日誌

田上教育長日誌

リーダーは節目での言葉が大切です!

 平成29年「教育の質を高める」
 平成30年「ふるさと真岡を愛し、世界で活躍する真岡っ子の育成」
 平成31年「[授業改善]ではなく[授業改革]」
 令和2年「県内トップレベルの教育環境で県内トップレベルの学力を目指す」
 令和3年「感染防止の徹底と教育の質の保障」
 令和4年「ICT教育第2ステージ 日々の授業の質を高める」

 これらは教育長に就任して以来、毎年発信してきた年頭所感のタイトルです。年頭所感は毎年元旦の10時にホームページ上で公表し、1月の校長会でも発表しています。
 「1年の計は元旦にあり」と言われますが、1年のうちで最も大切な節目に当たる元旦に、新年の抱負や目標を広く公表することは、教育長として果たすべき責任と考えています。ですから、年頭所感で何を述べるかは非常に重要で、その年あるいはこれからの本市学校教育の目指すべき姿を想定し、熟慮に熟慮を重ねて公表する原稿を整えました。とりわけ、その中身をひと言で表すタイトルにはこだわり、1年間を貫き色褪(あ)せない「節目の言葉」として相応しい言葉を精選しました。
 元旦に限らず、私達の日常や学校生活には様々な「節目」があります。そういった節目におけるリーダーの言葉は極めて大切と考えています。なぜなら、節目は私達に気持ちの切り替えを促し、そこで発せられたリーダーの言葉は少なからず影響を及ぼすからです。
 例えば、学校であれば、週や月の節目での校長先生の言葉は、平坦に流れがちな業務にメリハリを与え、ほどよい緊張感を持たせます。季節や行事の始めと終わり等も学校にとっては大切な節目になります。ですから、そこでの校長先生の的を射た言葉は職員の意識を変え、必ずや何かしらの成果をもたらすと確信しています。
 3月に入り、いよいよ学校にとっては大きな節目となる年度末を迎えます。学校行事の中で最も厳粛な卒業式もありますので、全校体制で巣立っていく卒業生を祝いたいものです。また、修了式、年度末の事務処理、更には人事異動があります。新年度、好スタートを切るためにも、年度末に起こりがちな気の緩みを引き締め、しっかりと締めくくる校長先生の言葉が必要です。特に、どの学校でも若い教職員が増えていますので、彼ら彼女らの心に響く熱いメッセージとなる言葉も忘れないでください。
 再度申しますが、リーダーは節目での言葉が大切です。その重要性を確認していただき、年度末、全ての教職員に届く節目での言葉をご用意願います。

ICT教育第2ステージ 日々の授業の質を高める

 新年明けましておめでとうございます。令和4年がスタートしました。2022寅
 今年は寅(とら)年です。虎は1日に千里を往復できると言われることから、勢い盛んなさまを表す象徴でもあります。虎にあやかり、先が見通せないコロナ禍に漂う閉塞感を打ち破るような、勢い盛んな年になることを切に願っております。
    さて、本市で平成30年度から取り組んでいますICT教育も今年で5年目を迎えます。これまでの4年間では、市内全ての小中学校に65インチのモニター一体型電子黒板を完備したり、児童生徒に1人1台のタブレットを配布し、高速・大容量通信ネットワークを整備したり、教員へのタブレット配布に併せてデジタル教科書を導入したりして、ICT教育の学習環境を整えてきました。
 また、ICT教育の推進を図るため、平成30年度と令和元年度の2年間、真岡東小学校と真岡西中学校をICT導入モデル校として指定し、学校と市教委が一体となってICT機器を活用した授業づくりを進めてきました。そこで公開された授業を基に作成した授業実践事例集は、各学校で活用されています。その後、この2校はICT教育推進校として、その他の学校は年度毎にICT教育重点校に指定し、積極的にICT器機を活用した授業づくりに取り組んで頂いています。
 国の教育環境整備の動向を見据えると、これからの授業はICT機器の活用が絶対的なものと考えられます。そのためこの4年間は、全ての教員に、電子黒板やタブレットを使ったデジタルな授業が主で、黒板とチョークのアナログな授業は従という発想で、ICT機器の積極的な活用に努めて頂きました。
 これによって、どの学校でもICT機器が日常的に活用されるようになってきました。となれば、いよいよこれからが授業の質を高めるために本腰を入れて取り組む段階となります。教育課程も新学習指導要領の全面実施(小学校は令和2年度、中学校は令和3年度から)により切り替わり、それに基づいた教育活動が展開されています。特に授業においては、主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業づくりが強く求められています。ICT機器もその実現のために効果的に活用しなければなりません。
 そこで、令和4年の年頭に当たり、今年から「ICT教育第2ステージ」を掲げ、日々の授業の質を高めるための効果的なICT機器の活用を、学校と市教委が一体となって取り組んでいきたいと考えています。

授業力を高めるため、学ぶ機会の提供を

   11月18日(木)に大内中学校で開催された特別活動研修会では授業が公開され、芳賀管内から多くの先生方が参加されました。また、市内5地区に指定しているICT教育重点校においても、11月から12月にかけて研究授業が行われ、公開されました。
 このような授業公開の場は授業者はもちろんのこと、参観者にとっても授業力を高める絶好の機会となっています。しかし、残念ながら今年は、新型コロナウイルス感染症の影響で、本来なら2学期にたくさん開催される研究発表会がほとんどなく、教師が授業を見て学ぶ機会が少なくなってしまいました。
    言うまでもありませんが、教師の仕事の中心は授業です。そのため教師は、より良い授業を目指して教材研究や指導法の研究等、日々努力しています。教師は反省的実践家と言われ、学んだことを実践し、省察して再び実践し改善するという繰り返しが教師の生命線となります。だからこそ大切になるのが、教師の学ぶ機会の確保です。
 教育公務員特例法を持ち出すまでもなく、教師は絶えず研究と修養に努めなければならず(第21条第1項)、また、教師には研修を受ける機会が与えられなければなりません(第22条第1項)。では、その教師はどんな研修を望んでいるのでしょうか。
 市教委が今年8月に行った教職員に対するアンケート調査では、「どのような内容の研修を受講したいか」の問いに、51.4%の教師が「教科指導」と答え、最も高いことが分かりました。また、初任から教職10年目までの若手教員は、「日々の業務でどのようなことに課題を感じているか」との問いに対し、「教科指導の技術」と答えた割合が63.6%で最も高く、若手の教員は教科指導に課題を抱えていることも分かりました。
    コロナ禍で研修会や研究発表会が開催されなくなり、アンケートで求められている授業について学ぶ機会が減少していることが危惧されます。授業力を向上させるには自ら実践するのみならず、他の教師の授業を見て学ぶことも欠かせません。特に若い教師は、教科指導の技術に課題を感じています。このような実践的課題の解決には、実際の授業を見て学び、学んだことを自分の授業で実践して身に付ける以外にありません。ですが、実際は研究授業等の特別な機会がないかぎり、他の教師の授業を見ることは難しいのが現状です。
 2学期もあと僅かで終了します。教師の欲している学びや解決しなければならない課題が明らかになった今、教師の授業力向上のため、短い3学期ではありますが、教師に学ぶ機会の提供をお願いします。

学習者の能力を伸ばす教師とは・・・

  医者と教師はどちらも「先生」と呼ばれ、人を相手にした専門職として免許が必要なことから、似ている職業とされてきました。確かに、医者の行う「治療」は、患者を病気や怪我から回復させることであり、教師の行う「指導」は、児童生徒を望ましい姿に変容させることですから、どちらもマイナスの状態を0の状態へ戻すという点では似ています。 
    しかしながら、治療と指導には根本的な違いがあります。それは、治療は0の状態に戻ればそれ以上する必要はなく、ましてやプラスの状態を扱うことなどありません。これに対して指導は、0あるいはプラスの状態をそれ以上に引き上げることが求められます。むしろこちらの役割の方が重要で、「子供の能力やよさを看取り引き出し伸ばす」という教師の指導は、教育には欠かすことができません。
  「発達の最近接領域」というのがあります。旧ソ連の心理学者ヴィゴツキーの提唱した理論のことです。子供が課題を解決できる領域は、自分だけで解決できる領域、外部の支援を受けて解決てきる領域、現在の能力では解決できない領域に分けられます。この中で外部の支援を受けて解決てきる領域を、ヴィゴツキーは発達の最近接領域と言い、そこへのアプローチの重要性を指摘しました。これはまさに0の状態(自分だけで解決できる領域)をプラスの状態(外部の支援を受けて解決てきる領域)に引き上げるという教育の立場から得られた知見にほかなりません
    この理論に従えば、子供の能力を伸ばすためには、その子の発達の最近接領域を見定め、適した課題を課すとともに、必要な支援をしていくことが求められることになります。簡単に言えば、ひとりで解ける課題をどれだけたくさん解かせても、その子の持っている能力を伸ばすことはできませんが、少し助けがあれば解ける課題なら伸ばすことができるということです。この「少し助けがあれば解ける」領域が発達の最近接領域であって、教師の指導には最も重要な領域となります。  
   「学習者の能力を伸ばす教師とは、適切な難易度の目標を設定し、学習者がそれを達成できるように場を整える教師である」と言われています。発達の最近接境域理論は、この言説を裏付ける理論と言えます。ただし、その領域の見定めは容易ではなく、教師の経験や子供理解、そして何よりも深い教材研究が必要なことは言うまでもありません。

 

コロナ禍だからこそ子供の話を聴くことが大切です

 もう大分前になりますが、横浜のとある町に、「聴き舎(や)」という喫茶店があることをラジオで知りました。(現在あるかどうかは不明です。)聞くところによると、この店ではコーヒーや紅茶を飲みながら、仕事や恋愛などの悩みを30分1000円で聴いてくれるそうです。訪れる客は、見ず知らずの店主であっても、話を聴いてもらえることに喜びを感じ、心が癒されるといいます。人と話すこと、人に話を聴いてもらえることが、どれほど精神衛生上大切なことかが分かります。
 翻って、子供たちはどうでしょうか。もっと教師や親に話を聴いてもらいたいと思っているのではないでしょうか。
 幼い子供は、「先生、あのね」「お母さん、あのね」と、教師や親に自分の話を聴いてもらいたいと懸命に話しかけます。しかし、いつしか子供は話をしなくなります。なぜでしょうか。思春期の特徴だからとか、反抗期だからといって一蹴してよいのでしょうか。 
 問題行動が多くいつも斜に構えているような中学生でも、相対で話をすると、意外とよく話すので驚くことがあります。そういった子供でも、やはり教師に話を聴いてもらいたいのです。ですから、話さなくなる原因は、子供の側だけにあるのではありません。教師も親も忙しく、子供の話をよく聴かない、聴かないからいつしか子供は話さなくなる。加えて、人間関係もうまく築けない、子供同士でも話せる相手がいない、だからストレスが溜まる、という連鎖が起こります。教師が子供の話をよく聴くことによって、このような連鎖を断ち切り、ストレスから子供を守ることができます。
  特に、もう1年以上もコロナ禍が続いていますから、子供のストレスが心配になります。 

 気になるデータもあります。それは3月に発表された昨年の自殺者数なのですが、児童・生徒の自殺者が過去最多となっていることです。厚生労働省は、「コロナ禍で学校が長期休業したことや、外出自粛により家族で過ごす時間が増えたことで、学業や進路、家族の不和などに悩む子供が増加したことに因る」と、増加はコロナの影響と見ています。感染症への恐怖と再三の外出自粛等の行動制限により、社会全体に閉塞感が続く中で、ストレスを抱えている子供が増えていることが予想されます。
  そういった子供を救うには、教師が子供に話しかけ、子供の話を聴くことが何よりも大切です。コロナ禍で、毎日感染対策に細心の注意を払うなど、教師はこれまで以上に忙しく、子供から離れがちになってしまうのが懸念されます。だからこそ、意識して子供と向き合い、話を聴いて頂きたいと思います。
    

若い教職員を育てる機運を高めていただきたい

 3月25日(木)に県教委から、令和3年度小中学校教職員の人事異動が発表されました。今回の人事異動で特徴的なのは、芳賀地区の新規採用教職員が、過去10年間で最も多い62名(小学校30名、中学校25名、養護教諭4名、事務職員3名)となったことです。しかも、この中で大学や大学院の新卒者が33名と多く、特に小学校では30名のうち20名が新卒者です。
    新規採用教職員は過去3年間を見ても、平成30年度は28名でしたが、令和元年度40名、令和2年度59名と年々増加しています。これはご承知の通り、芳賀地区では今が教職員の大量退職・大量採用の真っ只中にあるからです。10年前、教職員の約半数が50歳代で、新卒者などほとんどいなかった学校と比べると、若い教職員が増えて大分様変わりしました。こういった傾向はまだしばらくの間続くものと思われます。
    先月、芳賀教育事務所から配布された『これからの芳賀の教育を考える -管理面から見える現状と見通し-』(令和3年2月)によりますと、芳賀地区の教職員の年齢構成は、40歳前後が少ない「ふたこぶラクダ型」のグラフになっています。現在はまだ50歳代が約40%を占めていますから、これらの退職に伴い若い教職員が増えることになります。そして、53歳の教職員の定年退職が近付くにつれ、一気に若返りが進み、定年延長がないと仮定すると、学校運営の主体は若い教職員中心となると予想しています。
    若い教職員が増えると、学校に新しい風が入り、切磋琢磨して学校全体が活気付くことが期待できる一方、経験不足による授業づくりや学級づくり、子供との関わりや保護者対応等での課題も指摘されています。若い教職員がこれらの課題を克服し、近い将来学校の主力となるには、もちろん自らの研鑽が不可欠ですが、併せて「育てる」ことも重要です。
    本市では4年前から、若手教員を育てるために教職2~4年目教員支援事業を実施しています。この事業は、教職4年目までに教師としての「イロハ」である、学習指導、学級経営、児童・生徒指導を確実に身に付けさせることを目的にしています。また、指導主事ができるだけ身近で若手教員の成長を支えるために、担任制を取っています。
    学校ではこの事業を積極的に活用して頂くとともに、若い教職員を育てるという気運を一層高めて頂きたいと思います。特に新規採用教職員は、初任校での仕事や同僚、管理職、学校風土等に影響を受けやすく、そこでの経験が将来を左右するといっても過言ではありません。従いまして、これからの若い教職員を育てることは学校の責務であって、全校体制で取り組んで頂きたいと思います。

立志式を迎えた皆さんへ

   本市では、立志を迎えた皆さんを市全体で祝福するために、市内9中学校で一斉に立志式を行っています。今年は新型コロナウイルス感染防止のため、教育委員会や来賓の出席はありませんでしたが、改めて、教育長としてお祝いのことばを申し上げます。
 立志を迎えた中学2年生の皆さん、そして保護者の皆様、おめでとうございます。
 立志式とは、武士の社会で行われていた「元服」の儀にちなんで、14歳になったことを祝う式のことです。元服とは、奈良時代以降、成人を示すものとして行われる儀式のことで、通過儀礼の一つになっていました。つまり、この時代では、14歳になると大人の仲間入りをしたということになります。現代では20歳に行われる成人式が大人の仲間入りをする儀式ですから、「立志」とは文字通り「志を立てる」ことであり、この時期に立志を迎える意義は大きいのです。
 と言いますのは、14歳という時期は、3年生への進級を控え、自分の進路や生き方について、これまでを振り返り、これからどのように生きるか、新たに誓いを立てることが必要な、節目となる時期だからです。ですから皆さんは、それぞれが立志の誓いとして、将来の夢や希望を真剣に考えて「誓いのことば」等に表したことと思います。そして、式では堂々と発表されたと思います。
 元東京大学の総長で、政治学者であった南原繁(なんばら しげる)氏は、「夢や理想は単なる抽象的な概念ではない。必ず実現の力となって働くものだ」と言っています。つまり、夢や理想を持つこと自体に意味があって、それは実現の原動力となるからだと言っているのです。
 皆さんが生きるこれからの21世紀は、一層情報化やグローバル化が進むと思われます。
変化の激しい、先行き不透明な時代とも言われています。そのような中だからこそ、大きな夢をもち、高い理想を掲げ、その実現のために強い意志をもってやりぬいていただきたいと思います。意志あるところに道は開けます。皆さんの輝かしい未来を祝福いたします。
 結びに、保護者の皆様に一言お願い申し上げます
 お子様は、14歳を迎え、思春期前期に入り、人生において最も多感な時期に差し掛かります。この時期は、自発性が高まり、自ら考え、判断し、目標に向かって努力できる時期でもあります。勉強や部活動に、「目標をもってがんばる」という、人生における基本を身に付けることが大切な時期になります。学校ではその基本を身に付けられるよう、勉強や部活動指導を行っております。保護者の皆様にも、一層の学校へのご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げ、お祝いの言葉といたします。

いじめのない学校風土をつくる

   昨年度の少年の主張芳賀地区大会で、大内中の大塚雫華(しずは)さんは、「いじめのない社会へ」と題して、次のように発表をしています。

    私の学校では、全校生徒による「いじめ防止サミット」を行っています。自分たちの行動を振り返り、いじめを撲滅し、明るい学校にする。そのために、クラスや学校全体でいじめについて話し合い、いじめ撲滅宣言を作成しました。いじめの理不尽さを知り、いじめについて深く考えることができて良かったと思います。 「いじめ防止サミット」を行う前は、誰かの陰口などをよく聞きましたが、サミットの後は、あまり聞かなくなりました。

    校内いじめ防止サミットは、いじめのない学校を目指して、子供たち自らが考え、力を合わせていじめ防止に取り組む活動です。いじめは子供の中で起きていますから、早期発見や防止には、子供たちのいじめに対する感覚を磨き、意識を高めることが何よりも大切です。校内いじめ防止サミットはそのための活動であり、子供たちが日常的にいじめ防止に取り組む態勢をつくることができます。
 この活動は、平成29年度・30年度に山前中学校が県教委指定の人権教育研究校となったことを機に、その取組の一環として始めたものです。その後、各学校でも取り組んでいただいておりますが、昨年度の大塚さんの発表はその成果の表れと大変嬉しく思いました。
   いじめは軽微なものを含めると、ほとんどの学校で起きています。しかも、年々増加の傾向にあります。

    昨年10月に発表された文部科学省の問題行動調査では、全国の国公私立小中高校と特別支援学校で令和元年度に認知されたいじめは61万件を超え、過去最多を更新しました。本県でも24%増の6003件と過去10年間で最多となっています。これは、学校がいじめを見逃さないよう細心の注意を払っている結果と言えます。問題は、平成28年度に90%を超えていたいじめの解消率が82%に低下していることです。いじめは見えにくく、加害者と言われても悪意や自覚がないことがあります。また、いじめは複雑で、加害者と被害者が逆転することもあり、対応が難しくなっていることがこの数値に表れています。
    ひとたびいじめが起きると解決に苦慮するケースが増えています。ですから、いじめが起きないことがベストであって、そういう学校風土をつくらなければなりません。再度言いますが、いじめは子供の中で起きていますから、それは教職員だけでは難しく、子供の力が必要です。そのためには、校内いじめ防止サミットなど全校体制の取組が一層充実することを期待しております。

感染防止の徹底と教育の質の保障

 新年明けましておめでとうございます。令和3年がスタートしました。2021
 今年は丑(うし)年です。「丑」という漢字は、発芽直前の曲がった芽が硬い殻を破ろうとし、エネルギーが漲っている状態を表しているそうです。丑年にあやかり、コロナ禍で硬く覆われた閉塞感を打ち破るような、エネルギッシュな年になることを切に願っております。
   それにしても、昨年の11月から始まった新型コロナウイルス感染拡大の第3波は、年が明けても全く収束の見通しが立たない状況にあります。それどころか、年末年始の人の往来等により、更なる感染の拡大も危惧されています。
 そこで今年やるべきことは、何と言っても「感染防止の徹底と教育の質の保障」が最優先となります。

    昨年は4月から小学校で新学習指導要領が全面実施されたにもかかわらず、新型コロナウイルス感染症の影響で、臨時休校や分散登校、感染防止や身体的距離の確保のため、カリキュラムを大幅に変更しなければなりませんでした。そのため、新学習指導要領の趣旨を十分に反映させた教育活動が出来ませんでした。4月からは中学校でも新学習指導要領が全面実施となります。

   ご承知の通り、新学習指導要領では、これからの21世紀を生きる子供たちに生きて働く力を身に付けさせるために、社会との連携や協働による「社会に開かれた教育課程」を実現し、「主体的・対話的で深い学び」による授業改善が求められています。今回の学習指導要領は、従来までの内容重視から、「学んだことから何が身に付き、何ができるようになったか」を特に重視するようになりました。今年こそは、こういった新学習指導要領の趣旨を踏まえた教育活動を確実に実施し、教育の質を保障しなければなりません。そのためには感染防止の徹底が不可欠です。
   残念ながら昨年は、感染拡大の猛威に晒され、市内の学校でも感染者が出てしまいました。しかし幸いにも、校内での感染者はなく、当該学校の感染防止が徹底していたことが示されました。これは他の学校でも同じです。これまで市内全ての学校で、検温やマスクの着用、うがい、手洗い、手指消毒、換気等の感染防止の徹底に努めて頂いた結果、校内での感染を防ぐことができたものと思っています。これは大変すばらしいことです。
 今年もいつまでコロナ禍が続くか分かりませんが、昨年同様に感染防止の徹底をお願いします。そして、新学習指導要領の全面実施に相応しい教育の質を高めていって頂きたいと思います。
 令和3年の年頭に当たり、「感染防止の徹底と教育の質の保障」を各学校でも共有して頂き、学校と市教委が一体となってコロナ禍の教育の充実を図っていきたいと思います。

今こそ凡事徹底を!

 小さな記事だったのですが、10月26日(月)の下野新聞の「新型コロナミニ知識」という欄に、京都府立医科大学の研究チームが、新型コロナウイルスは人の皮膚の上で9時間生存できることを突き止め、アメリカ感染症学会誌に発表したという記事がありました。
  9時間も生存できるということは、インフルエンザウイルスに比べて5倍も長く生存することになるそうです。これによって、新型コロナウイルスは触れた物を介して広がる「接触感染」のリスクが高いことが明らかになりました。但し、濃度80%のアルコールで15秒消毒すると感染力が消滅することも同時に分かりました。研究チームの広瀬亮平准教授は、「新型コロナウイルスが比較的長生きな理由はまだ分からないが、手の消毒という初歩的な対策の重要さが改めて分かった」と話されているとのことです。
  新型コロナウイルス感染症は世界に広がり、12月19日(土)現在で、感染者は累計で7495万人を超え、死者は166万人を上回っています。日本でも感染者数が連日最多を更新するなど、ウイルスの猛威はとどまる所を知らず、感染は加速しているようです。目に見えないウイルスの恐怖に晒され、世界は萎縮しつつあります。

 しかし、その脅威のウイルスも、飛沫感染にはマスクが有効なことはAIのシミュレーションでわかっていますし、今回の京都府立医科大学の研究で接触感染にはアルコール消毒が有効なことがわかったことから、初歩的な対策の徹底で防げるということになります。
 改めて、「凡事徹底」が感染防止の王道といえます。ただ、「徹底」は容易ではなく、言うと行うとは別物になってしまいがちです。

ですから、今回はそうならないよう、誰もが新型コロナウイルス感染防止のため、マスク着用やアルコール消毒等の凡事を徹底していただきたいと思います。

「今が最強!」と言えるように

 偶然なのですが、退職校長会会報第114号(平成30年10月4日)の「今が最強」というタイトルの寄稿文に目が留まりました。それは、元佐野市立天明小学校長の西沢弘先生という方が書かれたものだったのですが、恐らく、瞬時に「退職したのになぜ最強?」という意識が私に働いたからだと思います。
 「公立学校退職後、縁あって私立の中等学校で理科・化学の指導に当たらせてもらっている。種々の要因があり、個人的には理科教員として今が最強である」という書き出しで始まっているその文面には、理科の教員としてのやり甲斐や教えることの楽しさが綴られ、退職後の新たな教師生活での高揚感や喜びが満面に感じられました。
  では、いったいどうして最強なのでしょうか。西沢先生は「種々の要因がある」と言っている中で、第一にICT機器やデジタル教材を挙げ、次のように書いています。

 第一要因は、電子黒板等のICT機器やデジタル教材の進展である。受精卵の卵割など最先端の画像、気象衛星ひまわりの画像は昨日大雨を降らせた雲の動きを、地球全体を捉えた冬至・春分・夏至の画像から地軸の傾きを直接見ることができる。素材選択の幅が広がりこんなに面白いことはない。

 電子黒板等のICT機器やデジタル教材は、使えば使うほどその有用さが実感でき、授業が抜本的に変わってきます。アナログでは到底不可能だったことをデジタルは可能にします。特に理科の授業で、鮮明な画像による動的世界を子供たちに提供できることは、西沢先生にとって至極の喜びだったのでしょう。 
 また、教材研究については次のように書かれていて、理科教員の本分が垣間見えます。

 教材研究に集中して膨大な時間が使えること。調べれば調べるほど疑問が湧き、その疑問が次の疑問に。もう、ワクワクである。

 僭越ですが、読んでいて「やっぱり教師なんだなー!」と痛感した次第です。
 ICTという最強の武器を得て、教材研究に没頭できる時間が十分あって、最高の授業づくりができる今が、西沢先生にとっては最強なんですね。
   現役ではなかなかこうはいかないかと思いますが、ICTという最強の武器はあります。要は時間ですが、時間は与えられるものではなく、自らつくるもの、です。
 本市の先生方誰もが、「今が最強!」と言える充実した教師生活を送れることを期待しております。

「学びの保障」を実現しなければならない

 2学期がスタートして1か月が過ぎました。令和2年度の学校から見れば、6月に学校が再開され、16日間の夏休みを除けば、学校の教育活動は実質3か月間行われたことになります。学校の臨時休業により、子供がいない学校が3か月も続いたことを思えば、この3か月間は、当たり前のことではありますが、学校は「子供のためにある」ということを実感したのではないでしょうか。そして、学校のあらゆる教育活動も子供のためにあることが再認識できたと思います。
 そこで、これからが重要な時期になります。と言いますのは、これまでの3か月間では、授業をはじめ学校行事等の教育活動が見直され、少しずつ軌道修正しながら進められてきました。そして3か月経った現在に至っては、どこの学校でも日常を取り戻し、教育活動も軌道に乗り始めていることと思います。
 この3か月間では、未履修の学習内容は時間を確保して補充したり、系統的な教科は関連する単元の前に指導したりして、未履修の解消を図ってきました。また、授業においては、子供たちの学びを保障するために、教科書の学習内容の扱いに軽重を付けたり、指導順序を変更したり、個人でも学習可能な内容の一部を家庭学習等の授業以外で行うようにしたりして、学習の重点化を図って進めています。
 とはいえ、これまでの3か月間は、何かと制限がある中で学習の遅れを取り戻すために心血が注がれた授業でした。これは致し方ないことであって、子供たちもそれは理解し、懸命に授業に臨んでいたと思います。
  このようなこれまでの状況を踏まえると、いよいよこれからが本番で、子供たちの「学びの保障」を実現していかなければなりません。国においても、「学校・子供応援サポーター人材バンク」を開設して学校支援員を配置したり、補習等のための指導員等派遣事業により学習指導員を配置したりして、学びを保障するための人的支援を行っています。これらは今後順次配置されますので、有効活用するとともに、特に次の3点を重視してこれからの学習指導の充実を図って頂きたいと思います。
 1点目は、小学校では今年度から新学習指導要領が全面実施となっていますが、小・中ともに、なるべく出来る範囲で新学習指導要領の趣旨を踏まえた授業を行ってください。
 2点目は、受験生の不安を払拭するため、中学3年生対象の補習授業を積極的に行ってください。文部科学省が公表した中学3年生のスケジュール案にも週2回の補習授業が示されていますので、実施は不可欠と考えています。 
 3点目は、学習の遅れや学力の差が懸念されますので、学習指導員等を活用し、これまで以上に個別指導の充実を図ってください。

お盆明けだからこそ注意が必要~新型コロナウイルス感染症対策

   8月1日(土)からの短い夏休みも終了し、今日から2学期がスタートしました。今年はいつもの2学期とは異なり、熱中症対策に加えて新型コロナウイルス感染症対策で、学校は細心の注意を払って対応していることと思います。
 幸いにも、これまで本市の小・中学校では、熱中症も新型コロナウイルス感染症も学校から出ていませんでした。しかし、新型コロナウイルス感染症については、本市で連日感染者が確認され、8月14日(金)には本市独自の感染厳重注意報が出される状況にあっては、今後それは難しいかもしれません。特に、夏休み中に迎えたお盆では、外出等を控える傾向はあったものの、人の移動も多く、県外から帰省した家族等で会食や会合が行われたものと思われます。
 お盆の帰省については、県では体調が悪い場合は帰省を控えること、高齢者等がいる家庭では十分配慮すること、大人数での宴会や飲み会は控えることを呼びかけましたが、県境をまたぐ移動の自粛は要請しませんでした。県では、お盆の帰省自体は否定せず、感染防止に十分な配慮を求めたものでした。
 しかしながら、各家庭の受け止めや感染防止対策に差が出てしまうのは当然であり、それはやむを得ないことです。恐らく多くの家庭で、日常と違った人の往来があったことは間違いありません。そうなりますと、お盆明けはこれまで以上に感染拡大が懸念されることになります。となれば、学校は感染防止はもちろんのこと、感染者が出た場合であっても迅速に対応できるよう、次の3点を徹底するなど一層緊張感をもって臨む必要があります。
 1点目は、学校にウイルスを入れない水際対策が極めて重要になります。そのため、子供一人一人の家庭での検温の徹底を再度呼びかけるとともに、サーマルカメラによる検温とその後の適切な対応をお願いします。
 2点目として、これまで同様、うがい、手洗い、手指消毒、熱中症に注意しながらのマスク着用、教室換気、手すりやドアノブの消毒等による感染防止をお願いします。特に、学校におけるクラスターの発生が最も危惧されますので、こういった基本的な感染防止を徹底することが何よりも大切です。
 3点目として、8月6日(木)の臨時校長会での資料により、感染者が出た場合の学校の対応について、教職員と共有化を図っていただき、教職員誰もが共通認識のもとに、迅速に対応できるようお願いします。
  2学期が始まり忙しい中ではありますが、学校と市教委が一丸となってこの難局を乗り越えなければなりませんので、よろしくお願いします。

今こそカリキュラム・マネジメントが必要とされます

 学校が再開されたとはいえ、新型コロナウイルスの感染拡大のリスクがなくなったわけではありません。そのため学校では、教育活動における「3密」を可能な限り避ける工夫をするとともに、検温、マスク着用、うがい、手洗い、アルコール消毒等を徹底するなど、細心の注意を払って感染症対策を行っています。また、感染拡大の第2波、第3波も懸念されますので、不測の事態に備えて、今後どのように教育課程を見直し実施していったらよいか、難しい課題に直面しています。
 文部科学省では、休業期間が長期化し、標準授業時数を下回る地域も予想されることから、今年度在籍している最終学年以外の児童生徒に係る教育課程に関する特例的対応として、今年度指導を計画している内容について学年内に指導を終えることが難しい場合には、次学年又は次々学年に移して教育課程を編成してもよい旨の通知を出しています。(令和2年5月15日付2文科初第265号文部科学省初等中等教育局長通知)
 しかしながら本県においては、どの市町も6月1日(月)から学校再開が可能になったことから、今年度指導する内容については、年度をまたぐことなく当該年度内で指導するよう授業計画を立てることとしています。
 とは言っても、今回の臨時休校により時間がなくなったばかりではなく、感染拡大のリスクを考えて、学校で活動できる場所が制限されたり、活動の中での児童生徒の関わりが制限されたりと、これまでのような教育活動ができない状況にあります。こういった中で、児童生徒の学校生活の質を維持しつつ学びを保障するためには、必要な授業時数を確保するとともに、教育活動を見直し重点化を図ることが不可欠となってきます。
 特に今年度は、小学校で新学習指導要領が全面実施となっています。新学習指導要領に規定されている「何ができるようになるか」(育成を目指す資質・能力)を意識した上で、「何を学ぶか」(指導すべき内容)を明確化し、今般の事態を受けた様々な環境変化を踏まえて「どのように学ぶか」(指導方法)を柔軟に見直すことが求められています。限られた時間と環境の中で、効率的・効果的な教育活動を展開し成果を上げなければなりません。したがって、これからは各学校のカリキュラム・マネジメントが問われることになります。
 これまでも、カリキュラム・マネジメントの重要性は言われてはいましたが、教育活動の中心である各教科のカリキュラムは教科書に基づき整備されており、マネジメントの余地はほとんどありませんでした。しかし今度は違います。教科学習の重点化が不可欠となっている今、教科書の学習内容の扱いに軽重を付けたり、指導順序を変更したり、個人でも学習可能な内容の一部を家庭学習等の授業以外で行うようにしたりして、児童生徒の学びを保障しなければなりません。これがまさにカリキュラム・マネジメントであって、校長先生のリーダーシップの下、各学校の先生方の教科経営力に期待しています。

子供たちに自己防衛意識を醸成する

 政府は5月14日(木)に、新型コロナウイルス特措法に基づき全国に発令していた緊急事態宣言を、一部の都道府県を除いて解除しました。これまでの自粛モードは一変し、まだ感染の脅威はあるものの、世間は少しずつ動き出しています。
 学校もすでに段階的に分散登校を実施するなど、学校再開に向けて準備が進められています。県立高校では学校再開を前倒しし、5月25日(月)からとしました。本市においても、5月13日(水)の臨時校長会や14日(木)の市PTA連絡協議会役員会を経て、本日から分散登校を開始しました。子供が学校に戻ってきたことは喜ばしいのですが、学校は至る所で「3密」の危険性を孕んでいますから、注意しなければなりません。
 福島大学の筒井雄二教授は、「子供は大人と違い、指示がなければ友達と密集してしまう。一層注意が必要である」と、学校に集まる子供たちへの目配りは欠かせないことを指摘しています。(5月15日付下野新聞)
 学校では、これら「3密」を可能な限り避ける工夫をするとともに、検温、マスク着用、うがい、手洗い、アルコール消毒、教室換気等を徹底することが大切です。
 と言いましても、感染リスクは学校だけにあるのではありません。教師の目が届かない学校外のリスクも、もちろんあります。ですから、こういった状況の中で子供たちを感染から守るには、自ら進んで感染予防に努めるようにすることが大切です。むしろ、これから先の子供たちのことを考えれば、子供たちに「自分のことは自分で守る」という、自己防衛意識を植え付けることが不可欠と考えます。
   かつて未曾有の災害をもたらした東日本大震災の時、岩手県釜石市の子供たちは「自分の命は自分で守る」という「津波てんでんこ」の教えで避難し、被害が最小限に抑えられました。後に「釜石の奇跡」と言われ、いかに子供たちの自己防衛意識が大切かを知らせれました。

 しかしながら、平時に自己防衛意識を醸成することは容易ではありません。このコロナ禍では誰もが疲弊し苦しんでいます。しかし、緊急事態宣言が解除され、新たなステージが動き出しています。「ピンチをチャンスに」というフレーズも耳にするようになってきました。学校も、これまで子供たちに身に付けることが難しかった「自分のことは自分で守る」という、自己防衛意識を醸成することができる絶好の機会と捉えることができます。そして、それが実現できれば、まさにピンチがチャンスになったことになるのではないでしょうか。そのためにも、子供たちが学校内外を問わず、正しい感染予防を実践できるように指導していかなければなりません。 

県内トップレベルの教育環境で県内トップレベルの学力を目指す

 新年明けましておめでとうございます。

 令和2年がスタートしました。今年は子(ね)年です。2020ねずみ十二支の最初ということもあり、全ての始まりと未来への可能性を秘めていると言われます。今年が皆さんにとりまして実り多い1年となるようご祈念申し上げます。
 さて、現在真岡市教育委員会では、まちづくりの基本戦略のひとつ「こどもの元気な成長プロジェクト」の5つの施策、学力の向上、ICT教育の推進、英語教育の充実、体力アップ、次世代リーダーの育成に積極的に取り組んでおります。
 特にICT教育については、市内小中学校全ての普通教室、特別支援教室、理科室に65インチのモニター一体型電子黒板を完備し、ICT導入モデル校の真岡東小と真岡西中をはじめ、全ての学校でこれらの機器を活用した授業づくりに取り組んでおります。また、タブレットやデジタル教科書も2月末までには全ての学校に配備しますので、学習環境が整います。さらに、教職員の事務処理の負担が軽減できるよう、統合型校務支援システムも3月末までには全校配備します。
 英語教育においては、各中学校にAET(外国人英語指導助手)を配置するとともに、小学校全ての英語の授業をAETまたはJTE(日本人英語活動支援員)とチーム・ティーチングで行うようにしています。また、小学校には英語専科教員や英語指導力向上専門員を派遣し、英語授業の充実を図っています。さらに、昨年小学校の各学級に英語の絵本を配布するなどして、英語に親しむ環境づくりに努めています。
 こういった学習環境の整備に加え、昨年、理科室や音楽室などの各学校の特別教室にエアコンを設置しました。これで学校では、普通教室、特別支援教室、特別教室と子供たちが授業を受ける全ての教室にエアコンが完備され、教室環境が整ったことになります。
 他にも、図書館司書の配置や本市独自の学力調査「真岡市総合学力調査」の実施など、本市の教育環境はほぼ整っており、全県的に見てもトップレベルの教育環境にあると言えます。それらを余すところなく活用し、一層の教育効果を上げることが本市教育の充実・発展には不可欠と考えております。とりわけ学力向上においては、子供たちの将来をも左右する重要事項であって、冒頭のまちづくりの基本戦略「こどもの元気な成長プロジェクト」の1番目の施策でもあります。
 そこで、年頭に当たり、「県内トップレベルの教育環境で県内トップレベルの学力を目指す」を合い言葉に、学校と市教委が一丸となって学力向上に取り組んで参りたいと思います。各学校ではこの言葉を共有し、「分かる・できる・定着する」指導をはじめ、これまで以上に学力向上の取組を充実させて頂きたいと思います

真岡西中学校創立30周年記念式典祝辞

10月25日(金)に真岡西中学校創立30周年記念式典が、東泉真岡西中学校PTA会長を実行委員長とする実行員会主催で開催されました。

式典開催の祝辞として次のように述べました。

                                                祝  辞

 本日は、真岡西中学校創立30周年記念式典が、かくも盛大に挙行させますこと、誠におめでとうございます。
 顧みますと、真岡西中学校が開校したのは平成2年4月です。時代は昭和から平成に変わり、バブル時代の好況期の中での開校でありました。
 当時、市内から臨む小高い丘の上に、瓦屋根を配した斬新で趣のある校舎と、丘の中腹に屹立する近代的な2階建ての体育館を配置した本校は、まさに「西輝が丘」の由来のとおり、西の丘に美しく光り輝き、大きな希望に満ちた学校であって、関係者の期待もことのほか大きかったことと思われます。
  そういった期待を一身に受け、本校は創立以来、「心身ともに健康で、誇り高い「西輝が丘」生徒の育成」を目指し、地域に根ざした特色ある教育活動を着実に展開してきました。そして、新たな歴史を刻み、連綿と伝統を受け継ぎ、国際交流をはじめとする各種行事や生徒会活動、部活動等において、輝かしい成果を収めてきました。
  中でも平成5年に始まりました台湾斗六市正心高級中学校との国際交流におきましては、昨年25周年を迎えられ、進展するグローバル化の時代にふさわしい、姉妹校相互交流という特色ある教育活動を確実に展開されておられます。
 また、昨年度と本年度は、本市が推進しておりますICT教育の導入モデル校として、電子黒板やタブレット、デジタル教材等の効果的な活用に積極的に取り組んでいただいております。
 これもひとえに、歴代の校長先生はじめ、教職員、保護者、地域、関係する皆様がたの並々ならぬ御尽力の賜物と、心より感謝申し上げます。
 さて、時代は平成から令和に変わりました。「令和」の元号は万葉集の序文「初春の令月にして、きよく風和らぎ・・・」という句からの引用で、「厳しい冬の寒さの後に見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる日本でありたい」という願いが込められているそうです。
  この「日本人」を「子供」に換えますと、「一人一人の子供が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる」ようにする営みは、教育に他なりません。ですから私たちは、この「令和」という元号に込められた願いを教育への期待と受け止め、日々の教育に取り組んでいかなければならないと思っております。
 真岡西中学校におかれましては、その令和の時代の幕開け、記念すべき元年に創立30周年を迎えられたことを契機として、より一層の充実した教育活動が展開されますことをご期待申し上げます。
 結びになりますが、真岡西中学校の益々のご発展と関係の皆様方の益々のご健勝を心より御祈念申し上げ、お祝いの言葉といたします。

                 令和元年10月25日

                                  真岡市教育委員会教育長 田上富男

「子供の助けを借りる」という発想の大切さ

 夏休みも後半に入りました。これまで各学校の適切な指導のお陰で、子供の命に関わるような交通事故や水難事故等もなく、無事夏休みが送れていますことに感謝申し上げます。
 さて、去る8月1日(木)に茨城県笠間市で、文部科学省主催「児童生徒の自殺予防に関する普及啓発協議会」が開催されました。協議会と言っても実際は、文部科学省の行政説明と九州産業大学の窪田由紀教授の講話・演習でした。私も、子供たちの尊い命を自殺から守れるならと思い、藁をも掴む思いで参加させていただきました。
 ほぼ1日の講話・演習でしたが、特に成果と言えば、「子供の助けを借りる」ということの重要性を再確認したことです。このように言いますと、「え!それだけですか」と言われてしまうかもしれませんが、実はこれは極めて大切なことです。つまり、子供のことは子供が一番よく知っていて、たとえ自殺であっても、必ずSOSのサインを周囲の子供には発信しているということです。ということは、自殺を未然に防ぐには、発信されたSOSのサインを、教師が周囲の子供からいかにキャッチするか、が決め手となります。そのための「子供の助けを借りる」ということであって、それは教師に求められる極めて重要な力と言えます。
 あと2週間で2学期が始まります。内閣府の2015年版自殺対策白書によりますと、子供の自殺が最も多いのは、2学期が始まる9月1日の前後であることが明らかになっています。これが発表になった後も、この時期になると毎年子供が自殺しており、不幸にも統計上の危機が現実となってしまっています。
 子供にとっての危機は至るところにあります。たとえ自殺であっても、決して対岸の火事ではなく身近に起こります。思春期の子供は、傷つきやすくガラス細工のような脆い一面を持っています。特に子供の深層心理は複雑で、大人には理解しがたいところがあります。だからこそ、教師はその兆候を見逃さず、適切に対応することが求められるのです。しかし残念ながら、子供がSOSを発信し続けていたにもかかわらず、それを察知できず、最悪の結果に至っていることがたびたび起きています。
 そうならないよう、子供のことは子供が一番よく知っているという認識に立ち、「子供の助けを借りる」という発想も必要です。
 明日では手遅れになる場合があります。なんらかのSOSを発信し、助けを待っている子供が目の前にいるかもしれません。教師は、そういった子供をいち早く発見し、適切な対応をしなければなりません。夏休み明けこそ、教師の力量が最大限に要求されますので、よろしくお願いします。

学校経営の勘所(芳賀郡市校長研修会講話概要)

研修会風景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7月12日(金)に真岡市青年女性会館で、芳賀郡市内の小中学校の校長先生を対象に学校経営研修会がありました。研修講師として90分の時間を頂き、「学校経営の勘所」と題して、次の6つのことについて話しました。

 勘所1  校長の仕事は職員を動かして子供を変えること
 勘所2  校長は職員への発信に神経を注がなければならない
 勘所3  人は指示や命令では動かない
 勘所4  学校経営の第1歩は距離感を縮めること
 勘所5  布石を打つ
 勘所6  校長と職員の危機意識は異なる
 これらは私自身が校長として実際に行ったことや経験したことの中で、是非とも校長先生方に伝えたかったことであって、学校経営に何かしらのお役に立つ内容と思っています。以下、その概要について順次説明します。
 
 勘所1 校長の仕事は職員を動かして子供を変えること
 私が新任校長として赴任した市貝中学校は、東日本大震災で甚大な被害を受け、校舎が使えず、隣町の廃校になった旧水沼小で生活するなど、かなり不便な生活を強いられました。学校にとって校舎が使えないことは想像以上に重大で、多くの困難がありましたが、私自身の校長としての学びもたくさんありました。その一つが勘所1で示したことです。
 部活動ができない、給食や電気がない、野ざらしの自転車置き場などの不便な生活も月日が経つにつれ徐々に改善されてきました。そしてついに、教室に待望の電気が点きました。子どもたちは歓声をあげて喜びました。
 私は、このときの喜びを単なる喜びだけに終わらせたくないと思い、朝の打合せで職員に「今こそ子どもたちに、これまでの生活の豊かさや当たり前のことが当たり前にできる幸せを話し、当たり前の生活に感謝する気持ちをもたせてほしい」と伝えました。
  すると、7月10日付けの下野新聞に、震災4か月の県内被災小中学校の状況を伝える記事が掲載され、本校の生徒が震災後の生活について「当たり前の生活のありがたさを感じる」と答えていたのです。この記事を読み、これこそ校長の仕事なんだと実感しました。
  つまり、校長の仕事は自分ではできないかわりに、職員を動かして子どもたちを変えていくことにある、ということをこのとき知ったのです。校長の意図することが職員に伝わり、職員が動いてはじめて学校経営ができるということを知りました。
 これはなんと言っても学校経営の最も大事な勘所です。校長が自ら行うことも大事ですが、それは限られています。「職員を動かして子供を変えること」これを知っていることで学校経営は大きく変わっていくと思います。

 勘所2  校長は職員への発信に神経を注がなければならない
 よく「校長は講話で勝負する」と言いますが、これは主に児童生徒や保護者向けの講話のことです。もちろんこれらは重要で、私も校長のときは毎回相当苦心しました。しかしそれ以上に、校長が重点を置き、神経を注がなければならないのは、実は職員への話なのです。なぜなら、その校長の言葉によって学校組織が動き、あらゆる教育活動が展開されるからです。そして、その教育活動によって子供が変わっていくのです。
 また、校長は職員へ話す機会も多く、それは児童生徒や保護者などの比ではありません。朝の打合せ、会議、研修等、必ず校長の一言が求められ、そこでの言葉次第で職員の意識も動きも違ってきます。
  さらに校長の言動は職員から評価されています。一人一人の職員が校長を信頼し、校長の考えに納得し、共感・共鳴して、一丸となって学校運営に当たれるかどうかは、校長の言葉次第ということになります。ですから、校長は職員への発信に最も神経を注がなければならないのです。

 勘所3  人は指示や命令では動かない
 部下職員は指示や命令では動きません。しかし、たとえ容易ではない指示や命令であっても、その背景となる状況や明確な根拠を伝えることにより、部下は屈辱感なしに受け入れるといいます。これを「状況の法則」といいます。
 校長としてむやみに無理難題を課すことは避けなければなりませんが、状況によっては負担になる仕事を依頼しなければならない場合があります。
 その実例として、隣町の旧水沼小での生活をあげました。生徒のバス送迎、職員は旧水沼小、中央公民館、市貝中と2重、3重の生活。職員の負担軽減を図り、バスの乗車指導は行っていませんでした。ところが、6月後半にバスでのトラブルが連続して発生、更には、不注意とはいえ旧水沼小のガラスを立て続けに割るなど生活全体に落ち着きがなくなってきました。私は、些細なことですが早めに対処しないと後々収拾がつかない事態になりかねないと判断し、職員がバスに乗車すること、他の職員はバスが到着時に全員で子供たちを迎えることを依頼しました。しかし、職員はこれまでの厳しい状況の中で疲れが溜まっていることも承知していました。
 そこで、これらを依頼する理由として「割れ窓の理論」を職員に示しました。割れ窓の理論とは、「窓が割れたまま放置しておくと建物全体が荒廃する。だから、初期段階で軽微な違法行為を徹底して取り締まれば凶悪犯罪も防ぐことができる。つまり、小さな犯罪を見逃すとやがて凶悪事件が横行する」という理論です。
 状況の法則に従い、指示・命令の根拠を割れ窓の理論で明示したことにより、職員には相当負担だったと思いますが、状況を理解し受け入れてくれました。
 校長として「人は指示や命令では動かない」ということを常に意識し、それ相当の根拠を示していくことは大切なことです。

 勘所4  学校経営の第1歩は距離感を縮めること
 一校目の市貝中はかつて8年間勤務したところですので、学校、保護者、地域を相当知っていました。ところが、2校目は初めて勤務する学校ですので、全く分かりません。
 そこで、私が心がけたことは、職員、保護者、地域の方々との距離感を縮めることで、これが学校経営の第1歩と考えます。特に職員との距離を縮めるためには、職員への直接のアプローチももちろん大切ですが、それ以上に、子供への働きかけ、学校の歴史、教育目標の解釈等、間接的なことが以外と効果がありますので、それらを紹介しました。
  距離感を縮めることは地道な取り組みですが、怠ると意外なところで亀裂を生じかねませんので、心得ておくとよいでしょう。

 勘所5  布石を打つ
 校長が替われば学校が変わると言われます。しかし、学校の雰囲気は1年目でも変わるかもしれませんが、教育活動そのものはそうはいきません。校長がどんなに素晴らしい構想をもっていたとしても、いきなりやりたいことができるかといったら、それは難しく、校長の思いを実現するには、その道筋を描き、必要な布石を打っていくことが大切です。
 それを中学校において教科の壁を越えた授業研究会を例に取り、次のような布石を打ったことを紹介しました。
 ① 校長室だよりによって、教科の壁を越えた授業研究会の必要性を訴える。
 ② 職員を総合教育センターと芳広教委の研修に派遣し授業研究を学ばせる。
 ③ 授業を見る一貫性のある視点(本時のねらいから見た手立ての有効性)を示す。
 ④ 校長自らが授業を行い、研修派遣の教員を中心とした授業研究会を行う。
 ①は即効性はありませんが、連続で少しずつ示すことによって浸透し、外堀を埋める効果があります。②は事を成し遂げるには校内だけで完結しませんから外部資源の活用が不可欠です。③はこの実践の本丸であって、これによって成否が分かれます。④は「隗より始めよ」で、校長は職員に強いるばかりでは事はうまくいきません。実際には1年で異動してしまったため、結果を見届けることは叶いませんでしたが、先を見通して布石を打つことは大切なことです。

 勘所6  校長と職員の危機意識は異なる
 校長と一般教員では意識がかなり違うと言えます。当然と言えば当然なのですが、それを意識して学校経営に当たれるかどうかで成否が分かれると思います。特に危機意識については、一般教員の方が遥かに低いということに注意しなければなりません。
  校長は常に全体的、多面的、複眼的に見ています。また、先を見てかなり悲観的に見ている場合が多いのです。そして、たとえ身近で起こっていなくても当事者意識をもって事態を見ています。しかしながら、一般職員はそこまではいきません。
  実際、生徒が「死にたい」と言ったとしても、担任は意外と軽く見ている感じを受けたことがあります。看過できないので、再度本人から詳しく事情を聞いたり、学級や部活動の交友関係も調べたりしたのですが、部活動での交友関係にも起因していたようで、いじめとも取れる言動もありました。こういった例をもとに、校長と職員との危機意識の違いを話しました。
 一般教員は自分とは同じではなく、危機意識は低いということを認識して事に当たることは、危機管理上極めて重要だと思います。

         

郡市校長会でこんなことを話しました。

6月4日(火)に郡市校長会がありましたが、冒頭の挨拶で、私の経験をもとに次のようなことを話しました。 

   校長は結論をもって臨む                                

 校長先生は常に判断を迫られ、日々緊張感があります。もちろん、教頭の考えを求めたり、職員の合意で結論付けたりすることもあるでしょう。時には難しい判断を強いられ、迷うことだってあるかもしれません。
 私が新任校長として市貝中に赴任して早々のことでした。東日本大震災で甚大な被害を受けた市貝中は、旧水沼小での生活を余儀なくすることになりました。そのため、市貝町中央公民館から大型バス7台で生徒を送迎することになり、4月13日から始まりました。しかし、これがそう簡単ではありませんでした。 
 生徒は朝7時50分に中央公民館集合としたのですが、最初に直面した問題は遅刻者への対応でした。職員からは、遅刻が分かるよう通学班を編成する、遅刻と分かれば職員が待って対応する、或いは、遅刻と分かった時の出発時刻をどこまで遅らせるか、等々侃々諤々の話し合いになりました。結局、この時の職員会議では決着が付かず、運営委員会に委ねることになりました。最終判断を下さなければならない校長としても難しい問題です。
 しかし、私は最初から結論は決まっていました。それは、バスは定刻通り7時50分に出発すること、遅刻者には、乗車指導の職員がその保護者に連絡、保護者が責任をもって対応すること、たとえ、仕事や車の免許がなく直接保護者が対応できなくても、タクシーを使うなど保護者自身に任せること、遅刻者については職員は一切かかわらないこと、と少々生徒と保護者にとっては厳しめのものでした。 
 それはなぜかと言いますと、旧水沼小での日課は、必要な授業時数を極力確保するため最大限考慮して作成したものですから、一人の遅刻者のためにそれを崩すわけにはいきません。また、遅刻者への対応で授業に支障を来すことがあってはいけません。それに、旧水沼小での生活は職員の負担増になっており、これ以上負担をかけるわけにはいきませんし、送迎の際の事故等も考えられます。そして、遅刻はなんといっても本人の責任ですので、その対応は基本的には保護者が当たるべきです。厳しいようですが、これらは、はっきりとさせておかなければならないと思ったからです。
    校長は結論をもって会議や話し合いに臨むべきと考えます。運営委員会でも、様々な意見が出され、私は、それらに真摯に耳を傾けました。聞くことは重要ですし、結論を修正することもできます。しかし、最後は、校長として先の結論を言いました。だからといって、職員会議や運営委員会での議論は無駄ではありません。むしろ、そういった議論は、職員の参画意識や資質能力の向上のためには不可欠です。校長は、答えをもっていて、敢えて質問することも必要でしょう。そのためにも、会議等には結論をもって臨むことが大切です。

                              

 

ICT元年 学校と市教委が一丸となって取り組みましょう!

 5月1日(水)に元号が令和に変わり、新しい令和の時代がスタートしました。ご承知のとおり、新しい元号「令和」は、万葉集「梅の花の歌」の序文「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かを)らす」からの引用です。安倍総理は会見で、「厳しい寒さの後に見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる日本でありたいという願いを込めた」と述べています。
 この言葉の「日本人」を「子供」に換えて、「一人一人の子供が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる」ようにする営みは、学校教育に他なりません。なぜなら、このように換えると、この言葉は子供たちの自己実現のことであり、それは学校教育の目指すべき働きであるからです。これを教育基本法では、第5条第2項において「義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い」と謳っています。
 ですから、「令和」の元号に込められた願いを、私たち教育関係者は学校教育への期待と受け止め、これからの21世紀を生きる子供たちのために更なる教育の充実・発展に努めていかなければならないと思います。
 本市においてもその願いを実現すべく、今後一層進展することが予想されるグローバル化や情報化への対応を鑑み、「ふるさと真岡を愛し、世界で活躍する真岡っ子の育成」を目指し、様々な施策を展開しています。
 特に、昨年度から取り組んでいるICT教育においては、市内小中学校全ての普通教室、特別支援教室、理科室に65インチのモニター一体型電子黒板を完備しました。ICT導入モデル校の真岡東小と真岡西中はもちろんのこと、全ての学校でこれらの機器を活用した授業づくりに取り組んで頂いております。今年度はタブレットやデジタル教科書も順次配備し、ICT教育のための学習環境を整えていきます。
 こういった取組みを踏まえ、年頭所感では「授業改善ではなく授業改革」と称して、ICT機器を活用した授業づくりに本腰を入れて取り組みたい旨、お伝えしました。さらに本年度中には、教職員の事務処理の負担が軽減できるよう、統合型校務支援システムを全校配備することになっています。
 そこで本市においては、令和元年に因んで本年度を「ICT元年」と位置付け、ICTを積極的に活用した学校づくりに、学校と市教委が一丸となって取り組んでいきたいと思っております。各学校におきましても、「ICT元年」を合い言葉に積極的なICT機器の活用をお願いします。

教師は教えることのプロです!

 教師は教えることのプロです。これには誰もが異論はないでしょう。では、「プロの教師」とはどのような教師を言うのでしょうか。採用試験に合格し、赴任した学校で授業や学級担任等を受け持てばプロの教師となったことになるのでしょうか。もちろん否で、プロの教師となるにはそれ相当の条件が必要です。
  であれば、その条件とは何でしょうか。これについては諸説ありますが、少なくとも次の4つの条件はプロとして必須のものと考えます。
   まずは「専門性」です。当たり前のことですが、プロの教師は高い専門性を有していなければなりません。学習指導だけでなく学級経営や児童・生徒指導等の専門性も必要です。ところがこれらは、知識や技術だけでなく教師の肌感覚も要求されますので、容易に会得できるものではありません。相当の経験と研修が必要になります。教師は反省的実践家と言われるように、実践し省察し自己研修によって更に深めていく営みが求められるのです。
    次に「研究心」です。「研究なき実践は停滞する」と言われますように、研究し理論に裏付けられた実践でなければ、単なる独りよがりに過ぎず、成果は得られません。プロのスポーツ選手やプロの小説家など、世の中でプロと名の付く人たちを見れば分かるように、全てが旺盛な研究心に支えられています。教師にとっても当然それは欠かせません。
    そして「成果」です。これはプロにとって絶対的なものですが、残念ながら教師の意識は極めて低いと言えます。しかし今や、学力向上が県や市町の人口減少対策の一施策となるなど、教育が学校だけの閉じた世界で論じられる問題ではなくなってきています。それに相まって、現在は評価の時代とも言われ、成果主義が席巻している中では「成果」は避けて通れないのです。
    最後に「責任」です。結果について常に「責任」が問われるのがプロです。が、これについても教師の意識が低いと言わざるを得ず、一抹の不安を抱いています。教科担任であれ学級担任であれ、一人一人の子供を1年間責任をもって教え導かなければならないのですが、できているでしょうか。また、組織人としての責任も同様です。
    以上、私の考える「プロの教師」について述べましたが、「あらゆる教育論は教師論に行き着く」と言われるように、いつの時代でも教育の成否はその直接の担い手である教師に係っています。現在の芳賀地区は大量退職の時代にあり、経験年数の少ない教師が増えていますので、一人一人の教師の資質能力の向上がこれまで以上に求められています。だからこそ、誰もがプロ意識を持って取り組むことが大切であり、そのためには「専門性」「研究心」「成果」「責任」の4つの条件を具備することが重要と考えています。

 

異動は最大の研修である

 毎年、春の訪れと共に人事異動の季節を迎えます。教職員であれば異動は避けて通れないことではありますが、長年勤務し愛着のある職場を離れることは誰でも寂しいものです。また、異動先でうまくやれるかなどと、一抹の不安も付きまといます。
  私自身40歳半ばから、3年、2年、2年、2年、1年、3年、1年、そして現在と、小刻みな異動を転々と繰り返してきました。異動した先々では、当初電話一つ取ることができず、悪戦苦闘の連続でした。しかし、どの職場でもある一定期間を過ぎれば、それなりにその職場に馴染んで仕事も行うことが出来るようになっていました。これは皆さんも同じことだと思います。我々教職員はこうして一つ一つ仕事を身に付け、自分自身のキャリアを形成していくのです。
 それ故、「異動は最大の研修である」と言われています。新しい職場は元の職場と多かれ少なかれ勝手が違い仕事も異なりますから、自分自身の能力開発のチャンスになるというわけです。人事異動では、主に次のようなことが期待されています。
① 気分一新して新たな気持ちで仕事を行うことができる。
② 新しい業務に就くことによって、自分自身のキャリアを形成することができる。
③ 学校文化・風土の違いから、たとえベテランでも新たなことを学 ぶことができる。
 ずっと同じ職場では、どんなに気を付けていても慣れが生じたり、仕事に対する固定観念が生じたりして、自己向上の妨げとなる場合があります。そのため、異動は自分の能力開発のために与えられた絶好の機会と捉えることが大切です。今回異動になる教職員の皆さんには、「異動は最大の研修である」ということを肝に銘じて、4月から新し職場での一層の活躍を期待します。

交通事故は自ら注意しないと防げない

 立春が過ぎて、春の息吹が感じられる時節になって参りました。学校では年度末の卒業式や修了式を控え、1年間の学校運営の最終段階に入ります。そこでこれからの時期、特に注意しなければならないのは子供の事故です。
 消費者庁の調べによれば、公園や学校、商業施設などにある遊具での子供の事故は、三月から五月に増える傾向があるといいます。子供の事故は、暖かくなるこれからの時期に発生しやすくなる、ということを知っておかなければなりません。
 また、中学校では、進路が決定した3年生は緊張感から解放されます。1・2年生にあっては、部活動もこれといった大会等がなく目標が見えない時期であり、学年末テストが終わると、それ以上に緊張感がなくなると思われます。それに相まって春の陽気も手伝い、子供だけでなく大人も気が緩みがちになるのがこれからの時期です。ですから、たとえ自らの過失がなかったとしても思わぬ事故に遭う危険性があります。
 3年前に某市で発生した交通事故がまさにそれでした。その事故は、卒業式を1週間後に控えた3月1日の放課後に起きました。市内の中学3年生が信号機のある交差点を自転車で横断中、左折するタンクローリーに巻き込まれてしまいました。生徒は頭を強く打ち、間もなく死亡するという痛ましい事故となってしまいました。
 事故の原因は、ドライバーが横断中の生徒に気付かなかったことのようですが、この事故に限らず、横断中の歩行者等を巻き込む事故は幾つも発生しています。日常的に運転しているドライバーであれば、信号機のある交差点で右左折する際に、横断中の歩行者等に気付くのが遅れ、ハッとした経験は1度や2度はあることでしょう。ましてや、春が近付きつつあるこれから時期です。危険度は増してしかるべきです。
 交通事故は、いつ、どのような形で起こるか分かりません。たとえ交通ルールを守っていても事故に遭う危険性はあるのです。事故防止には、信号無視等の違反行為や飛び出し禁止だけでなく、このことも子供たちに十分認識させておく必要があります。
  特に、信号が青だからといって全く左右を確認せず横断する自転車を見かけますが、危険です。最近起きた生徒の自転車事故の中にも、青信号で横断中に車と接触している事故が散見します。もちろん、いずれも車側の過失なのですが、自転車側で左右確認していれば防げた事故でもあります。
 改めて、交通事故は自ら注意しなければ防げません。特に信号機のある交差点では正しく横断していても事故に遭う危険性がありますので、横断する際は信号が青になっても、もう一度左右確認する危機意識を子供たちに持たせてほしいと思います。

「授業改善」ではなく「授業改革」

 新年あけましておめでとうございます。平成31年がスタートしました。今年は亥年です。「亥」は十二支の中で最後の年です。偶然にも「平成」も最後となります。「終わりよければすべしよし」となるよう、先ずは元号が変わる5月までを有終の美で飾りたいものです。そして新元号の下、新たな時代の幕開けに相応しい飛躍の年にしたいと思っています。

2019干支

 そこで、今年はICT機器を活用した授業づくりに、本腰を入れて取り組んで行きたいと思います。
 本市では昨年末までに、市内小中学校全ての普通教室、特別支援教室、理科室に65インチのモニター一体型電子黒板を完備しました。今年から来年にかけてタブレットやデジタル教科書等も配備し、ICT教育のための学習環境を整えていきます。
 現在、真岡東小学校と真岡西中学校がICT導入モデル校として、これらの機器を活用した授業づくりに取り組んでおります。早速、昨年10月17日(水)には石坂市長をはじめ市教委で、12月13日(木)には市議会でモデル校を訪問し、授業を参観しました。どの授業もICT機器の活用が図られ、子供たちも意欲的で能動的な授業が展開されていました。
 中でも、私が見たグループ活動の授業では、タブレットと電子黒板が効果的に働いていました。その授業では、教師がワークシート等の電子データを各グループのタブレットに配信し、一斉に指示しました。グループでの話し合いでは、その内容をタブレットに整理すると、各グループの状況が電子黒板に映し出され一目瞭然となります。教師はそれを基に指導・助言していました。また、発表はタブレットと電子黒板を使って行っていました。発表者が追加の書き込みもできますし、教師が電子黒板に直接書き込みもできます。
 この授業を見たのは10月17日(水)です。タブレットや電子黒板を配備してから2か月も経ってないときの授業ですから、機器の機能のほんの一部を活用したに過ぎないでしょう。にもかかわらず、従来では考えられなかったような授業が展開できるのです。ICT機器には多種多様な機能が備わっています。活用次第で相当効果的な授業ができます。
  これは「授業改善」というよりは「授業改革」だと思います。「改善」はより良く改めることで、現状の延長線上で方法や手続きを変えることです。これに対して、「改革」は改め変化させることで、将来志向から考え方を変革することです。(日本能力協会「知恵ぶくろ・べからず集」より)
 昨年6月のICT機器導入の際には、これからの国の教育環境整備の動向を見据え、「デジタルが主でアナログは従」という発想の転換の必要性を強調しました。それはまさに「将来志向から考え方を変革すること」であって、授業づくりにおいては、「授業改善」ではなく「授業改革」を進めていかなければならないと考えております。


 

教師は子供に夢を与える職業 それを忘れないでほしい

                               

  かつては「聖職」とまでいわれた教師の仕事ですが、現在はその「ブラック化」が大きな問題になっています。こうした状況の中で、子供たちは教師という職業をどのように見ているのでしょうか。
 (株)クラレが小学校6年生を対象として毎年行っている、将来就きたい職業を尋ねたアンケートの今年度の結果が新聞等で報じられています。(アンケートは今年の1月から3月、ランドセルをアフガニスタンに寄付する活動に協力した子供たちを対象に実施)
 それを見ると、教師は男女とも3位にランクされ、将来就きたい職業の上位にあることが分かります。男の子を見ると、スポーツ選手、エンジニアに次いで教師が入っています。女の子では、医師、看護師に次いで教師が入っています。因みに、昨年度の女の子のトップは、医師を押さえて教師でした。 
 この結果を見る限り、子供たちは教師という職業を将来就きたい憧れの職業と見ているようです。
  そういえば、管理訪問の初任者との面談で、「どうして教師になったのですか」と尋ねると、「当時の担任や部活動の先生に憧れて」と答える初任者が多いことを思い出します。
 初任者だけではありません。手元に、ある学校の広報だよりがあります。その中に「どうして先生になったのですか」という質問に対する教師の答えが掲載されています。17名中6名の教師が「当時の担任や部活動の先生に憧れて」と答えています。現職の教師の多くが、当時の先生の影響を受けて教師の道を志したのではないでしょうか。
  教師という職業は、いつの時代も子供が憧れる職業、子供にそういった夢を与える職業なのです。にもかかわらず、わいせつや体罰等の教師の不祥事は後を絶たず、つい先日も本県の中学教師が酒気帯び運転で逮捕されるという事案が発生しています。表沙汰にならないまでも、教師の不用意な言動により、子供が傷付き信頼を失うという場面は多々見られます。社会的風潮としても、学校バッシング、教師バッシングがはびこっている現状があります。とはいえ、子供たちは教師を憧れの職業と見ているのです。このことは教師として絶対に忘れてはいけません。教師は子供に夢を与える職業なのです。それを忘れずに、自信と誇りをもって教師の仕事に打ち込んでもらいたいと思います。

子供の心に寄り添う教師が求められているのですが・・・

 9月2日付け下野新聞『日曜論壇』に掲載された、獨協医大公衆衛生学教授小橋元(げん)氏の「心に寄り添い救う社会に」を読んで感銘を受けました。
 小橋氏は、学生時代に多くの治らない患者と接したことから、病気になる前の予防を考えるようになったといいます。そして、臨床の場で病気の予防ができるのは、産科の妊婦検診と母親教室と気付き、産婦人科医になることを決心します。しかし、自分が男である以上、産婦人科を受診する女性の気持ちは分からないことを知り、愕然とします。そこで氏は、少しでも女性の気持ちを分かろうとして自ら試みたことを次のように書いています。

 私は、夜中の誰もいない分娩室で分娩台に上がってみたことがある(もちろん下着も取って)。また、初めて働く病院では、いつも朝早く病院の正面玄関から受付を通って外来へ行き、待合室のベンチに腰掛けてみることが習慣だった。たとえば外来で昨晩からの腹痛で来院した患者さんに会ったとき、「昨晩からどんな気持ちで過ごして、今朝はどんな気持ちでどんな景色を見ながらこの外来に訪れたのだろう」と具体的にイメージしながら診察をする。患者さんと同じ境遇にはなれないが 「患者さんの心に寄り添おうとす」る気持ちが、患者さんの不安を和らげ、患者さんを救うと信じていた。

 体験しなければ分からないことがあります。と言っても、絶対に体験できないこともあります。その最たるものが男性が妊婦になることでしょう。しかし小橋氏は、自ら分娩台に、しかも下着を取ってまでして乗るなど、患者と同じ状況に自らを置くことを試みます。もちろんそれで、患者の気持ちが理解できるということではありませんが、そうすることが「患者の心に寄り添う」気持ちの表れで、それがあるからこそ患者の不安を和らげ救うことができるというのです。なんとすばらしいことでしょう。医者の鑑と言えます。
 翻って、教師も今ほど子供に寄り添う指導が求められているときはないでしょう。しかも、小橋氏とは違って、どの教師も子供時代があって学校生活を経験しているのですから、子供の境遇が分かるはずです。にもかかわらず、教師になった途端に子供の立場を忘れ、「指導」という美名の下、多少難しいことでも一律に子供に強いる教師がいます。
 かつてのように「子供の共通性を前提とする学校」であればそれでも通ったかもしれませんが、今や学校は、「子供の多様性に応答する学校」への転換が求められているのです。だからこそ、子供の心に寄り添う教師であってほしいと思っています。

ルールは教えるものです!

 公園で4人の子供がかくれんぼを始めました。ひとりが「おに」になり、私の近くにある木の下で、「1、2、3・・・」と数え始めました。そして10数えた後、「もーいいかい」と何度か聞きました。隠れた子供たちから「まーだだよ」と最初は返答があったのですが、その後なくなったので、「おに」の子供は隠れた3人を探し始めました。
  少し経った後で、「○○ちゃん、みーつけた!」と声がしました。その後、しばらくして3人全員が見つかりました。
 私は、次の「おに」となる子供がこちらに来るのだろうと待っていましたが、いつまで経っても来ませんでした。気になったので様子を見に行くと、4人の子供たちは別の遊びをしていました。不思議に思ってひとりの子供に聞いてみたところ、誰も「おに」をやらないからかくれんぼは止めてしまった、とのことでした。
 えっ、誰も「おに」をやらない・・・? 驚きました。次の「おに」は一番最初に見つかった者がなる、というのがかくれんぼのルールではなかったでしょうか。このルールはどこへ行ってしまったのでしょうか。
 おそらく、この4人の子供は誰からもそのルールを教わっていないのです。私の子供の頃は、近所のほとんどの子供が空き地に集まって一緒に遊んでいました。かくれんぼもその中で行われ、初めて加わった子供には年長の子供が教えたと思います。今の子供はそれがないのです。だから、かくれんぼのルールも知らない。知らないからこのときのように、最初に見つかった子供でも「おに」が嫌なら拒否することができ、他の子供もそれを無理に通そうとしないため、そこでかくれんぼが終わってしまったのです。
 ルールは教えなければ分かりません。分からなければできないのは当たり前です。
 昨今、子供の規範意識の低下が問題視されています。規範意識とは、道徳、倫理、法律等の社会のルールを守ろうとする意識のことで、規範は社会のルールです。ルールであれば、教えなければ子供は分からないのです。
 以前のように、家庭や地域の教育力が確かなものであれば、そこで子供は教えられたので学校の出番はなかったと言えます。しかしそれが以前ほど期待できない現在、「社会のルールを教える」という役割を担うのは学校以外にありません。構図は冒頭のかくれんぼと同じですから、しっかりと教えなければ、規範意識は益々低下してしまいます。

何を言ったかではなく、どう受け取られたか

9月4日(火)に芳賀郡市小中学校校長会がありまして、パワハラ問題で揺れている体操界を取り上げ、次のような話をしました。

 体操協会がパワハラ問題で揺れています。去る8月29日(水)体操女子の宮川紗江選手が都内で記者会見を開き、パワハラを受けたことを明らかにしました。宮川選手は、日本体操協会の塚原千恵子女子強化本部長と塚原光男協会副会長から、速見コーチの暴力について「認めないと厳しい状況になる」と強要され、また、五輪強化プロジェクトへの参加を拒むと「オリンピックに出られなくなる」などと圧力をかけられたと主張しました。
    これに対して塚原女子強化本部長は猛反発、「宮川選手は嘘も言っている。高圧的な話し方はしていない」と、発言の一部は認めたもののパワハラは全面否定しました。
    またしても、「やった」「やらない」、「言った」「言わない」の水掛け論になってしまっています。得てしてこの類いの問題は、勃発すると最初はそうなってしまいます。なぜでしょうか。それは、問題の根源にあるのは、何をやったかでもなく、どう言ったかでもなく、どう受け取られたかにあるからです。本人の受け取り方次第で、事の成り行きは相当違ってくるということです。ですから訴えられた方は「身に覚えがない」と最初は反論するのですが、最後は「どう受け取られたか」の方に軍配が上がってしまいます。
    直近で起きたパワハラ問題を取り上げましたが、身の回りにはこのような問題が頻繁に見られます。例えば、教師が無意識に言った言葉に子供が反応し、それが保護者に伝わり、大きな問題になってしまったなど、いくつかのケースが抵抗なく浮かぶと思います。
 だからこそ、学校ではこういったことがないよう防がなければなりません。それには、教師が子供との信頼関係を築き、軽率な言動を慎むことが何よりも大切です。そのために知っておいてほしいのは、言葉は言葉だけで伝わるのではないということです。言葉は必ず表情や態度を伴って伝わります。ですから、相手にどう受け取られるかは、言葉以上に表情や態度によって左右されてしまうことがあります。このことはメラビアンの法則というのが示しています。
 メラビアンの法則とは、アメリカの心理学者アルバート・メラビアンが話し手が聞き手に与える影響を、視覚情報55%、聴覚情報38%、言語情報7%と数値化し表した概念です。これによると、聞き手は話し手の言葉(言語情報7%)よりも遥かに、表情や態度(視覚情報55%)に影響を受けることが分かります。ですから教師は、子供や保護者と話す時には、「どう受け取られるか」も意識し、言葉はもちろん、表情や態度にも注意しなければいけないのです。これは教師にとって極めて重要なことですが、どれだけ認識されているでしょうか。

悉皆調査で大切なのは個への対応


 去る7月31日(火)に全国学力・学習状況調査の結果が公表されました。昨年から都道府県の平均正答率は整数値で公表されているにもかかわらず、未だ全国の順位がマスコミや新聞紙上を賑わしています。しかし、見逃してはならないのは、各都道府県の平均正答率の差が極めて小さいということです。小学校で言えば、最下位の県と全国の平均正答率の差は、国語A2.9、国語B2.8、算数A2.7、算数B2.7、理科2.4で、いずれも3ポイント未満です。(但し、全国平均正答率は小数第1位まで公表、都道府県は四捨五入して整数値で公表のため、最大で3.4ポイントの差の可能性はあります)全国学力・学習状況調査が実施されて今年で12年目になりますが、年々各都道府県の平均正答率の差が縮まってきています。
 既にとちぎっ子学習状況調査と真岡市総合学力調査の結果は出ていますから、これで全ての結果が揃いました。平均正答率に一喜一憂するだけでなく、3つの調査結果をもとに今後次のような取組が必要になります。
 ① 児童生徒に調査問題を再度復習させる。
 ② 児童生徒一人一人の結果を把握し、個に応じた指導をする。               
 ③ 学級・学年の結果を分析し改善プランを作成して実行する。
 ④ ②と③においては、小学校では3年から6年、中学校では1年から3年の学年のつながりを考慮し、学力向上のPDCAサイクルを確立できるようにする。
 ここで特に大切なのが②です。それは、いうまでもなく学力調査の目的は学力向上です。つまり、調査結果をもとに児童生徒一人一人の現在の学力を把握し、それを更に向上させることなのです。そのための悉皆調査であって、学力の傾向を見るためなら抽出調査でも間に合います。したがって、児童生徒一人一人への学力向上の指導が重要になります。とちぎっ子学習状況調査と真岡市総合学力調査の結果には、児童生徒の答案のコピーが添付されています。答案の再確認ができますし、結果表だけでは見えない誤答分析も可能になります。
 また、これら3つのテストの実施により、小学3年から中学3年までの学力調査のデータが得られることになります。これは④で示したように、学校としての学力向上のPDCAサイクルとともに、児童生徒一人一人の学力向上のPDCAサイクルの確立にも役に立ちます。
 実のところ、全国学力・学習状況調査は小学6年と中学3年の卒業学年実施ということもあり、個への対応はなおざりにされたきらいがあります。しかし、とちぎっ子学習状況調査と真岡市総合学力調査の実施により、上述のような個の学力向上のPDCAサイクルの確立が可能になります。
 真岡市総合学力調査は11月にも実施しますので、よりきめ細かな児童生徒の学力の把握ができます。悉皆調査で大切なのは個への対応です。各学校での適切な指導をお願いします。

「デジタルが主で、アナログは従」という発想の転換

 
 去る6月19日(火)に議会が閉会しました。今回の議会では6月の補正予算も審議され、教育委員会関係ではICT教育の予算が可決されました。これにより、小中学校の全ての普通教室、特別支援教室、理科室に1台ずつ電子黒板が設置されることになります。また、次年度までには、小学校の学級担任と中学校の教科担任に1台ずつタブレットを配布するとともに、児童生徒分として、小学校ではパソコン教室のパソコンを児童1クラス分のタブレットに入れ替え、中学校ではパソコン教室のパソコンの他に生徒1クラス分のタブレットを配備します。さらに教員へのタブレット配布に併せて、デジタル教科書の導入も進めていきます。
 このようにICT機器を完備し学習環境を整えるのは、何を隠そう授業を変えるためです。が、一抹の不安もあります。それは、言うまでもありませんが、大きな予算を投入したにもかかわらず、活用が十分されないということです。
 かつて、中学校にはどこの学校にもLL教室というのがありました。主に英語学習で使うのですが、アナライザーも設置されており数学の授業などでも使うことができました。設置には相当の予算が必要だったと思います。しかし、ほとんど活用されず、宝の持ち腐れとなってしまいました。これは典型的な例としましても、学校では得てしてこの傾向にあります。それは、「授業は黒板とチョーク」というアナログ的考えが根強くあるからです。
 だからこそ、同じ轍は踏んではいけないのです。そのためには、全ての教師が「デジタルが主で、アナログは従」という発想の転換が必要です。つまり、従来ならば「授業のどこでICTが使えるか」という発想でICT教育を考えていたものを、ICTで授業を行うことを前提として、どうしても黒板を使った方が効果があるというところだけは黒板を使うという「授業のどこで黒板が使えるか」という考え方に変えなければならないのです。
  文部科学省も、新学習指導要領の全面実施に向けて、学校のICT環境の整備を進めていくことが喫緊の課題としています。2020年から導入されるデジタル教科書は、現時点では紙の教科書とデジタル教科書の併用としていますが、いずれ必ずデジタル教科書が必須となり、ICTを活用した授業が主流となることは間違いありません。今回のICT機器の導入は、本市において時代を先取りする絶好の機会と捉えています。そのためには、電子黒板やタブレットを使ったデジタル授業が主で、黒板とチョークのアナログ授業は従という発想の転換が絶対的に必要だと考えます。

校長のリーダーシップとは

5月21日(月)に真岡市小中学校長会があり、校長のリーダーシップについて次のように話しました。

 校長にはリーダーシップが大切であるというのは当たり前のことです。ならば、リーダーシップとは何でしょうか。実はリーダーシップの定義は学者の数だけあると言われ、一つに確定するのは難しいのです。時のリーダーの置かれた環境や立場、やるべきことがそれぞれ異なることから、様々なリーダーシップの定義が生まれるのは至極当然のことです。だとしたら、「校長のリーダーシップ」はどう定義したらよいのでしょうか。
  独立行政法人教員研修センター(現:教職員支援機構)の組織マネジメント研修では、「目標・経路理論」というのを取り上げています。これは「優秀なリーダーは、集団が目標に向かって活動する過程で、直接働きかけて集団のまとまりや個々のメンバーのやる気を促すに留まらず、到達地点を定め、そこに至る道筋を明確にし、仕事のしくみや構造を創り出す」というものです。この理論は、校長がリーダーシップを発揮する上で、何をやるべきかを明確に示しています。それは次のように捉えることができるからです。
 先ずは「方向性を示す」ということです。理論では「到達地点を定め、そこに至る道筋を明確にし」とあります。これはリーダーとして絶対的なものであり、組織が向かう方向をスローガンや合い言葉で簡潔に表すことも大切です。また、問題等の発生時には、解決に向けた方向性を的確に示していくことがリーダーには求められます。
 次に「環境を整える」ということです。理論では「仕事のしくみや構造を創り出す」とあります。これは、組織目標を達成するために、必要な組織づくりや体制づくりをすることです。リーダーは「舞台を作る」と言われていますが、それはこのことです。
 そして「積極的に働きかける」ということです。理論では「直接働きかけて集団のまとまりや個々のメンバーのやる気を促す」とあります。職員を把握し、適宜・適切な働きかけをすることがリーダーには欠かせません。
  マネジメントが校長が担う機能であるのに対して、リーダーシップは校長の行う行為そのものです。ならば何をするかがリーダーシップで、「方向性を示す」「環境を整える」「積極的に働きかける」という具体的行動を知っていなければ実行はできません。

次代の校長・教頭を育てることが課題

 平成30年度がスタートしました。本市では3月末をもって4つの小学校が閉校になったため、小・中学校合わせて23校でのスタートとなりました。4月4日の市小・中学校長会総会では、これからの芳賀地区の管理職の状況を考え、次のように話しました。
             
             次代の校長・教頭を育てなければならない

 前回の教育長室だよりでは、校内人事の視点から人材育成の重要性について述べました。実は、「人材育成」と言いましても、現在の職務に必要な資質能力を身に付けさせることと、将来的に必要な資質能力を身に付けさせることの2通りの人材育成があるのです。
 例えば、授業力の向上を目的として行う授業研究会は、現在の職務に必要な資質能力を身に付けさせるものですから、前者に当たります。これに対して、将来の管理職候補としてのリーダー育成は後者に当たります。特にリーダー育成は、本来、人材を「選抜」することから始めますから、全ての教職員を対象とするわけではありません。つまり、「人材育成」と言っても、教職員を育てることとリーダーを育てることは異なるということです。
  大量退職・大量採用の真っ只中にある芳賀地区におきましては、全ての教職員がその職務を遂行する上で必要な資質能力を身に付けさせることと併せて、リーダーの育成も不可欠になってきています。
 芳賀地区の今後3年間に退職する校長・教頭の人数と、それに伴って誕生する新任校長・教頭の人数を見ますと、この3年間では、新任校長36名、新任教頭45名、合わせて81名の管理職が新たに誕生することになります。校長においては、3年間で43名中36名が新任校長に入れ替わることになります。ということは、現在の教頭と教務主任、あるいは主任層の中から、この3年間に81名の先生が校長・教頭として昇任されることになります。
  ところが学校では、教職員の資質能力の向上を目指し、校内研修の充実は図られているものの、リーダーの育成には意識が薄いのが現状です。したがって、次代の校長・教頭となるリーダーの育成がこれからの大きな課題と言えます。そのためには先ずは、対象者への意識付けを図らなければなりません。そして、これまでのような、対象者が研修や上司の姿勢から学ぶリーダー育成のスタイルに加えて、校長先生自らがお手元に配布した参考資料等を基に対象者に積極的に働きかけていただき、次代の校長・教頭を育ててほしいと思います。
 <参考資料>『月刊高校教育』2013年6月号「校長は次世代のリーダーをどう育てるか」

 

新指導要領は教室の前で止まっている

 昨年3月に告示された新しい学習指導要領も、1年間の趣旨等の説明を経て、この4月から移行措置期間に入ります。また、「特別の教科 道徳」も小学校でスタートします。学校では、これらの準備は大丈夫でしょうか。    
  かつてから「教育改革は校門の前で止まっている」と言われ、「新指導要領は教室の前で止まっている」と言われています。どんなに教育改革、学校改善と言われていても、学校へ行ってみれば旧態依然のままで、同じような問題が発生し後を絶たない。教室を覗いてみれば、なんら変わり映えのしない通り一遍の授業が行われ、新指導要領の「し」の字も感じられない、という状況を揶揄した言葉です。これは極端に書いたのですが、あながち言い過ぎとも言えないかもしれません。
  それは、合同訪問の際に学校経営概要を見せてもらいますと、新課程になっても文言が旧課程のままという学校も散見します。そういう学校は授業も同様で、新課程の趣旨に沿った授業が展開されていないことがほとんどです。
 それに今回は心配なこともあります。昨年の夏休みの中堅教員研修会では、新指導要領作成に直接携わった文部科学省の担当官の講話を設定しましたが、その必要性を否定するような酷評が複数ありました。これからの芳賀の教育を担う30歳代後半の教員が、告示された4ヶ月後に、普段聞くことができない文部科学省の、しかも、その作成に携わった担当官の話に価値を見出せないという体たらくでは、先が思いやられます。
  今回の学習指導要領は、従来にも増して大きな改訂と言えます。これからの21世紀を生きる子供たちに必要な資質・能力を身に付けさせるために、これまでの教科内容重視の構成から、育てたい資質・能力まで言及し、その方法も示しています。資質・能力は本来、教科の枠を越えて横断的・総合的に育むものですから、これまで以上にカリキュラム・マネジメントが重要になってきます。また、子供たちに生きて働く力となって身に付くよう、「主体的・対話的で深い学び」を通した授業改善も求められています。
 では、「主体的・対話的で深い学び」はどのような授業展開になるのでしょうか。ちょっと前までは「アクティブ・ラーニング」と言い、グループ学習が頻繁に行われていましたが、それでよいのでしょうか。等々、新指導要領の趣旨を理解し実践に至るまでには距離があるのではないでしょうか。このようなことを踏まえ、各学校における移行期への準備を宜しくお願いします。

立志を迎えた皆さんへ

 立志を迎えた中学2年生の皆さん、そして保護者の皆様、おめでとうございます。
 立志式とは、武士の社会で行われていた「元服」の儀にちなんで、14歳になったことを祝う式のことです。元服とは、奈良時代以降、成人を示すものとして行われる儀式のことで、通過儀礼の一つになっていました。つまり、この時代では、14歳になると大人の仲間入りをしたということになります。現代では20歳に行われる成人式が大人の仲間入りをする儀式ですから、「立志」とは文字通り「志を立てる」ことであり、この時期に立志を迎える意義は大きいのです。
 と言いますのは、14歳という時期は、3年生への進級を控え、自分の進路や生き方について、これまでを振り返り、これからどのように生きるか、新たに誓いを立てることが必要な、節目となる時期だからです。ですから皆さんは、それぞれが立志の誓いとして、将来の夢や希望を真剣に考えて「誓いのことば」に表したと思います。そして、式では堂々と発表されたと思います。
 元東京大学の総長で、政治学者であった南原繁(なんばら しげる)氏は、「夢や理想は単なる抽象的な概念ではない。必ず実現の力となって働くものだ」と言っています。つまり、夢や理想を持つこと自体に意味があって、それは実現の原動力となるからだと言っているのです。
 皆さんが生きるこれからの21世紀は、一層情報化やグローバル化が進むと思われます。
変化の激しい、先行き不透明な時代とも言われています。そのような中だからこそ、大きな夢をもち、高い理想を掲げ、その実現のために強い意志をもってやりぬいていただきたいと思います。意志あるところに道は開けます。皆さんの輝かしい未来を祝福いたします。
 結びに、保護者の皆様に一言お願い申し上げます
 お子様は、14歳を迎え、思春期前期に入り、人生において最も多感な時期に差し掛かります。この時期は、自発性が高まり、自ら考え、判断し、目標に向かって努力できる時期でもあります。勉強や部活動に、「目標をもってがんばる」という、人生における基本を身に付けることが大切な時期になります。学校ではその基本を身に付けられるよう、勉強や部活動指導を行っております。保護者の皆様にも、一層の学校へのご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げ、お祝いの言葉といたします。

ふるさと真岡を愛し、世界で活躍する「もおかっ子」の育成

                   

 新年明けましておめでとうございます。新しい年平成30年がスタートしました。今年は戌年です。犬は社会性があり忠実な動物で、古くから人間とともに暮らしてきました。その性質から「勤勉」で「努力家」の象徴でもあり、地道な努力によって成果が上げられる年ということもできます。私は戌年生まれ、今年は教育長として3年目を迎えます。
 さて、昨年3月には新しい学習指導要領が告示され、これからの21世紀を生きる子供たちに必要な資質・能力やそれを身に付けるための教育内容等が示されました。4月からは全面実施に向けての移行期間に入り、新しい教育課程への新たな取り組みがスタートすることになります。
  本市におきましては、昨年5月に石坂新市長が誕生し、「JUMP UP もおか ~だれもが『わくわく』する街づくり」のスローガンの下、まちづくりの基本戦略として、5つのプロジェクト、32の施策が打ち出されました。その1番目に「こどもの元気な成長プロジェクト」があり、学力の向上、ICT教育の推進、英語教育の充実、体力アップ、次世代リーダーの育成の5つの施策が挙げられています。
  これらを受け、各施策等の確実な推進とともに、今後一層進展することが予想されるグローバル化や情報化を鑑み、本市教育の目指すべき姿として「ふるさと真岡を愛し、世界で活躍する『もおかっ子』の育成」をスローガンとして掲げることにしました。
  グローバル化の時代、これからの子供たちには世界に視野を広げ、世界で活躍できる資質・能力を身に付けさせることが極めて大切になります。一方で、地方創生の時代でもあり、地域活性化のため郷土愛を育むことも欠かすことができません。昨年ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏の小説には、生まれ故郷の長崎や日本への思いが切々と綴られています。世界的に活躍しているイシグロ氏であっても、原点はふるさとにあって、それが旺盛な創作活動の原動力となっているといいます。
 郷土愛に満ちたグローバルな人材の育成は、我が国はもちろんこと、我がふるさと真岡を発展させるため今後ますます重視され、まさにこれからの時代に求められる教育と言っても過言ではありません。本市におきましても、「ふるさと真岡を愛し、世界で活躍する『もおかっ子』の育成」のスローガンの下、本市教育の更なる発展・充実に向けて、微力ではありますが全力で取り組んで参りたいと思いますので、今年もご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。


 

命の大切さや尊さの指導に加えて

 またしても異常極まりない事件が発生してしまいました。先月末、神奈川県座間市のアパートで、20歳前後の男女合わせて9人の遺体が発見されました。容疑者が逮捕され、その後の報道で犯行の状況が徐々に明らかになってきました。衝撃的といえるのは、僅か2ヶ月余の間に9人全員を殺害し、しかも遺体を切断し自分のアパートに遺棄したということです。容疑者の猟奇性は疑う余地がないのですが、教育に携わる者として看過できないことは、被害者のほとんどが「自殺願望」を持っていたということです。
 報道では、容疑者はネット上で自殺願望者を物色し犯行に及んだとされています。ネット上には自殺願望を発信する者が後を絶たないといいます。多くは若者で、実際の自殺者数をみても、警察庁の統計では自殺者全体の数は減少しているにもかかわらず、小中高校生の自殺者は変わっていません。この10年間、毎年300人もの小中高校生が自殺しており、多い年は350人を超えています。因みに昨年は320人でした。
 子供の自殺は対岸の火事ではありません。怖いのは、「死にたい」などと口にしたり、ネット上に発信したりする行為に抵抗感がなくなっていくことです。なぜなら、子供の深層心理は複雑でガラス細工のように脆い一面があるため、そういった行為がいじめなどで触発され実行に及んでしまう危険性を孕んでいるからです。現に身近でも、肝を冷やすような行為が散見され侮ることはできません。
 では、どう対応すればよいのでしょうか。私は、この事件の容疑者が「本当に死にたいという者はいなかった」と供述している点に注目しています。それは、自殺願望者であっても、実際に死と直面すると恐怖やリスクがよぎり、ためらいが生じると思えるからです。だとすれば、これまでの命の大切さや尊さの指導に加えて、次の①~③のような、死の恐怖やリスクを伝えることが自殺抑止に繋がるのではないかと思われます。
 ① 自殺という行為は耐えられないほどの痛みや苦しみを伴うということ
 ② 命は失うと二度と戻ってこないということ                     
 ③ 子供を失った親の悲しみは計り知れないものがあるということ
 自殺の代償は余りにも大きく、それは本人のみならず親にも重くのしかかります。特に我が子を失った親の悲しみは深く、子供の想像を遥かに超えています。かつては、「親より先に死ぬほどの親不孝はない」と親が子に諭したものですが、現在はほとんど聞かれないのではないでしょうか。だからこそ、子供を救えるのであれば、敢えてこういった死ぬことのリスクも伝えるべきではないかと思うのです。

[チーム学校」をより強化するために

本日、真岡市小中学校校長会があり、次のことをお話ししました。

 平成27年12月に、中央教育審議会答申「チームとしての学校の在り方と今後の改善方策について」が出されて以来、学校においては「チーム○○学校」という表現が目立ってきています。答申では、新しい時代に求められる資質能力を育む教育課程の実現や複雑化・多様化した教育課題への対応、子供と向き合う時間の確保のために「チームとしての学校」の必要性が謳われています。特に注目すべき点は、教職員だけでなく、心理や福祉等の専門スタッフとチームを組んで対応できる指導体制を整備すべきという点です。「チーム学校推進法」なる法案も用意されているとのことですので、専門スタッフを加えて学校の指導体制を強化することは喫緊の課題と言えます。
 こういった背景もあって、多くの学校で「チーム○○学校」と銘打って、教職員の結束力を高め日々の教育活動の向上に取り組んでいます。言うまでもありませんが学校は組織体です。ですから学校教育の充実には、「組織的対応」が欠かせません。これはチームとしての学校も同様です。そこで、改めて組織的対応について次の三つをお示しします。
 先ず一つ目に、目標の共有化・共通理解です。組織には必ず目標があり、構成員全てがその目標を共有化していなければなりません。また、何か問題が起こりそれに対処するには、共通理解が絶対的に必要です。
  二つ目は役割分担です。そもそも組織が存在するのは個人ではできないからです。企業でいえば分業の必要性です。そのためには役割分担が重要になります。特に大切なことは、組織のトップが必要に応じて適切な役割分担をしなければならないことです。急を要する事態には、必要な役割を相応しい人員に、即割り当てることが管理職には求められます。
  三つ目は意思の疎通、情報の伝達です。これをコミュニケーションと言うことにします。たとえ行動は単独であっても、他の構成員との意志の疎通がなければなりませんし、組織のトップへの情報伝達は欠かすことはできません。
 組織の大小にかかわらず、組織的対応には目標の共有化・共通理解、役割分担、コミュニケーションの三つは極めて重要です。もちろんチームも同様で、例えば野球で4番バッターだけを揃えてもチーム力は上がらず、役割に応じた選手が必要なように、学校のチーム力を上げるには教職員の持ち味を生かす役割分担が何よりも大切です。
  今まさに学校は組織として、あるいはチームとして組織力と機動力が求められています。中でも、緊急のときこそ組織的対応が不可欠で、上述の三つのことを確実に実践することによって機動力にも結び付きます。「チーム学校」をより強化するために再確認願います。
  

起こったこと全てに原因がある

 かつてベストセラーとなった『原因と結果の法則』(ジェームズ・アレン著)では、ものごと全てに「原因」があるから「結果」があることを説いています。つまり、身の回りで起こったこと全てに必ず原因があるということです。ですから、何か問題が発生した場合に、その原因を明らかにしない限り問題の根本的解決にはなりません。
 例えば、日本の新幹線や航空機が他国に比べて極めて安全性が高いのは、問題発生の原因を徹底的に究明してきた結果といえます。これに対して、依然としていじめの問題が後を絶たないのは、原因究明にどこか問題があるからではないでしょうか。
  いじめの問題は、これまで研究者や学校関係者等が再三再四に渡り原因究明に取り組んできました。しかし、悲惨ないじめは繰り返し発生し深刻化しています。なぜでしょうか。
 いじめの問題を考えるには、学校はもちろんですが、被害者、加害者、保護者など、いくつかの側面があります。にもかかわらず、ひとたびいじめの問題が発生すると、一方的に学校ばかりが責め立てられ、学校は終始責任の追及に晒(さら)されます。当然、発見の遅れや対応の不適切さ等があれば、学校の責任は免れません。しかし、それだけでは原因の究明にはなりません。被害者、加害者、学校、保護者など、いじめの発生に関わるあらゆる側面から徹底的に原因を追究しなければならないのです。
 学校では、いじめの問題に限らず、大小さまざまな問題が発生します。生徒指導上の問題だけでなく、学力向上等の教育課程上の問題もあります。こういった問題を解決するためには、なぜ起こったのか、どうしてそうなったのかなど、それらが起こった原因を明らかにすることが大切です。しかし、問題が発生すると、どうしても対症療法的な対応になってしまい、再発が繰り返されるということが多々あります。そうならないためにも、「起こったこと全てに原因がある」という認識のもと、徹底した原因究明が必要なのです。

教師の仕事は体と感覚で覚えなければならない

 8月に入り、夏休みも中盤となりました。現在、校内研修や教育行政機関の研修が佳境を迎えています。夏休みといえども学校では、学力向上や児童・生徒指導等の課題に対応するため校内研修を実施しています。また先生方は、市教委や総合教育センター等の研修に積極的に参加して学んでいます。特に今年は、新しい学習指導要領が告示されたり、小学校道徳が次年度から教科化されたりするため、県教委主催の教育課程説明会をはじめ、それらに関する研修への参加も多くなっていると思います。
 教育公務員特例法第21条(教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない)を持ち出すまでもなく、教師にとってこういった研修で学ぶことは欠かすことのできないことです。しかし、注意しなければならないのは、研修で学んだからといって、直ちに指導力の向上に結び付くとは限らないということです。
 なぜなら、教師の仕事というのは、直接子供と関わって身に付くことが多いからです。特に学習指導や児童・生徒指導は、子供の実態に応じた適切な指導が求められます。学級集団は異なりますし、一人一人の子供はみな違いますから、それに応じた指導が必要となります。時として、一般論や定石では対応しきれないこともあります。だからといって、知識や技術等の理論が必要ないということではありません。それらはもちろん重要ですから、研修等でしっかりと学んでいただきたいと思います。ただ、それだけではなく、その後の実践と省察、そして更に深めるための自己研修が大切になります。
  ところが、かつて芳広教委が実施した研修等に係わるアンケート(平成22年1月小・中学校25校抽出427名対象に実施)では、芳賀地区の教員は、教育センター等の研修に積極的に参加している割合が70.8%と高かったものの、その内容に関わる実践や自己研修を研修後行っていると回答した割合は11.6%と低かったのです。研修がその後の実践や自己研修にそれほど結びついていないことが明らかになりました。
  これは、教師は忙しく、研修を受けたとしても、それを振り返り実践する余裕がないのかもしれません。ましてや自己研修に発展させるなど困難と言われるかもしれません。しかし、教師の仕事は子供に対する皮膚感覚というのが不可欠で、こればかりは研修では補えず、教師自身が体や感覚で覚えなければならないことなのです。研修等で学んだことを実践に生かし、省察し更に深めることの繰り返しによって、教師の実践的指導力は身に付くということです。 

捲土重来に期待

  7月8日(土)の下野新聞に、中村南小リレーチームの県大会3位の記事が掲載されました。全校生僅か57人の小規模校の見事な活躍を知り、大変嬉しく思っております。
 さて、今日から夏休みになりました。中学校の部活動では、いよいよ3年生にとっては最後の大会となる総合体育大会が始まりました。春季大会では、真岡中卓球部の県大会優勝や中村中野球部の3位など、たくさんの部が県大会出場を果たし、大変活躍しました。
 その一方で、残念ながらあと一歩というところで敗れ、県大会を逸した部もあれば、県大会には出場したが、目標達成までは至らなかった部など、何らかの課題を残し、生徒だけでなく指導の先生も悔しい思いをしたという部もあったのではないでしょうか。
 春季大会では十分に力を発揮できず、目標を達成できなかった部の捲土重来を期待しております。これまでの練習の成果を存分に発揮して、思い出に残る中学校最後の大会にしていただきたいと思います。各部の健闘を大いに期待しています。

暑さ対策 熱中症対策 大丈夫ですか

 昨年のことですが、某中学校のバスケットボール部の生徒が部活動の練習中に倒れ、熱中症が原因で亡くなるという事故が発生しています。この事故は夏休みの8月16日の朝、まだ気温もこれから上昇するというときに起きています。
 このときの練習は午前8時半からのランニングで開始されました。通常なら30分走るときには15分で給水することになっていたそうですが、この日は正顧問が不在で副顧問が指導、給水なしで走らせたとのことです。しかも、生徒が通常より5分早く終わらせたのを、教師は「ごまかした」と判断、さらに5分長く走らせたため、実際は35分間無給水でランニングをしたことになります。事故はその直後に起きています。
 この事故については、第三者による調査委員会が設置され詳しく調べられました。その結果、「水分を取らせなかったこと」と「通常は30分のところ5分長く走らせたこと」が不適切な指導と指摘されました。これ以上詳しいことは報道からの情報では分かりませんが、こういった事故にはいくつかの原因が考えられます。 
 その一つに、時間帯での危機意識のなさがあったのではないでしょうか。事故が起きた午前8時半から9時といえば、まだ気温が上がりきっていない時間帯です。日中の炎天下なら誰でも熱中症を警戒しますが、この時間帯ではその意識はなかったと思われます。そうでなければ、無給水で30分(教師はそう思っていた)も走らせることはなかったでしょう。
 それにもう一つ、熱中症はそのときの体調にも左右されるということを認識していたでしょうか。例えば、夏バテで朝食を食べられなかったり、夏休みの不規則な生活のため体調を崩したりしても熱中症になるリスクは高まります。事故が起きた8月16日といえば、まだお盆も終わってなく、盆踊りなどの行事や親戚等との交流もあり、夜遅くまで起きていて寝不足などということも考えられます。ですから、部活動の開始前には、健康観察により一人一人の体調を把握することも必要なのです。
  さて、あと1週間で夏休みです。日本の夏は近年暑さが増しています。暑さ対策、熱中症対策は大丈夫でしょうか。上述のように、時間帯にかかわらず熱中症の危険性がありますので注意が必要です。また、夏休みの子供たちの生活は不規則になりがちですので、部活動等での健康観察は不可欠です。
 気象と健康が専門の村山貢司氏によると、「夏バテしない規則正しい生活が大事で、それだけでも熱中症はかなり防げる」と言います。また、「ただの水では体液が薄まって2次脱水が起こるため、ナトリウム等の電解質が入ったスポーツドリンクのようなものがよい」とも言っています。これから夏本番に向けて各学級等での指導をお願います。
 

いい教育してますね

 先日、とてもよい光景を見ました。それは、私がよく行っている公園でのことです。
 幼稚園の年長さんくらいの女の子が自転車に乗って遊んでいました。すると、突然、乗っていた自転車から飛び降りて、「〇〇くーん」と叫んで、一目散に走り出したのです。女の子が向かった先には、幼い男の子が自転車で転んだのでしょうか、泣いていました。女の子から男の子までの距離は約30mくらいあったと思います。女の子は脇目も振らず一心不乱に走って行って、その子を助けてあげました。たぶん、男の子は女の子の弟なのでしょう。しばらくすると、お母さんも近くにいたようで、二人のところへやって来ました。男の子は、お姉さんとお母さんの二人に助けられ、べそをかきながらも自分で自転車を起こしました。
 なんと、弟思いのお姉さんなのでしょう。私は、思わずそのお母さんに、「よい教育をしてますね」と言ってしまいました。そのお母さんは、30歳くらいの年齢ですが、とてもしっかりしたお母さんでした。このような姉弟でしたら、思いやりの心が育まれ、陰湿ないじめなどしない子供に育つのだろうと、つくづく思いました。
 どうしたら、この女の子のように思いやりのある子供に育つのでしょうか。どうしても、就学前の兄弟姉妹の場合には、親として下の子のほうに手をかけてしまうのが普通です。その結果、上の子が愛情不足を感じてしまうなどの、子育ての難しさも指摘されています。
 それを思いますと、少なくともこのお母さんは、普段から二人の子供に、惜しみない愛情を分け隔てなく注いでいるのだと思います。そして、女の子自身も満ち足りた愛情を感じ、安心した生活を送っているのでしょう。
 また、このお母さんは、もし子供に何かあったら、この女の子がとった行動のように、自分のことはさておき、すぐに対応しているのだと思います。女の子も、そういったお母さんの行為をいつも見ているからこそ、冒頭のようなほほ笑ましい光景があったのではないでしょうか。
  と考えますと、これは教師にも当てはまります。子供が一番嫌うのは、教師の依怙贔屓(えこひいき)です。教師はそうとは思っていない行為であっても、子供は捉え方が違うことがありますから注意が必要です。また、子供最優先は教師の鉄則であるにもかかわらず、忙しさのあまり、つい後回しになってしまうことがあります。
 改めて、これらのことは子供への影響が大きく重大なことですので、これを機会に、「教師の当たり前」として意識していただきたいと思います。
 
ii

学校経営に命を吹き込む

 6月6日(火)に芳賀郡市小中学校校長会があり、岡良一郎教育長会長の代理として挨拶をしました。
 校長先生方に少しでも参考になればと思い、私の校長経験から得たことですが、「学校経営に命を吹き込む」という内容で、次のように話しました。

 
 「校長の言葉は校経営に命を吹き込む」と言えます。それは、なぜかと言いますと、学校経営には校長の教育理念が必要です。また、経営理論も大事ですし、それに基づく経営構想や経営計画も大事です。しかし、どんなに崇高な教育理念をもっていても、また、高度な理論に基づき、素晴らしい経営構想や経営計画があったとしても、それらを通して見える学校の現状を的確に捉え、適宜・適切に発信する「言葉」が校長になかったら、学校は安定しません。血液が心臓から体内のあらゆる器官に行き渡るように、校長の言葉が、職員に、学校組織に、そして子どもたちに伝わってはじめて、学校経営が円滑に機能すると言えるのです。このように考えると、無味乾燥な学校経営に命を吹き込むのは、やはり「校長の言葉」と言えるのではないでしょうか。
  言葉には力があります。学校経営に命を吹き込むような大いなる力があるのです。ですから、言葉は学校経営の戦略として使えます。と言っても、言葉巧みに相手を洗脳するとか、カリスマ的に相手を操るとかのために使うのではないことは言うまでもありません。あくまでも、校長が学校組織を動かし、円滑に学校経営を進めるために使うのです。そのためには、職員への発信が最も大事になります。
  よく「校長は講話で勝負する」と言いますが、これは主に児童生徒や保護者向けの講話です。もちろんそれも重要ですが、それ以上に神経を注がなければならないのは、実は職員への話なのです。なぜなら、その校長の言葉によって学校組織が動き、あらゆる教育活動が展開されるからです。一人一人の職員が校長の考えに納得し、共感・共鳴して、一丸となって学校運営に当たれるかどうかは、校長の言葉次第ということです。
 ですから、学校経営の戦略として言葉を使う必要があるのです。そのためには、普段使っている言葉は別として、思いつきや行き当たりばったりで言葉を使うことは避けなければなりません。そこで、次の3つのことが大切になります。
 (1) 言葉を使える確かな言葉として整え、ストックしておくこと。
 (2) いつ、何をどのような言葉で発信するか、意図的・計画的であること。
 (3) 必要に応じて、同じ言葉を何度でも繰り返し使うこと。
  言葉は見えませんし形もありませんが、使い方次第で、学校経営の大きな武器になるということも忘れてならないことです。

笑顔で始め、笑顔で終わる

 新学期が始まり3週間が経ちました。学級経営や日々の授業は順調でしょうか。そこで今回は、先生方へのメッセージとして書きましたので、是非実行していただきたいと思います。

 子供は教師をよく見ています。なかでも、教師の表情は常に見られていますので、子供に大きな影響を及ぼします。といいますのは、教師の表情によってそのクラスの雰囲気が変わりますし、それだけではなく、クラスの子供自身が変わってしまうからです。
 私が最初に勤務した中学校の先輩教師のことです。その教師は、子供に厳しく、どちらかといえば力で牛耳るタイプの教師でした。毎年のように問題行動のある子供を担任していましたが、それでも無難な学級経営をしていました。
 しかし、ある年のクラスはそうはいきませんでした。やはり、問題行動のある子供がクラスにいましたので、彼は、毎日のように、険しい表情で朝や帰りの会を行っていました。それだけでなく、授業でも厳しく、笑顔などほとんど見せませんでした。教室に入るときから、怒鳴り散らしていることも希(まれ)ではありませんでした。
 ついに彼のクラスは、今でいう学級崩壊の状態となってしまいました。だからといって、そのクラスには問題行動のある子供がたくさんいたわけではありません。ほんの数名だったのですが、恐ろしいことに、他の子供も教師に反発するようになってしまったのです。
   教師の表情で子供が変わります。やはり、笑顔でにこやかな表情が、子供によい影響を与えることは間違いありません。
 特に、授業は笑顔で始めたいものです。私は、いつも授業に臨むときには、自分の気持ちをハイにして子供の前に立つように心がけていました。とはいっても、授業中はそうはいかないこともあります。もちろん、大切なところは真剣な表情で教えなければなりませんし、注意を促すときには表情も厳しくなってしまいます。教師は、ときには役者になることも必要なことです。
 笑顔や厳しさなどの表情の豊かさは、まさしく教師の専門性といえます。ですが、授業においては、笑顔で始め、笑顔で終わることを心がけるだけでも、子供の授業への取り組みは変わってくると断言できます。


 

学力が人の流れをつくる

 4月5日(水)に真岡市小中学校校長会総会があり、教育長の挨拶の中で、次のことをお話ししました。

 平成29年度がスタートしました。4月10日(月)・11日(火)には小・中学校の入学式が行われます。次の週の4月18日(火)には全国学力・学習状況調査ととちぎっ子学習状況調査、そして本市独自の学力調査も行われます。その準備はいかがでしょうか。チャレンジシート等の活用はされたでしょうか。
  もはや、学力向上は学校だけの問題では済まされないのです。
 去る3月17日(金)に行われた県議会予算特別委員会総括質疑の中で、学力問題が取り上げられました。新聞によると、学力向上は人口減少対策に直結する重要課題だとして、低迷している本県の小学生の学力について、原因の分析と適切な対応、そして危機感をもって学力向上に取り組むよう強く要望されたということです。
  特筆すべきは、「学力向上が人口減少対策に直結する」という点です。
  ご承知のとおり、日本の人口は平成20年から減少時代に入っています。特に地方においては、少子化だけでなく都市部への人口流出も相まって、著しく減少しているところもあります。人口の減少は、労働生産の減少や消費市場の縮小を引き起こし、地域経済やサービスに大きな影響を及ぼします。そのため各自治体では、少子化問題や人口流出問題は喫緊に取り組まなければならない重要課題とし、当該自治体へ人の流れができるよう「選ばれるまち」づくりに躍起になっています。
 その方策の一つが教育です。つまり、教育の質を上げることによって人の新たな流れができるということです。なぜなら、教育は若い子育て世代にとっては関心が高く、よい教育が受けられるところに人は集まって来ると予想されるからです。中でも学力については注目度が大きく、「学力が人の流れをつくる」と言っても過言ではありません。水は高いところから低いところに流れますが、「人は学力の低いところから高いところに流れる」と言えます。
 したがって、学力向上は、学校だけの閉じた世界で論じられる問題ではなく、今や県をはじめ各市町村の行政が人口減少対策として講じなければならない重要な問題となっているのです。校長先生にはこういった社会情勢も踏まえたうえで、学力向上に積極的に取り組んでいただきたいと思います。

ご卒業おめでとうございます。

 小学6年生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。山前小また、保護者の皆様、お子様の大きく成長された姿に喜びもひとしおかと存じます。本当におめでとうございます。
 さて、小学校課程を終了したみなさんは、4月から中学生となります。中学生の時期は思春期前期に当たり、心も体も人生の中で最も成長する時期です。また、感受性も強くなり多感な時期でもあります。ですから、中学校での学びや体験はそのときだけに留まらず、将来に大きな影響を与えることになります。しかし、中学校は小学校と違って3年間しかありませんから、これまで以上に一日一日の生活が大切になります。
 そこで大事なことは、先ずは勉学に励んでほしいということです。中学校での学習は、小学校とだいぶ違います。「算数」が中学校では「数学」となります。名前が変わっただけではなく、内容もより考える力が求められるようになります。英語の授業も本格的に始まります。また、授業も教科ごとに先生が違う教科担任制になります。さらに、小学校ではなかった中間・期末テストがあります。そのため、予習や復習などの家庭学習も計画的にやることが大切になります。中学校3年間は、皆さんが自ら進んで勉強する良い時期でありますし、意欲的に学んでほしいと願っています。
  次に、何かに本気で打ち込み友情を育んでほしいと思います。中学校では、体育祭や文化祭など様々な行事があります。また、生徒会活動や部活動も活気があります。特に部活動では、県大会をはじめ、関東大会や全国大会ですばらしい活躍をしています。このような活躍は、皆さんの先輩たちが、毎日努力を積み重ね、本気で取り組んできた成果なのです。仲間と本気で取り組めば、そこに確かな友情が生まれます。共に何かを成し遂げる体験やそこで生まれてくる友情は一生の宝物です。豊かな体験を通して友情を育み、一生の友とできる人を探してほしいと願っています。
 みなさんの中学校での活躍をご祈念申し上げます。

ご卒業おめでとうございます。

  卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。真岡東中また、この日を長く待ち望んでおらました保護者の皆様には、心よりお慶び申し上げます。
  さて、義務教育を終了したみなさんは、今日より新しい門出を迎えます。進む道もそれぞれ異なりますし、将来就く職業も違います。自分の人生設計に基づいて、自分の意思で歩んで行くことになります。
  そこで、大切にしてほしいことは、「感謝の気持ちを忘れない」ということです。
  思い起こしてください。ちょうど6年前の3月11日午後2時46分、未曾有の被害をもたらした東日本大震災が起こりました。ここ真岡市でも震度6弱の激しい揺れに見舞われ、甚大な被害が生じました。水は出ない、電気は付かない、スーパーでの買い物もできない、ガソリンスタンドには長蛇の列、一瞬にして「日常」が奪われてしまいました。学校でも、電気や水、トイレ、チャイム、給食、授業、そして部活動等々、当たり前のことが当たり前でない状態になってしまいました。
  その後、少しずつ復旧していきましたが、その都度、誰もが当たり前の生活ができることに感謝したことと思います。東日本大震災という過去に経験したことのない大災害を乗り越えてきた皆さんだからこそ、より以上に「感謝の気持ち」の大切さを深く心に刻み、これからも忘れないでほしいと思います。
  私たちは誰でも、一人では生きていくことができません。皆さんがこうして卒業の日を迎えられたのも、決して皆さん一人だけの力ではありません。これからの人生、皆さんが生きていくためには多くの人の力を必要とします。そうした方々への感謝の気持ちが大切で、その気持ちが何よりも自分自身の人生を豊かにしてくれます。感謝の気持ちを忘れずに大切にしてほしいと思っています。
  みなさんの輝かし未来を祝福いたします。

指導主事を活用していただきたい

 本年度最後となる3月2日(木)の校長会で、次のことを校長先生方にお願いしました。
 
 ご承知のとおり、芳賀地区広域行政事務組合教育委員会(以下「芳広教委」という)は一昨年3月末をもって解散いたしました。これまで1市4町の教育事務の共同処理として、芳広教委が行っていた教員研修や学習指導・教育課程に関する指導等を各市町教委が行うことになりました。そのため真岡市教委においては、指導係を新設し指導主事6名を配置するなど、組織を改編し体制を整えたことは周知のとおりです。
 しかしながら、芳広教委を解散するとなると、教員研修をはじめ合同訪問や教科書採択等の事務を滞りなく市町教委へ移管しなければなりません。これは相当の事務量で容易ではありません。そこで、芳賀地区教育研究協議会を1年間の限定で創設し、解散後もこれまでと同様に事務処理を行い円滑に移管できるようしました。業務は広域行政センターで市町教委の指導主事が行い、真岡市教委は3名を派遣していました。そのため、指導係に6名の指導主事が配置されたとはいえ、実際は3名で指導係の業務を行っていました。
 その芳賀地区教育研究協議会もこの3月末をもって解散することになります。4月からは指導係に6名の指導主事が揃います。いよいよ真岡市教育委員会学校教育課の指導係が、本格的に業務を遂行するときが来たと言ってよいでしょう。ですから、大いに指導主事を活用してほしいと思っております。
 今やどこの学校においても、学力向上やいじめ・不登校対策、若手教員の育成等々、課題があります。また、授業をはじめ、学級経営や児童・生徒指導等、学校で日常的に営まれている教師の仕事であっても、専門性と実践的指導力が要求されます。指導主事はこういった学校の課題解決の取組を援助し、教師を支援するために配置されています。
 地教行法第18条第3項には「指導主事は学校における教育課程、学習指導その他学校教育に関する専門的事項の指導に関する事務に従事する」とあります。そのため、指導主事には理論と実践に基づく高い専門性が要求されます。それだけではなく、学校教育を教育行政の最前線で支援する市教委の指導主事には、県教委や教育事務所等の指導主事と違って、積極果敢な機動性も要求されます。つまり、学校で起きた諸々の出来事に即対応し、解決を図らなければならないのです。6名の指導主事は学校の要請に応えるため、その専門性と機動性を培ってきていますので、是非とも活用していただきたいと思います。

指導がなければ向上はない!

 2月13日(月)に真岡市小中学校校長会があり、次のことを話しました。

 早いもので年が明けて既に1か月半が経ち、2月も中旬となりました。短い3学期の慌ただしい中で、ふと気付いてみれば、平成29年度の全国学力・学習状況調査及びとちぎっ子学習状況調査の実施まであと2か月になっています。どこの学校でも、昨年の調査結果を分析し、学力向上のための改善プランを作成しています。また本年度は、学力向上検討委員会を設け、学校で取り組むべき学力向上の具体的手立てを提案していただきました。それらの取組状況はいかがでしょうか。
  言うまでもありませんが、教師の指導がなければ子供の向上はありません。特に各学校の課題となっている学力については、子供一人一人の学力を把握し、必要かつ適切な指導を全校体制で行うことが必須と言えます。そのための改善プランであり、具体的手立ての提案であったわけです。もちろん、学力向上は一朝一夕には結果が出ないことは分かっています。しかし、だからといって改善プランや具体的手立てを、教師が安易な気持ちで受け止めていたのでは事態は絶対に改善しません。先ずは教師自身が、それらの学力向上の取組に本気になることです。子供にとって必要な学習指導を本気で行うことです。
  当然テストへの備えも必要です。思考力・判断力・表現力等の活用力については、課題や発問を工夫したり、論述や説明などの言語活動を取り入れたりして、授業を通して育んできています。しかしながら、授業学力とテスト学力は必ずしも同じではありませんので、授業で身に付けた力がテストに反映されるとは限りません。全国学力・学習状況調査のB問題に見るように、たとえ算数や数学の問題であっても、解答するためには相当の読解力を要します。子供たちはそういった問題をやり慣れていませんので、無防備に臨むと戸惑ってしまい対処しきれません。したがって、ある程度類似した問題に取り組ませておくことも必要です。各学校に配布してある「チャレンジシート」(芳賀教育事務所・芳広教委発行平成26年12月配布)はそのためのものですので、是非とも活用をお願いします。
  また、テストのあるなしにかかわらず、国語の漢字やローマ字、算数・数学の計算等の基本的事項は、その学年で確実に身に付けていなければ、その後の学習に支障をきたすことになります。ですから今、この時期が大切であって、まとめの3学期におけるそれらの総括した学習と、定着させるための繰り返し指導が極めて重要になります。
 改めて、教師の指導があってはじめて子供は向上するということをご指導願います。