの育成には意識が薄いのが現状です。したがって、次代の校長・教頭となるリーダーの育成がこれからの大きな課題と言えます。そのためには先ずは、対象者への意識付けを図らなければなりません。そして、これまでのような、対象者が研修や上司の姿勢から学ぶリーダー育成のスタイルに加えて、校長先生自らがお手元に配布した参考資料等を基に対象者に積極的に働きかけていただき、次代の校長・教頭を育ててほしいと思います。
 <参考資料>『月刊高校教育』2013年6月号「校長は次世代のリーダーをどう育てるか」

 

新指導要領は教室の前で止まっている

 昨年3月に告示された新しい学習指導要領も、1年間の趣旨等の説明を経て、この4月から移行措置期間に入ります。また、「特別の教科 道徳」も小学校でスタートします。学校では、これらの準備は大丈夫でしょうか。    
  かつてから「教育改革は校門の前で止まっている」と言われ、「新指導要領は教室の前で止まっている」と言われています。どんなに教育改革、学校改善と言われていても、学校へ行ってみれば旧態依然のままで、同じような問題が発生し後を絶たない。教室を覗いてみれば、なんら変わり映えのしない通り一遍の授業が行われ、新指導要領の「し」の字も感じられない、という状況を揶揄した言葉です。これは極端に書いたのですが、あながち言い過ぎとも言えないかもしれません。
  それは、合同訪問の際に学校経営概要を見せてもらいますと、新課程になっても文言が旧課程のままという学校も散見します。そういう学校は授業も同様で、新課程の趣旨に沿った授業が展開されていないことがほとんどです。
 それに今回は心配なこともあります。昨年の夏休みの中堅教員研修会では、新指導要領作成に直接携わった文部科学省の担当官の講話を設定しましたが、その必要性を否定するような酷評が複数ありました。これからの芳賀の教育を担う30歳代後半の教員が、告示された4ヶ月後に、普段聞くことができない文部科学省の、しかも、その作成に携わった担当官の話に価値を見出せないという体たらくでは、先が思いやられます。
  今回の学習指導要領は、従来にも増して大きな改訂と言えます。これからの21世紀を生きる子供たちに必要な資質・能力を身に付けさせるために、これまでの教科内容重視の構成から、育てたい資質・能力まで言及し、その方法も示しています。資質・能力は本来、教科の枠を越えて横断的・総合的に育むものですから、これまで以上にカリキュラム・マネジメントが重要になってきます。また、子供たちに生きて働く力となって身に付くよう、「主体的・対話的で深い学び」を通した授業改善も求められています。
 では、「主体的・対話的で深い学び」はどのような授業展開になるのでしょうか。ちょっと前までは「アクティブ・ラーニング」と言い、グループ学習が頻繁に行われていましたが、それでよいのでしょうか。等々、新指導要領の趣旨を理解し実践に至るまでには距離があるのではないでしょうか。このようなことを踏まえ、各学校における移行期への準備を宜しくお願いします。

立志を迎えた皆さんへ

 立志を迎えた中学2年生の皆さん、そして保護者の皆様、おめでとうございます。
 立志式とは、武士の社会で行われていた「元服」の儀にちなんで、14歳になったことを祝う式のことです。元服とは、奈良時代以降、成人を示すものとして行われる儀式のことで、通過儀礼の一つになっていました。つまり、この時代では、14歳になると大人の仲間入りをしたということになります。現代では20歳に行われる成人式が大人の仲間入りをする儀式ですから、「立志」とは文字通り「志を立てる」ことであり、この時期に立志を迎える意義は大きいのです。
 と言いますのは、14歳という時期は、3年生への進級を控え、自分の進路や生き方について、これまでを振り返り、これからどのように生きるか、新たに誓いを立てることが必要な、節目となる時期だからです。ですから皆さんは、それぞれが立志の誓いとして、将来の夢や希望を真剣に考えて「誓いのことば」に表したと思います。そして、式では堂々と発表されたと思います。
 元東京大学の総長で、政治学者であった南原繁(なんばら しげる)氏は、「夢や理想は単なる抽象的な概念ではない。必ず実現の力となって働くものだ」と言っています。つまり、夢や理想を持つこと自体に意味があって、それは実現の原動力となるからだと言っているのです。
 皆さんが生きるこれからの21世紀は、一層情報化やグローバル化が進むと思われます。
変化の激しい、先行き不透明な時代とも言われています。そのような中だからこそ、大きな夢をもち、高い理想を掲げ、その実現のために強い意志をもってやりぬいていただきたいと思います。意志あるところに道は開けます。皆さんの輝かしい未来を祝福いたします。
 結びに、保護者の皆様に一言お願い申し上げます
 お子様は、14歳を迎え、思春期前期に入り、人生において最も多感な時期に差し掛かります。この時期は、自発性が高まり、自ら考え、判断し、目標に向かって努力できる時期でもあります。勉強や部活動に、「目標をもってがんばる」という、人生における基本を身に付けることが大切な時期になります。学校ではその基本を身に付けられるよう、勉強や部活動指導を行っております。保護者の皆様にも、一層の学校へのご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げ、お祝いの言葉といたします。

ふるさと真岡を愛し、世界で活躍する「もおかっ子」の育成

                   

 新年明けましておめでとうございます。新しい年平成30年がスタートしました。今年は戌年です。犬は社会性があり忠実な動物で、古くから人間とともに暮らしてきました。その性質から「勤勉」で「努力家」の象徴でもあり、地道な努力によって成果が上げられる年ということもできます。私は戌年生まれ、今年は教育長として3年目を迎えます。
 さて、昨年3月には新しい学習指導要領が告示され、これからの21世紀を生きる子供たちに必要な資質・能力やそれを身に付けるための教育内容等が示されました。4月からは全面実施に向けての移行期間に入り、新しい教育課程への新たな取り組みがスタートすることになります。
  本市におきましては、昨年5月に石坂新市長が誕生し、「JUMP UP もおか ~だれもが『わくわく』する街づくり」のスローガンの下、まちづくりの基本戦略として、5つのプロジェクト、32の施策が打ち出されました。その1番目に「こどもの元気な成長プロジェクト」があり、学力の向上、ICT教育の推進、英語教育の充実、体力アップ、次世代リーダーの育成の5つの施策が挙げられています。
  これらを受け、各施策等の確実な推進とともに、今後一層進展することが予想されるグローバル化や情報化を鑑み、本市教育の目指すべき姿として「ふるさと真岡を愛し、世界で活躍する『もおかっ子』の育成」をスローガンとして掲げることにしました。
  グローバル化の時代、これからの子供たちには世界に視野を広げ、世界で活躍できる資質・能力を身に付けさせることが極めて大切になります。一方で、地方創生の時代でもあり、地域活性化のため郷土愛を育むことも欠かすことができません。昨年ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏の小説には、生まれ故郷の長崎や日本への思いが切々と綴られています。世界的に活躍しているイシグロ氏であっても、原点はふるさとにあって、それが旺盛な創作活動の原動力となっているといいます。
 郷土愛に満ちたグローバルな人材の育成は、我が国はもちろんこと、我がふるさと真岡を発展させるため今後ますます重視され、まさにこれからの時代に求められる教育と言っても過言ではありません。本市におきましても、「ふるさと真岡を愛し、世界で活躍する『もおかっ子』の育成」のスローガンの下、本市教育の更なる発展・充実に向けて、微力ではありますが全力で取り組んで参りたいと思いますので、今年もご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。