日誌

田上教育長日誌

郡市校長会でこんなことを話しました。

6月4日(火)に郡市校長会がありましたが、冒頭の挨拶で、私の経験をもとに次のようなことを話しました。 

   校長は結論をもって臨む                                

 校長先生は常に判断を迫られ、日々緊張感があります。もちろん、教頭の考えを求めたり、職員の合意で結論付けたりすることもあるでしょう。時には難しい判断を強いられ、迷うことだってあるかもしれません。
 私が新任校長として市貝中に赴任して早々のことでした。東日本大震災で甚大な被害を受けた市貝中は、旧水沼小での生活を余儀なくすることになりました。そのため、市貝町中央公民館から大型バス7台で生徒を送迎することになり、4月13日から始まりました。しかし、これがそう簡単ではありませんでした。 
 生徒は朝7時50分に中央公民館集合としたのですが、最初に直面した問題は遅刻者への対応でした。職員からは、遅刻が分かるよう通学班を編成する、遅刻と分かれば職員が待って対応する、或いは、遅刻と分かった時の出発時刻をどこまで遅らせるか、等々侃々諤々の話し合いになりました。結局、この時の職員会議では決着が付かず、運営委員会に委ねることになりました。最終判断を下さなければならない校長としても難しい問題です。
 しかし、私は最初から結論は決まっていました。それは、バスは定刻通り7時50分に出発すること、遅刻者には、乗車指導の職員がその保護者に連絡、保護者が責任をもって対応すること、たとえ、仕事や車の免許がなく直接保護者が対応できなくても、タクシーを使うなど保護者自身に任せること、遅刻者については職員は一切かかわらないこと、と少々生徒と保護者にとっては厳しめのものでした。 
 それはなぜかと言いますと、旧水沼小での日課は、必要な授業時数を極力確保するため最大限考慮して作成したものですから、一人の遅刻者のためにそれを崩すわけにはいきません。また、遅刻者への対応で授業に支障を来すことがあってはいけません。それに、旧水沼小での生活は職員の負担増になっており、これ以上負担をかけるわけにはいきませんし、送迎の際の事故等も考えられます。そして、遅刻はなんといっても本人の責任ですので、その対応は基本的には保護者が当たるべきです。厳しいようですが、これらは、はっきりとさせておかなければならないと思ったからです。
    校長は結論をもって会議や話し合いに臨むべきと考えます。運営委員会でも、様々な意見が出され、私は、それらに真摯に耳を傾けました。聞くことは重要ですし、結論を修正することもできます。しかし、最後は、校長として先の結論を言いました。だからといって、職員会議や運営委員会での議論は無駄ではありません。むしろ、そういった議論は、職員の参画意識や資質能力の向上のためには不可欠です。校長は、答えをもっていて、敢えて質問することも必要でしょう。そのためにも、会議等には結論をもって臨むことが大切です。

                              

 

ICT元年 学校と市教委が一丸となって取り組みましょう!

 5月1日(水)に元号が令和に変わり、新しい令和の時代がスタートしました。ご承知のとおり、新しい元号「令和」は、万葉集「梅の花の歌」の序文「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かを)らす」からの引用です。安倍総理は会見で、「厳しい寒さの後に見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる日本でありたいという願いを込めた」と述べています。
 この言葉の「日本人」を「子供」に換えて、「一人一人の子供が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる」ようにする営みは、学校教育に他なりません。なぜなら、このように換えると、この言葉は子供たちの自己実現のことであり、それは学校教育の目指すべき働きであるからです。これを教育基本法では、第5条第2項において「義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い」と謳っています。
 ですから、「令和」の元号に込められた願いを、私たち教育関係者は学校教育への期待と受け止め、これからの21世紀を生きる子供たちのために更なる教育の充実・発展に努めていかなければならないと思います。
 本市においてもその願いを実現すべく、今後一層進展することが予想されるグローバル化や情報化への対応を鑑み、「ふるさと真岡を愛し、世界で活躍する真岡っ子の育成」を目指し、様々な施策を展開しています。
 特に、昨年度から取り組んでいるICT教育においては、市内小中学校全ての普通教室、特別支援教室、理科室に65インチのモニター一体型電子黒板を完備しました。ICT導入モデル校の真岡東小と真岡西中はもちろんのこと、全ての学校でこれらの機器を活用した授業づくりに取り組んで頂いております。今年度はタブレットやデジタル教科書も順次配備し、ICT教育のための学習環境を整えていきます。
 こういった取組みを踏まえ、年頭所感では「授業改善ではなく授業改革」と称して、ICT機器を活用した授業づくりに本腰を入れて取り組みたい旨、お伝えしました。さらに本年度中には、教職員の事務処理の負担が軽減できるよう、統合型校務支援システムを全校配備することになっています。
 そこで本市においては、令和元年に因んで本年度を「ICT元年」と位置付け、ICTを積極的に活用した学校づくりに、学校と市教委が一丸となって取り組んでいきたいと思っております。各学校におきましても、「ICT元年」を合い言葉に積極的なICT機器の活用をお願いします。

教師は教えることのプロです!

 教師は教えることのプロです。これには誰もが異論はないでしょう。では、「プロの教師」とはどのような教師を言うのでしょうか。採用試験に合格し、赴任した学校で授業や学級担任等を受け持てばプロの教師となったことになるのでしょうか。もちろん否で、プロの教師となるにはそれ相当の条件が必要です。
  であれば、その条件とは何でしょうか。これについては諸説ありますが、少なくとも次の4つの条件はプロとして必須のものと考えます。
   まずは「専門性」です。当たり前のことですが、プロの教師は高い専門性を有していなければなりません。学習指導だけでなく学級経営や児童・生徒指導等の専門性も必要です。ところがこれらは、知識や技術だけでなく教師の肌感覚も要求されますので、容易に会得できるものではありません。相当の経験と研修が必要になります。教師は反省的実践家と言われるように、実践し省察し自己研修によって更に深めていく営みが求められるのです。
    次に「研究心」です。「研究なき実践は停滞する」と言われますように、研究し理論に裏付けられた実践でなければ、単なる独りよがりに過ぎず、成果は得られません。プロのスポーツ選手やプロの小説家など、世の中でプロと名の付く人たちを見れば分かるように、全てが旺盛な研究心に支えられています。教師にとっても当然それは欠かせません。
    そして「成果」です。これはプロにとって絶対的なものですが、残念ながら教師の意識は極めて低いと言えます。しかし今や、学力向上が県や市町の人口減少対策の一施策となるなど、教育が学校だけの閉じた世界で論じられる問題ではなくなってきています。それに相まって、現在は評価の時代とも言われ、成果主義が席巻している中では「成果」は避けて通れないのです。
    最後に「責任」です。結果について常に「責任」が問われるのがプロです。が、これについても教師の意識が低いと言わざるを得ず、一抹の不安を抱いています。教科担任であれ学級担任であれ、一人一人の子供を1年間責任をもって教え導かなければならないのですが、できているでしょうか。また、組織人としての責任も同様です。
    以上、私の考える「プロの教師」について述べましたが、「あらゆる教育論は教師論に行き着く」と言われるように、いつの時代でも教育の成否はその直接の担い手である教師に係っています。現在の芳賀地区は大量退職の時代にあり、経験年数の少ない教師が増えていますので、一人一人の教師の資質能力の向上がこれまで以上に求められています。だからこそ、誰もがプロ意識を持って取り組むことが大切であり、そのためには「専門性」「研究心」「成果」「責任」の4つの条件を具備することが重要と考えています。

 

異動は最大の研修である

 毎年、春の訪れと共に人事異動の季節を迎えます。教職員であれば異動は避けて通れないことではありますが、長年勤務し愛着のある職場を離れることは誰でも寂しいものです。また、異動先でうまくやれるかなどと、一抹の不安も付きまといます。
  私自身40歳半ばから、3年、2年、2年、2年、1年、3年、1年、そして現在と、小刻みな異動を転々と繰り返してきました。異動した先々では、当初電話一つ取ることができず、悪戦苦闘の連続でした。しかし、どの職場でもある一定期間を過ぎれば、それなりにその職場に馴染んで仕事も行うことが出来るようになっていました。これは皆さんも同じことだと思います。我々教職員はこうして一つ一つ仕事を身に付け、自分自身のキャリアを形成していくのです。
 それ故、「異動は最大の研修である」と言われています。新しい職場は元の職場と多かれ少なかれ勝手が違い仕事も異なりますから、自分自身の能力開発のチャンスになるというわけです。人事異動では、主に次のようなことが期待されています。
① 気分一新して新たな気持ちで仕事を行うことができる。
② 新しい業務に就くことによって、自分自身のキャリアを形成することができる。
③ 学校文化・風土の違いから、たとえベテランでも新たなことを学 ぶことができる。
 ずっと同じ職場では、どんなに気を付けていても慣れが生じたり、仕事に対する固定観念が生じたりして、自己向上の妨げとなる場合があります。そのため、異動は自分の能力開発のために与えられた絶好の機会と捉えることが大切です。今回異動になる教職員の皆さんには、「異動は最大の研修である」ということを肝に銘じて、4月から新し職場での一層の活躍を期待します。

交通事故は自ら注意しないと防げない

 立春が過ぎて、春の息吹が感じられる時節になって参りました。学校では年度末の卒業式や修了式を控え、1年間の学校運営の最終段階に入ります。そこでこれからの時期、特に注意しなければならないのは子供の事故です。
 消費者庁の調べによれば、公園や学校、商業施設などにある遊具での子供の事故は、三月から五月に増える傾向があるといいます。子供の事故は、暖かくなるこれからの時期に発生しやすくなる、ということを知っておかなければなりません。
 また、中学校では、進路が決定した3年生は緊張感から解放されます。1・2年生にあっては、部活動もこれといった大会等がなく目標が見えない時期であり、学年末テストが終わると、それ以上に緊張感がなくなると思われます。それに相まって春の陽気も手伝い、子供だけでなく大人も気が緩みがちになるのがこれからの時期です。ですから、たとえ自らの過失がなかったとしても思わぬ事故に遭う危険性があります。
 3年前に某市で発生した交通事故がまさにそれでした。その事故は、卒業式を1週間後に控えた3月1日の放課後に起きました。市内の中学3年生が信号機のある交差点を自転車で横断中、左折するタンクローリーに巻き込まれてしまいました。生徒は頭を強く打ち、間もなく死亡するという痛ましい事故となってしまいました。
 事故の原因は、ドライバーが横断中の生徒に気付かなかったことのようですが、この事故に限らず、横断中の歩行者等を巻き込む事故は幾つも発生しています。日常的に運転しているドライバーであれば、信号機のある交差点で右左折する際に、横断中の歩行者等に気付くのが遅れ、ハッとした経験は1度や2度はあることでしょう。ましてや、春が近付きつつあるこれから時期です。危険度は増してしかるべきです。
 交通事故は、いつ、どのような形で起こるか分かりません。たとえ交通ルールを守っていても事故に遭う危険性はあるのです。事故防止には、信号無視等の違反行為や飛び出し禁止だけでなく、このことも子供たちに十分認識させておく必要があります。
  特に、信号が青だからといって全く左右を確認せず横断する自転車を見かけますが、危険です。最近起きた生徒の自転車事故の中にも、青信号で横断中に車と接触している事故が散見します。もちろん、いずれも車側の過失なのですが、自転車側で左右確認していれば防げた事故でもあります。
 改めて、交通事故は自ら注意しなければ防げません。特に信号機のある交差点では正しく横断していても事故に遭う危険性がありますので、横断する際は信号が青になっても、もう一度左右確認する危機意識を子供たちに持たせてほしいと思います。

「授業改善」ではなく「授業改革」

 新年あけましておめでとうございます。平成31年がスタートしました。今年は亥年です。「亥」は十二支の中で最後の年です。偶然にも「平成」も最後となります。「終わりよければすべしよし」となるよう、先ずは元号が変わる5月までを有終の美で飾りたいものです。そして新元号の下、新たな時代の幕開けに相応しい飛躍の年にしたいと思っています。

2019干支

 そこで、今年はICT機器を活用した授業づくりに、本腰を入れて取り組んで行きたいと思います。
 本市では昨年末までに、市内小中学校全ての普通教室、特別支援教室、理科室に65インチのモニター一体型電子黒板を完備しました。今年から来年にかけてタブレットやデジタル教科書等も配備し、ICT教育のための学習環境を整えていきます。
 現在、真岡東小学校と真岡西中学校がICT導入モデル校として、これらの機器を活用した授業づくりに取り組んでおります。早速、昨年10月17日(水)には石坂市長をはじめ市教委で、12月13日(木)には市議会でモデル校を訪問し、授業を参観しました。どの授業もICT機器の活用が図られ、子供たちも意欲的で能動的な授業が展開されていました。
 中でも、私が見たグループ活動の授業では、タブレットと電子黒板が効果的に働いていました。その授業では、教師がワークシート等の電子データを各グループのタブレットに配信し、一斉に指示しました。グループでの話し合いでは、その内容をタブレットに整理すると、各グループの状況が電子黒板に映し出され一目瞭然となります。教師はそれを基に指導・助言していました。また、発表はタブレットと電子黒板を使って行っていました。発表者が追加の書き込みもできますし、教師が電子黒板に直接書き込みもできます。
 この授業を見たのは10月17日(水)です。タブレットや電子黒板を配備してから2か月も経ってないときの授業ですから、機器の機能のほんの一部を活用したに過ぎないでしょう。にもかかわらず、従来では考えられなかったような授業が展開できるのです。ICT機器には多種多様な機能が備わっています。活用次第で相当効果的な授業ができます。
  これは「授業改善」というよりは「授業改革」だと思います。「改善」はより良く改めることで、現状の延長線上で方法や手続きを変えることです。これに対して、「改革」は改め変化させることで、将来志向から考え方を変革することです。(日本能力協会「知恵ぶくろ・べからず集」より)
 昨年6月のICT機器導入の際には、これからの国の教育環境整備の動向を見据え、「デジタルが主でアナログは従」という発想の転換の必要性を強調しました。それはまさに「将来志向から考え方を変革すること」であって、授業づくりにおいては、「授業改善」ではなく「授業改革」を進めていかなければならないと考えております。


 

当たり前のことができないから問題を起こすのです

 もう大分前のことですが、こんなことがありました。
 ある担任が不登校気味の生徒を職員室に連れてきて、「なぜ約束を破ったんだ。今日は学校に来ると約束したじゃないか」と、少し声を荒げて指導していました。生徒は何も言えず、黙ってうつむいていました。おそらく、担任はこの生徒と、今日登校することを約束していたのでしょう。しかし、いつまで待っても登校しなかったため、しびれを切らし家まで行って生徒を連れてきたのです。
 その様子を、職員室の片隅で校長が見ていました。生徒が教室に戻った後、校長はその担任に、「約束を守れるような生徒は不登校にはならないよ」と、ぼそっと言いました。
 それが耳に入った瞬間、私は「はっ」としました。不登校の初期の段階の子供に、登校を促す指導の一環として、登校する日を約束させるという方法はよく行われています。私も何度か同じような指導をしたことがあります。約束を破られたことももちろんあります。ですが、校長が言われたように「約束を守れるような生徒は不登校にはならない」という認識は全くありませんでした。
 そうなのです。不登校のみならず、問題を起こすような子供は、当たり前のことができないから問題を起こすのです。子供の行為は生活環境が大きく影響していますし、その生活環境はそれぞれ違います。子供には選択の余地はなく、不幸にも劣悪な環境に身を置かざるを得なかった子供もいるでしょう。そういった子供はむしろ犠牲者と言えます。そう思えば、問題行動を繰り返す子供であっても、寛容さも生まれますし、根気強く対応することもできます。児童・生徒指導の幅も広がるというものです。このときから、問題を起こす子供に対する見方が180度変わったことを覚えています。
 学校では現在、不登校をはじめ、いじめや暴力行為等さまざまな児童・生徒指導上の問題が発生しています。こういった問題行動は一朝一夕には解決が難しく、教師の中には、繰り返し指導してもなかなか効果が出ないことに焦りを感じている者もいるかもしれません。それどころか、問題行動の改善を急ぐ余り、感情的に指導してしまい、問題をより大きくしてしまったなどというケースも散見します。
 そうならないためにも、問題を起こす子供は「当たり前のことができないから問題を起こす」という認識に立って指導してほしいと思います。そうすれば焦りも緩和できるでしょうし、何よりも寛容な気持ちで根気強く指導することができます。児童・生徒指導には根気強さが何より大切ですから、是非ともこのことは忘れないでいただきたいと思います。

教師は子供に夢を与える職業 それを忘れないでほしい

                               

  かつては「聖職」とまでいわれた教師の仕事ですが、現在はその「ブラック化」が大きな問題になっています。こうした状況の中で、子供たちは教師という職業をどのように見ているのでしょうか。
 (株)クラレが小学校6年生を対象として毎年行っている、将来就きたい職業を尋ねたアンケートの今年度の結果が新聞等で報じられています。(アンケートは今年の1月から3月、ランドセルをアフガニスタンに寄付する活動に協力した子供たちを対象に実施)
 それを見ると、教師は男女とも3位にランクされ、将来就きたい職業の上位にあることが分かります。男の子を見ると、スポーツ選手、エンジニアに次いで教師が入っています。女の子では、医師、看護師に次いで教師が入っています。因みに、昨年度の女の子のトップは、医師を押さえて教師でした。 
 この結果を見る限り、子供たちは教師という職業を将来就きたい憧れの職業と見ているようです。
  そういえば、管理訪問の初任者との面談で、「どうして教師になったのですか」と尋ねると、「当時の担任や部活動の先生に憧れて」と答える初任者が多いことを思い出します。
 初任者だけではありません。手元に、ある学校の広報だよりがあります。その中に「どうして先生になったのですか」という質問に対する教師の答えが掲載されています。17名中6名の教師が「当時の担任や部活動の先生に憧れて」と答えています。現職の教師の多くが、当時の先生の影響を受けて教師の道を志したのではないでしょうか。
  教師という職業は、いつの時代も子供が憧れる職業、子供にそういった夢を与える職業なのです。にもかかわらず、わいせつや体罰等の教師の不祥事は後を絶たず、つい先日も本県の中学教師が酒気帯び運転で逮捕されるという事案が発生しています。表沙汰にならないまでも、教師の不用意な言動により、子供が傷付き信頼を失うという場面は多々見られます。社会的風潮としても、学校バッシング、教師バッシングがはびこっている現状があります。とはいえ、子供たちは教師を憧れの職業と見ているのです。このことは教師として絶対に忘れてはいけません。教師は子供に夢を与える職業なのです。それを忘れずに、自信と誇りをもって教師の仕事に打ち込んでもらいたいと思います。

子供の心に寄り添う教師が求められているのですが・・・

 9月2日付け下野新聞『日曜論壇』に掲載された、獨協医大公衆衛生学教授小橋元(げん)氏の「心に寄り添い救う社会に」を読んで感銘を受けました。
 小橋氏は、学生時代に多くの治らない患者と接したことから、病気になる前の予防を考えるようになったといいます。そして、臨床の場で病気の予防ができるのは、産科の妊婦検診と母親教室と気付き、産婦人科医になることを決心します。しかし、自分が男である以上、産婦人科を受診する女性の気持ちは分からないことを知り、愕然とします。そこで氏は、少しでも女性の気持ちを分かろうとして自ら試みたことを次のように書いています。

 私は、夜中の誰もいない分娩室で分娩台に上がってみたことがある(もちろん下着も取って)。また、初めて働く病院では、いつも朝早く病院の正面玄関から受付を通って外来へ行き、待合室のベンチに腰掛けてみることが習慣だった。たとえば外来で昨晩からの腹痛で来院した患者さんに会ったとき、「昨晩からどんな気持ちで過ごして、今朝はどんな気持ちでどんな景色を見ながらこの外来に訪れたのだろう」と具体的にイメージしながら診察をする。患者さんと同じ境遇にはなれないが 「患者さんの心に寄り添おうとす」る気持ちが、患者さんの不安を和らげ、患者さんを救うと信じていた。

 体験しなければ分からないことがあります。と言っても、絶対に体験できないこともあります。その最たるものが男性が妊婦になることでしょう。しかし小橋氏は、自ら分娩台に、しかも下着を取ってまでして乗るなど、患者と同じ状況に自らを置くことを試みます。もちろんそれで、患者の気持ちが理解できるということではありませんが、そうすることが「患者の心に寄り添う」気持ちの表れで、それがあるからこそ患者の不安を和らげ救うことができるというのです。なんとすばらしいことでしょう。医者の鑑と言えます。
 翻って、教師も今ほど子供に寄り添う指導が求められているときはないでしょう。しかも、小橋氏とは違って、どの教師も子供時代があって学校生活を経験しているのですから、子供の境遇が分かるはずです。にもかかわらず、教師になった途端に子供の立場を忘れ、「指導」という美名の下、多少難しいことでも一律に子供に強いる教師がいます。
 かつてのように「子供の共通性を前提とする学校」であればそれでも通ったかもしれませんが、今や学校は、「子供の多様性に応答する学校」への転換が求められているのです。だからこそ、子供の心に寄り添う教師であってほしいと思っています。

ルールは教えるものです!

 公園で4人の子供がかくれんぼを始めました。ひとりが「おに」になり、私の近くにある木の下で、「1、2、3・・・」と数え始めました。そして10数えた後、「もーいいかい」と何度か聞きました。隠れた子供たちから「まーだだよ」と最初は返答があったのですが、その後なくなったので、「おに」の子供は隠れた3人を探し始めました。
  少し経った後で、「○○ちゃん、みーつけた!」と声がしました。その後、しばらくして3人全員が見つかりました。
 私は、次の「おに」となる子供がこちらに来るのだろうと待っていましたが、いつまで経っても来ませんでした。気になったので様子を見に行くと、4人の子供たちは別の遊びをしていました。不思議に思ってひとりの子供に聞いてみたところ、誰も「おに」をやらないからかくれんぼは止めてしまった、とのことでした。
 えっ、誰も「おに」をやらない・・・? 驚きました。次の「おに」は一番最初に見つかった者がなる、というのがかくれんぼのルールではなかったでしょうか。このルールはどこへ行ってしまったのでしょうか。
 おそらく、この4人の子供は誰からもそのルールを教わっていないのです。私の子供の頃は、近所のほとんどの子供が空き地に集まって一緒に遊んでいました。かくれんぼもその中で行われ、初めて加わった子供には年長の子供が教えたと思います。今の子供はそれがないのです。だから、かくれんぼのルールも知らない。知らないからこのときのように、最初に見つかった子供でも「おに」が嫌なら拒否することができ、他の子供もそれを無理に通そうとしないため、そこでかくれんぼが終わってしまったのです。
 ルールは教えなければ分かりません。分からなければできないのは当たり前です。
 昨今、子供の規範意識の低下が問題視されています。規範意識とは、道徳、倫理、法律等の社会のルールを守ろうとする意識のことで、規範は社会のルールです。ルールであれば、教えなければ子供は分からないのです。
 以前のように、家庭や地域の教育力が確かなものであれば、そこで子供は教えられたので学校の出番はなかったと言えます。しかしそれが以前ほど期待できない現在、「社会のルールを教える」という役割を担うのは学校以外にありません。構図は冒頭のかくれんぼと同じですから、しっかりと教えなければ、規範意識は益々低下してしまいます。

何を言ったかではなく、どう受け取られたか

9月4日(火)に芳賀郡市小中学校校長会がありまして、パワハラ問題で揺れている体操界を取り上げ、次のような話をしました。

 体操協会がパワハラ問題で揺れています。去る8月29日(水)体操女子の宮川紗江選手が都内で記者会見を開き、パワハラを受けたことを明らかにしました。宮川選手は、日本体操協会の塚原千恵子女子強化本部長と塚原光男協会副会長から、速見コーチの暴力について「認めないと厳しい状況になる」と強要され、また、五輪強化プロジェクトへの参加を拒むと「オリンピックに出られなくなる」などと圧力をかけられたと主張しました。
    これに対して塚原女子強化本部長は猛反発、「宮川選手は嘘も言っている。高圧的な話し方はしていない」と、発言の一部は認めたもののパワハラは全面否定しました。
    またしても、「やった」「やらない」、「言った」「言わない」の水掛け論になってしまっています。得てしてこの類いの問題は、勃発すると最初はそうなってしまいます。なぜでしょうか。それは、問題の根源にあるのは、何をやったかでもなく、どう言ったかでもなく、どう受け取られたかにあるからです。本人の受け取り方次第で、事の成り行きは相当違ってくるということです。ですから訴えられた方は「身に覚えがない」と最初は反論するのですが、最後は「どう受け取られたか」の方に軍配が上がってしまいます。
    直近で起きたパワハラ問題を取り上げましたが、身の回りにはこのような問題が頻繁に見られます。例えば、教師が無意識に言った言葉に子供が反応し、それが保護者に伝わり、大きな問題になってしまったなど、いくつかのケースが抵抗なく浮かぶと思います。
 だからこそ、学校ではこういったことがないよう防がなければなりません。それには、教師が子供との信頼関係を築き、軽率な言動を慎むことが何よりも大切です。そのために知っておいてほしいのは、言葉は言葉だけで伝わるのではないということです。言葉は必ず表情や態度を伴って伝わります。ですから、相手にどう受け取られるかは、言葉以上に表情や態度によって左右されてしまうことがあります。このことはメラビアンの法則というのが示しています。
 メラビアンの法則とは、アメリカの心理学者アルバート・メラビアンが話し手が聞き手に与える影響を、視覚情報55%、聴覚情報38%、言語情報7%と数値化し表した概念です。これによると、聞き手は話し手の言葉(言語情報7%)よりも遥かに、表情や態度(視覚情報55%)に影響を受けることが分かります。ですから教師は、子供や保護者と話す時には、「どう受け取られるか」も意識し、言葉はもちろん、表情や態度にも注意しなければいけないのです。これは教師にとって極めて重要なことですが、どれだけ認識されているでしょうか。

悉皆調査で大切なのは個への対応


 去る7月31日(火)に全国学力・学習状況調査の結果が公表されました。昨年から都道府県の平均正答率は整数値で公表されているにもかかわらず、未だ全国の順位がマスコミや新聞紙上を賑わしています。しかし、見逃してはならないのは、各都道府県の平均正答率の差が極めて小さいということです。小学校で言えば、最下位の県と全国の平均正答率の差は、国語A2.9、国語B2.8、算数A2.7、算数B2.7、理科2.4で、いずれも3ポイント未満です。(但し、全国平均正答率は小数第1位まで公表、都道府県は四捨五入して整数値で公表のため、最大で3.4ポイントの差の可能性はあります)全国学力・学習状況調査が実施されて今年で12年目になりますが、年々各都道府県の平均正答率の差が縮まってきています。
 既にとちぎっ子学習状況調査と真岡市総合学力調査の結果は出ていますから、これで全ての結果が揃いました。平均正答率に一喜一憂するだけでなく、3つの調査結果をもとに今後次のような取組が必要になります。
 ① 児童生徒に調査問題を再度復習させる。
 ② 児童生徒一人一人の結果を把握し、個に応じた指導をする。               
 ③ 学級・学年の結果を分析し改善プランを作成して実行する。
 ④ ②と③においては、小学校では3年から6年、中学校では1年から3年の学年のつながりを考慮し、学力向上のPDCAサイクルを確立できるようにする。
 ここで特に大切なのが②です。それは、いうまでもなく学力調査の目的は学力向上です。つまり、調査結果をもとに児童生徒一人一人の現在の学力を把握し、それを更に向上させることなのです。そのための悉皆調査であって、学力の傾向を見るためなら抽出調査でも間に合います。したがって、児童生徒一人一人への学力向上の指導が重要になります。とちぎっ子学習状況調査と真岡市総合学力調査の結果には、児童生徒の答案のコピーが添付されています。答案の再確認ができますし、結果表だけでは見えない誤答分析も可能になります。
 また、これら3つのテストの実施により、小学3年から中学3年までの学力調査のデータが得られることになります。これは④で示したように、学校としての学力向上のPDCAサイクルとともに、児童生徒一人一人の学力向上のPDCAサイクルの確立にも役に立ちます。
 実のところ、全国学力・学習状況調査は小学6年と中学3年の卒業学年実施ということもあり、個への対応はなおざりにされたきらいがあります。しかし、とちぎっ子学習状況調査と真岡市総合学力調査の実施により、上述のような個の学力向上のPDCAサイクルの確立が可能になります。
 真岡市総合学力調査は11月にも実施しますので、よりきめ細かな児童生徒の学力の把握ができます。悉皆調査で大切なのは個への対応です。各学校での適切な指導をお願いします。

「デジタルが主で、アナログは従」という発想の転換

 
 去る6月19日(火)に議会が閉会しました。今回の議会では6月の補正予算も審議され、教育委員会関係ではICT教育の予算が可決されました。これにより、小中学校の全ての普通教室、特別支援教室、理科室に1台ずつ電子黒板が設置されることになります。また、次年度までには、小学校の学級担任と中学校の教科担任に1台ずつタブレットを配布するとともに、児童生徒分として、小学校ではパソコン教室のパソコンを児童1クラス分のタブレットに入れ替え、中学校ではパソコン教室のパソコンの他に生徒1クラス分のタブレットを配備します。さらに教員へのタブレット配布に併せて、デジタル教科書の導入も進めていきます。
 このようにICT機器を完備し学習環境を整えるのは、何を隠そう授業を変えるためです。が、一抹の不安もあります。それは、言うまでもありませんが、大きな予算を投入したにもかかわらず、活用が十分されないということです。
 かつて、中学校にはどこの学校にもLL教室というのがありました。主に英語学習で使うのですが、アナライザーも設置されており数学の授業などでも使うことができました。設置には相当の予算が必要だったと思います。しかし、ほとんど活用されず、宝の持ち腐れとなってしまいました。これは典型的な例としましても、学校では得てしてこの傾向にあります。それは、「授業は黒板とチョーク」というアナログ的考えが根強くあるからです。
 だからこそ、同じ轍は踏んではいけないのです。そのためには、全ての教師が「デジタルが主で、アナログは従」という発想の転換が必要です。つまり、従来ならば「授業のどこでICTが使えるか」という発想でICT教育を考えていたものを、ICTで授業を行うことを前提として、どうしても黒板を使った方が効果があるというところだけは黒板を使うという「授業のどこで黒板が使えるか」という考え方に変えなければならないのです。
  文部科学省も、新学習指導要領の全面実施に向けて、学校のICT環境の整備を進めていくことが喫緊の課題としています。2020年から導入されるデジタル教科書は、現時点では紙の教科書とデジタル教科書の併用としていますが、いずれ必ずデジタル教科書が必須となり、ICTを活用した授業が主流となることは間違いありません。今回のICT機器の導入は、本市において時代を先取りする絶好の機会と捉えています。そのためには、電子黒板やタブレットを使ったデジタル授業が主で、黒板とチョークのアナログ授業は従という発想の転換が絶対的に必要だと考えます。

校長のリーダーシップとは

5月21日(月)に真岡市小中学校長会があり、校長のリーダーシップについて次のように話しました。

 校長にはリーダーシップが大切であるというのは当たり前のことです。ならば、リーダーシップとは何でしょうか。実はリーダーシップの定義は学者の数だけあると言われ、一つに確定するのは難しいのです。時のリーダーの置かれた環境や立場、やるべきことがそれぞれ異なることから、様々なリーダーシップの定義が生まれるのは至極当然のことです。だとしたら、「校長のリーダーシップ」はどう定義したらよいのでしょうか。
  独立行政法人教員研修センター(現:教職員支援機構)の組織マネジメント研修では、「目標・経路理論」というのを取り上げています。これは「優秀なリーダーは、集団が目標に向かって活動する過程で、直接働きかけて集団のまとまりや個々のメンバーのやる気を促すに留まらず、到達地点を定め、そこに至る道筋を明確にし、仕事のしくみや構造を創り出す」というものです。この理論は、校長がリーダーシップを発揮する上で、何をやるべきかを明確に示しています。それは次のように捉えることができるからです。
 先ずは「方向性を示す」ということです。理論では「到達地点を定め、そこに至る道筋を明確にし」とあります。これはリーダーとして絶対的なものであり、組織が向かう方向をスローガンや合い言葉で簡潔に表すことも大切です。また、問題等の発生時には、解決に向けた方向性を的確に示していくことがリーダーには求められます。
 次に「環境を整える」ということです。理論では「仕事のしくみや構造を創り出す」とあります。これは、組織目標を達成するために、必要な組織づくりや体制づくりをすることです。リーダーは「舞台を作る」と言われていますが、それはこのことです。
 そして「積極的に働きかける」ということです。理論では「直接働きかけて集団のまとまりや個々のメンバーのやる気を促す」とあります。職員を把握し、適宜・適切な働きかけをすることがリーダーには欠かせません。
  マネジメントが校長が担う機能であるのに対して、リーダーシップは校長の行う行為そのものです。ならば何をするかがリーダーシップで、「方向性を示す」「環境を整える」「積極的に働きかける」という具体的行動を知っていなければ実行はできません。

次代の校長・教頭を育てることが課題

 平成30年度がスタートしました。本市では3月末をもって4つの小学校が閉校になったため、小・中学校合わせて23校でのスタートとなりました。4月4日の市小・中学校長会総会では、これからの芳賀地区の管理職の状況を考え、次のように話しました。
             
             次代の校長・教頭を育てなければならない

 前回の教育長室だよりでは、校内人事の視点から人材育成の重要性について述べました。実は、「人材育成」と言いましても、現在の職務に必要な資質能力を身に付けさせることと、将来的に必要な資質能力を身に付けさせることの2通りの人材育成があるのです。
 例えば、授業力の向上を目的として行う授業研究会は、現在の職務に必要な資質能力を身に付けさせるものですから、前者に当たります。これに対して、将来の管理職候補としてのリーダー育成は後者に当たります。特にリーダー育成は、本来、人材を「選抜」することから始めますから、全ての教職員を対象とするわけではありません。つまり、「人材育成」と言っても、教職員を育てることとリーダーを育てることは異なるということです。
  大量退職・大量採用の真っ只中にある芳賀地区におきましては、全ての教職員がその職務を遂行する上で必要な資質能力を身に付けさせることと併せて、リーダーの育成も不可欠になってきています。
 芳賀地区の今後3年間に退職する校長・教頭の人数と、それに伴って誕生する新任校長・教頭の人数を見ますと、この3年間では、新任校長36名、新任教頭45名、合わせて81名の管理職が新たに誕生することになります。校長においては、3年間で43名中36名が新任校長に入れ替わることになります。ということは、現在の教頭と教務主任、あるいは主任層の中から、この3年間に81名の先生が校長・教頭として昇任されることになります。
  ところが学校では、教職員の資質能力の向上を目指し、校内研修の充実は図られているものの、リーダーの育成には意識が薄いのが現状です。したがって、次代の校長・教頭となるリーダーの育成がこれからの大きな課題と言えます。そのためには先ずは、対象者への意識付けを図らなければなりません。そして、これまでのような、対象者が研修や上司の姿勢から学ぶリーダー育成のスタイルに加えて、校長先生自らがお手元に配布した参考資料等を基に対象者に積極的に働きかけていただき、次代の校長・教頭を育ててほしいと思います。
 <参考資料>『月刊高校教育』2013年6月号「校長は次世代のリーダーをどう育てるか」

 

新指導要領は教室の前で止まっている

 昨年3月に告示された新しい学習指導要領も、1年間の趣旨等の説明を経て、この4月から移行措置期間に入ります。また、「特別の教科 道徳」も小学校でスタートします。学校では、これらの準備は大丈夫でしょうか。    
  かつてから「教育改革は校門の前で止まっている」と言われ、「新指導要領は教室の前で止まっている」と言われています。どんなに教育改革、学校改善と言われていても、学校へ行ってみれば旧態依然のままで、同じような問題が発生し後を絶たない。教室を覗いてみれば、なんら変わり映えのしない通り一遍の授業が行われ、新指導要領の「し」の字も感じられない、という状況を揶揄した言葉です。これは極端に書いたのですが、あながち言い過ぎとも言えないかもしれません。
  それは、合同訪問の際に学校経営概要を見せてもらいますと、新課程になっても文言が旧課程のままという学校も散見します。そういう学校は授業も同様で、新課程の趣旨に沿った授業が展開されていないことがほとんどです。
 それに今回は心配なこともあります。昨年の夏休みの中堅教員研修会では、新指導要領作成に直接携わった文部科学省の担当官の講話を設定しましたが、その必要性を否定するような酷評が複数ありました。これからの芳賀の教育を担う30歳代後半の教員が、告示された4ヶ月後に、普段聞くことができない文部科学省の、しかも、その作成に携わった担当官の話に価値を見出せないという体たらくでは、先が思いやられます。
  今回の学習指導要領は、従来にも増して大きな改訂と言えます。これからの21世紀を生きる子供たちに必要な資質・能力を身に付けさせるために、これまでの教科内容重視の構成から、育てたい資質・能力まで言及し、その方法も示しています。資質・能力は本来、教科の枠を越えて横断的・総合的に育むものですから、これまで以上にカリキュラム・マネジメントが重要になってきます。また、子供たちに生きて働く力となって身に付くよう、「主体的・対話的で深い学び」を通した授業改善も求められています。
 では、「主体的・対話的で深い学び」はどのような授業展開になるのでしょうか。ちょっと前までは「アクティブ・ラーニング」と言い、グループ学習が頻繁に行われていましたが、それでよいのでしょうか。等々、新指導要領の趣旨を理解し実践に至るまでには距離があるのではないでしょうか。このようなことを踏まえ、各学校における移行期への準備を宜しくお願いします。

立志を迎えた皆さんへ

 立志を迎えた中学2年生の皆さん、そして保護者の皆様、おめでとうございます。
 立志式とは、武士の社会で行われていた「元服」の儀にちなんで、14歳になったことを祝う式のことです。元服とは、奈良時代以降、成人を示すものとして行われる儀式のことで、通過儀礼の一つになっていました。つまり、この時代では、14歳になると大人の仲間入りをしたということになります。現代では20歳に行われる成人式が大人の仲間入りをする儀式ですから、「立志」とは文字通り「志を立てる」ことであり、この時期に立志を迎える意義は大きいのです。
 と言いますのは、14歳という時期は、3年生への進級を控え、自分の進路や生き方について、これまでを振り返り、これからどのように生きるか、新たに誓いを立てることが必要な、節目となる時期だからです。ですから皆さんは、それぞれが立志の誓いとして、将来の夢や希望を真剣に考えて「誓いのことば」に表したと思います。そして、式では堂々と発表されたと思います。
 元東京大学の総長で、政治学者であった南原繁(なんばら しげる)氏は、「夢や理想は単なる抽象的な概念ではない。必ず実現の力となって働くものだ」と言っています。つまり、夢や理想を持つこと自体に意味があって、それは実現の原動力となるからだと言っているのです。
 皆さんが生きるこれからの21世紀は、一層情報化やグローバル化が進むと思われます。
変化の激しい、先行き不透明な時代とも言われています。そのような中だからこそ、大きな夢をもち、高い理想を掲げ、その実現のために強い意志をもってやりぬいていただきたいと思います。意志あるところに道は開けます。皆さんの輝かしい未来を祝福いたします。
 結びに、保護者の皆様に一言お願い申し上げます
 お子様は、14歳を迎え、思春期前期に入り、人生において最も多感な時期に差し掛かります。この時期は、自発性が高まり、自ら考え、判断し、目標に向かって努力できる時期でもあります。勉強や部活動に、「目標をもってがんばる」という、人生における基本を身に付けることが大切な時期になります。学校ではその基本を身に付けられるよう、勉強や部活動指導を行っております。保護者の皆様にも、一層の学校へのご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げ、お祝いの言葉といたします。

ふるさと真岡を愛し、世界で活躍する「もおかっ子」の育成

                   

 新年明けましておめでとうございます。新しい年平成30年がスタートしました。今年は戌年です。犬は社会性があり忠実な動物で、古くから人間とともに暮らしてきました。その性質から「勤勉」で「努力家」の象徴でもあり、地道な努力によって成果が上げられる年ということもできます。私は戌年生まれ、今年は教育長として3年目を迎えます。
 さて、昨年3月には新しい学習指導要領が告示され、これからの21世紀を生きる子供たちに必要な資質・能力やそれを身に付けるための教育内容等が示されました。4月からは全面実施に向けての移行期間に入り、新しい教育課程への新たな取り組みがスタートすることになります。
  本市におきましては、昨年5月に石坂新市長が誕生し、「JUMP UP もおか ~だれもが『わくわく』する街づくり」のスローガンの下、まちづくりの基本戦略として、5つのプロジェクト、32の施策が打ち出されました。その1番目に「こどもの元気な成長プロジェクト」があり、学力の向上、ICT教育の推進、英語教育の充実、体力アップ、次世代リーダーの育成の5つの施策が挙げられています。
  これらを受け、各施策等の確実な推進とともに、今後一層進展することが予想されるグローバル化や情報化を鑑み、本市教育の目指すべき姿として「ふるさと真岡を愛し、世界で活躍する『もおかっ子』の育成」をスローガンとして掲げることにしました。
  グローバル化の時代、これからの子供たちには世界に視野を広げ、世界で活躍できる資質・能力を身に付けさせることが極めて大切になります。一方で、地方創生の時代でもあり、地域活性化のため郷土愛を育むことも欠かすことができません。昨年ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏の小説には、生まれ故郷の長崎や日本への思いが切々と綴られています。世界的に活躍しているイシグロ氏であっても、原点はふるさとにあって、それが旺盛な創作活動の原動力となっているといいます。
 郷土愛に満ちたグローバルな人材の育成は、我が国はもちろんこと、我がふるさと真岡を発展させるため今後ますます重視され、まさにこれからの時代に求められる教育と言っても過言ではありません。本市におきましても、「ふるさと真岡を愛し、世界で活躍する『もおかっ子』の育成」のスローガンの下、本市教育の更なる発展・充実に向けて、微力ではありますが全力で取り組んで参りたいと思いますので、今年もご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。


 

予防こそ最大の危機管理

 冬至(12月22日)が近付き、寒さも一段と厳しくなってきました。本格的な冬の到来とともに、心配されるのはインフルエンザの流行です。
 厚生労働省は12月1日(金)に、今季のインフルエンザの流行が始まったと発表しました。栃木県ではそれよりも一足早く、11月20日(月)~26日(日)の週にインフルエンザの流行期に入ったと発表しています。
 言うまでもありませんが、インフルエンザの対策は予防が一番です。先生方は予防接種を受けたでしょうか。先生が子供より先に罹患してしまっては、学校でのインフルエンザ対策に支障をきたします。予防の基本は「予防接種を受けること」と医師は言いますので、是非とも先生方も予防接種を受けていただきたいと思います。そして、うがい、手洗い、アルコール液消毒、マスクの着用、換気、さらには規則正しい生活で体力を維持し免疫力を高めておくことが大切です。先生方の心がけ次第で、罹患を回避することができますのでよろしくお願いします(それでも罹患してしまうことはありますが)。
 では、学校でできることは何でしょうか。私が校長で赴任した平成23年度の市貝中では、お茶うがいと教室換気を徹底して行いました。お茶は生徒各自が水筒に入れて持参します。もし忘れるなどして持参しなかった生徒には、学校で予め用意しておいたお茶を提供します。養護教諭は生徒や教師に励行を呼びかけるだけでなく、自ら休み時間毎に各教室を回って確認し指導するという徹底ぶりです。それが奏功し、学区内の小学校では学級閉鎖が相次いだにもかかわらず、市貝中はほとんど罹患者を出さず済みました。私は、この経験から徹底した予防の大切さを学びました。
  インフルエンザに限らず、予防こそ最大の危機管理です。学校には児童・生徒指導上の問題や事件・事故、不祥事等々、様々な危機が潜んでいます。取り分け、いじめ等による自殺は、起きてしまってからでは遅く、未然防止が何より大切になります。そこで、学校の危機を未然に防ぐために、改めて校長先生に次のことを確認願います。
 ①管理職と職員との危機意識には温度差があることを認識し、意識喚起を図っているか
 ②過去の経験や事例等を踏まえ、危機を予測し点検や予防策を講じているか
 ③危機に対して組織的に取り組むための校内体制が整っているか
   「災いは忘れた頃にやってくる」という諺が示すとおり、危機は管理職の意識を見透かしたように思わぬところで発生します。そうならないよう予防の徹底に努めていただきたいと思います。       

命の大切さや尊さの指導に加えて

 またしても異常極まりない事件が発生してしまいました。先月末、神奈川県座間市のアパートで、20歳前後の男女合わせて9人の遺体が発見されました。容疑者が逮捕され、その後の報道で犯行の状況が徐々に明らかになってきました。衝撃的といえるのは、僅か2ヶ月余の間に9人全員を殺害し、しかも遺体を切断し自分のアパートに遺棄したということです。容疑者の猟奇性は疑う余地がないのですが、教育に携わる者として看過できないことは、被害者のほとんどが「自殺願望」を持っていたということです。
 報道では、容疑者はネット上で自殺願望者を物色し犯行に及んだとされています。ネット上には自殺願望を発信する者が後を絶たないといいます。多くは若者で、実際の自殺者数をみても、警察庁の統計では自殺者全体の数は減少しているにもかかわらず、小中高校生の自殺者は変わっていません。この10年間、毎年300人もの小中高校生が自殺しており、多い年は350人を超えています。因みに昨年は320人でした。
 子供の自殺は対岸の火事ではありません。怖いのは、「死にたい」などと口にしたり、ネット上に発信したりする行為に抵抗感がなくなっていくことです。なぜなら、子供の深層心理は複雑でガラス細工のように脆い一面があるため、そういった行為がいじめなどで触発され実行に及んでしまう危険性を孕んでいるからです。現に身近でも、肝を冷やすような行為が散見され侮ることはできません。
 では、どう対応すればよいのでしょうか。私は、この事件の容疑者が「本当に死にたいという者はいなかった」と供述している点に注目しています。それは、自殺願望者であっても、実際に死と直面すると恐怖やリスクがよぎり、ためらいが生じると思えるからです。だとすれば、これまでの命の大切さや尊さの指導に加えて、次の①~③のような、死の恐怖やリスクを伝えることが自殺抑止に繋がるのではないかと思われます。
 ① 自殺という行為は耐えられないほどの痛みや苦しみを伴うということ
 ② 命は失うと二度と戻ってこないということ                     
 ③ 子供を失った親の悲しみは計り知れないものがあるということ
 自殺の代償は余りにも大きく、それは本人のみならず親にも重くのしかかります。特に我が子を失った親の悲しみは深く、子供の想像を遥かに超えています。かつては、「親より先に死ぬほどの親不孝はない」と親が子に諭したものですが、現在はほとんど聞かれないのではないでしょうか。だからこそ、子供を救えるのであれば、敢えてこういった死ぬことのリスクも伝えるべきではないかと思うのです。

[チーム学校」をより強化するために

本日、真岡市小中学校校長会があり、次のことをお話ししました。

 平成27年12月に、中央教育審議会答申「チームとしての学校の在り方と今後の改善方策について」が出されて以来、学校においては「チーム○○学校」という表現が目立ってきています。答申では、新しい時代に求められる資質能力を育む教育課程の実現や複雑化・多様化した教育課題への対応、子供と向き合う時間の確保のために「チームとしての学校」の必要性が謳われています。特に注目すべき点は、教職員だけでなく、心理や福祉等の専門スタッフとチームを組んで対応できる指導体制を整備すべきという点です。「チーム学校推進法」なる法案も用意されているとのことですので、専門スタッフを加えて学校の指導体制を強化することは喫緊の課題と言えます。
 こういった背景もあって、多くの学校で「チーム○○学校」と銘打って、教職員の結束力を高め日々の教育活動の向上に取り組んでいます。言うまでもありませんが学校は組織体です。ですから学校教育の充実には、「組織的対応」が欠かせません。これはチームとしての学校も同様です。そこで、改めて組織的対応について次の三つをお示しします。
 先ず一つ目に、目標の共有化・共通理解です。組織には必ず目標があり、構成員全てがその目標を共有化していなければなりません。また、何か問題が起こりそれに対処するには、共通理解が絶対的に必要です。
  二つ目は役割分担です。そもそも組織が存在するのは個人ではできないからです。企業でいえば分業の必要性です。そのためには役割分担が重要になります。特に大切なことは、組織のトップが必要に応じて適切な役割分担をしなければならないことです。急を要する事態には、必要な役割を相応しい人員に、即割り当てることが管理職には求められます。
  三つ目は意思の疎通、情報の伝達です。これをコミュニケーションと言うことにします。たとえ行動は単独であっても、他の構成員との意志の疎通がなければなりませんし、組織のトップへの情報伝達は欠かすことはできません。
 組織の大小にかかわらず、組織的対応には目標の共有化・共通理解、役割分担、コミュニケーションの三つは極めて重要です。もちろんチームも同様で、例えば野球で4番バッターだけを揃えてもチーム力は上がらず、役割に応じた選手が必要なように、学校のチーム力を上げるには教職員の持ち味を生かす役割分担が何よりも大切です。
  今まさに学校は組織として、あるいはチームとして組織力と機動力が求められています。中でも、緊急のときこそ組織的対応が不可欠で、上述の三つのことを確実に実践することによって機動力にも結び付きます。「チーム学校」をより強化するために再確認願います。
  

起こったこと全てに原因がある

 かつてベストセラーとなった『原因と結果の法則』(ジェームズ・アレン著)では、ものごと全てに「原因」があるから「結果」があることを説いています。つまり、身の回りで起こったこと全てに必ず原因があるということです。ですから、何か問題が発生した場合に、その原因を明らかにしない限り問題の根本的解決にはなりません。
 例えば、日本の新幹線や航空機が他国に比べて極めて安全性が高いのは、問題発生の原因を徹底的に究明してきた結果といえます。これに対して、依然としていじめの問題が後を絶たないのは、原因究明にどこか問題があるからではないでしょうか。
  いじめの問題は、これまで研究者や学校関係者等が再三再四に渡り原因究明に取り組んできました。しかし、悲惨ないじめは繰り返し発生し深刻化しています。なぜでしょうか。
 いじめの問題を考えるには、学校はもちろんですが、被害者、加害者、保護者など、いくつかの側面があります。にもかかわらず、ひとたびいじめの問題が発生すると、一方的に学校ばかりが責め立てられ、学校は終始責任の追及に晒(さら)されます。当然、発見の遅れや対応の不適切さ等があれば、学校の責任は免れません。しかし、それだけでは原因の究明にはなりません。被害者、加害者、学校、保護者など、いじめの発生に関わるあらゆる側面から徹底的に原因を追究しなければならないのです。
 学校では、いじめの問題に限らず、大小さまざまな問題が発生します。生徒指導上の問題だけでなく、学力向上等の教育課程上の問題もあります。こういった問題を解決するためには、なぜ起こったのか、どうしてそうなったのかなど、それらが起こった原因を明らかにすることが大切です。しかし、問題が発生すると、どうしても対症療法的な対応になってしまい、再発が繰り返されるということが多々あります。そうならないためにも、「起こったこと全てに原因がある」という認識のもと、徹底した原因究明が必要なのです。

教師の仕事は体と感覚で覚えなければならない

 8月に入り、夏休みも中盤となりました。現在、校内研修や教育行政機関の研修が佳境を迎えています。夏休みといえども学校では、学力向上や児童・生徒指導等の課題に対応するため校内研修を実施しています。また先生方は、市教委や総合教育センター等の研修に積極的に参加して学んでいます。特に今年は、新しい学習指導要領が告示されたり、小学校道徳が次年度から教科化されたりするため、県教委主催の教育課程説明会をはじめ、それらに関する研修への参加も多くなっていると思います。
 教育公務員特例法第21条(教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない)を持ち出すまでもなく、教師にとってこういった研修で学ぶことは欠かすことのできないことです。しかし、注意しなければならないのは、研修で学んだからといって、直ちに指導力の向上に結び付くとは限らないということです。
 なぜなら、教師の仕事というのは、直接子供と関わって身に付くことが多いからです。特に学習指導や児童・生徒指導は、子供の実態に応じた適切な指導が求められます。学級集団は異なりますし、一人一人の子供はみな違いますから、それに応じた指導が必要となります。時として、一般論や定石では対応しきれないこともあります。だからといって、知識や技術等の理論が必要ないということではありません。それらはもちろん重要ですから、研修等でしっかりと学んでいただきたいと思います。ただ、それだけではなく、その後の実践と省察、そして更に深めるための自己研修が大切になります。
  ところが、かつて芳広教委が実施した研修等に係わるアンケート(平成22年1月小・中学校25校抽出427名対象に実施)では、芳賀地区の教員は、教育センター等の研修に積極的に参加している割合が70.8%と高かったものの、その内容に関わる実践や自己研修を研修後行っていると回答した割合は11.6%と低かったのです。研修がその後の実践や自己研修にそれほど結びついていないことが明らかになりました。
  これは、教師は忙しく、研修を受けたとしても、それを振り返り実践する余裕がないのかもしれません。ましてや自己研修に発展させるなど困難と言われるかもしれません。しかし、教師の仕事は子供に対する皮膚感覚というのが不可欠で、こればかりは研修では補えず、教師自身が体や感覚で覚えなければならないことなのです。研修等で学んだことを実践に生かし、省察し更に深めることの繰り返しによって、教師の実践的指導力は身に付くということです。 

捲土重来に期待

  7月8日(土)の下野新聞に、中村南小リレーチームの県大会3位の記事が掲載されました。全校生僅か57人の小規模校の見事な活躍を知り、大変嬉しく思っております。
 さて、今日から夏休みになりました。中学校の部活動では、いよいよ3年生にとっては最後の大会となる総合体育大会が始まりました。春季大会では、真岡中卓球部の県大会優勝や中村中野球部の3位など、たくさんの部が県大会出場を果たし、大変活躍しました。
 その一方で、残念ながらあと一歩というところで敗れ、県大会を逸した部もあれば、県大会には出場したが、目標達成までは至らなかった部など、何らかの課題を残し、生徒だけでなく指導の先生も悔しい思いをしたという部もあったのではないでしょうか。
 春季大会では十分に力を発揮できず、目標を達成できなかった部の捲土重来を期待しております。これまでの練習の成果を存分に発揮して、思い出に残る中学校最後の大会にしていただきたいと思います。各部の健闘を大いに期待しています。

暑さ対策 熱中症対策 大丈夫ですか

 昨年のことですが、某中学校のバスケットボール部の生徒が部活動の練習中に倒れ、熱中症が原因で亡くなるという事故が発生しています。この事故は夏休みの8月16日の朝、まだ気温もこれから上昇するというときに起きています。
 このときの練習は午前8時半からのランニングで開始されました。通常なら30分走るときには15分で給水することになっていたそうですが、この日は正顧問が不在で副顧問が指導、給水なしで走らせたとのことです。しかも、生徒が通常より5分早く終わらせたのを、教師は「ごまかした」と判断、さらに5分長く走らせたため、実際は35分間無給水でランニングをしたことになります。事故はその直後に起きています。
 この事故については、第三者による調査委員会が設置され詳しく調べられました。その結果、「水分を取らせなかったこと」と「通常は30分のところ5分長く走らせたこと」が不適切な指導と指摘されました。これ以上詳しいことは報道からの情報では分かりませんが、こういった事故にはいくつかの原因が考えられます。 
 その一つに、時間帯での危機意識のなさがあったのではないでしょうか。事故が起きた午前8時半から9時といえば、まだ気温が上がりきっていない時間帯です。日中の炎天下なら誰でも熱中症を警戒しますが、この時間帯ではその意識はなかったと思われます。そうでなければ、無給水で30分(教師はそう思っていた)も走らせることはなかったでしょう。
 それにもう一つ、熱中症はそのときの体調にも左右されるということを認識していたでしょうか。例えば、夏バテで朝食を食べられなかったり、夏休みの不規則な生活のため体調を崩したりしても熱中症になるリスクは高まります。事故が起きた8月16日といえば、まだお盆も終わってなく、盆踊りなどの行事や親戚等との交流もあり、夜遅くまで起きていて寝不足などということも考えられます。ですから、部活動の開始前には、健康観察により一人一人の体調を把握することも必要なのです。
  さて、あと1週間で夏休みです。日本の夏は近年暑さが増しています。暑さ対策、熱中症対策は大丈夫でしょうか。上述のように、時間帯にかかわらず熱中症の危険性がありますので注意が必要です。また、夏休みの子供たちの生活は不規則になりがちですので、部活動等での健康観察は不可欠です。
 気象と健康が専門の村山貢司氏によると、「夏バテしない規則正しい生活が大事で、それだけでも熱中症はかなり防げる」と言います。また、「ただの水では体液が薄まって2次脱水が起こるため、ナトリウム等の電解質が入ったスポーツドリンクのようなものがよい」とも言っています。これから夏本番に向けて各学級等での指導をお願います。
 

いい教育してますね

 先日、とてもよい光景を見ました。それは、私がよく行っている公園でのことです。
 幼稚園の年長さんくらいの女の子が自転車に乗って遊んでいました。すると、突然、乗っていた自転車から飛び降りて、「〇〇くーん」と叫んで、一目散に走り出したのです。女の子が向かった先には、幼い男の子が自転車で転んだのでしょうか、泣いていました。女の子から男の子までの距離は約30mくらいあったと思います。女の子は脇目も振らず一心不乱に走って行って、その子を助けてあげました。たぶん、男の子は女の子の弟なのでしょう。しばらくすると、お母さんも近くにいたようで、二人のところへやって来ました。男の子は、お姉さんとお母さんの二人に助けられ、べそをかきながらも自分で自転車を起こしました。
 なんと、弟思いのお姉さんなのでしょう。私は、思わずそのお母さんに、「よい教育をしてますね」と言ってしまいました。そのお母さんは、30歳くらいの年齢ですが、とてもしっかりしたお母さんでした。このような姉弟でしたら、思いやりの心が育まれ、陰湿ないじめなどしない子供に育つのだろうと、つくづく思いました。
 どうしたら、この女の子のように思いやりのある子供に育つのでしょうか。どうしても、就学前の兄弟姉妹の場合には、親として下の子のほうに手をかけてしまうのが普通です。その結果、上の子が愛情不足を感じてしまうなどの、子育ての難しさも指摘されています。
 それを思いますと、少なくともこのお母さんは、普段から二人の子供に、惜しみない愛情を分け隔てなく注いでいるのだと思います。そして、女の子自身も満ち足りた愛情を感じ、安心した生活を送っているのでしょう。
 また、このお母さんは、もし子供に何かあったら、この女の子がとった行動のように、自分のことはさておき、すぐに対応しているのだと思います。女の子も、そういったお母さんの行為をいつも見ているからこそ、冒頭のようなほほ笑ましい光景があったのではないでしょうか。
  と考えますと、これは教師にも当てはまります。子供が一番嫌うのは、教師の依怙贔屓(えこひいき)です。教師はそうとは思っていない行為であっても、子供は捉え方が違うことがありますから注意が必要です。また、子供最優先は教師の鉄則であるにもかかわらず、忙しさのあまり、つい後回しになってしまうことがあります。
 改めて、これらのことは子供への影響が大きく重大なことですので、これを機会に、「教師の当たり前」として意識していただきたいと思います。
 
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学校経営に命を吹き込む

 6月6日(火)に芳賀郡市小中学校校長会があり、岡良一郎教育長会長の代理として挨拶をしました。
 校長先生方に少しでも参考になればと思い、私の校長経験から得たことですが、「学校経営に命を吹き込む」という内容で、次のように話しました。

 
 「校長の言葉は校経営に命を吹き込む」と言えます。それは、なぜかと言いますと、学校経営には校長の教育理念が必要です。また、経営理論も大事ですし、それに基づく経営構想や経営計画も大事です。しかし、どんなに崇高な教育理念をもっていても、また、高度な理論に基づき、素晴らしい経営構想や経営計画があったとしても、それらを通して見える学校の現状を的確に捉え、適宜・適切に発信する「言葉」が校長になかったら、学校は安定しません。血液が心臓から体内のあらゆる器官に行き渡るように、校長の言葉が、職員に、学校組織に、そして子どもたちに伝わってはじめて、学校経営が円滑に機能すると言えるのです。このように考えると、無味乾燥な学校経営に命を吹き込むのは、やはり「校長の言葉」と言えるのではないでしょうか。
  言葉には力があります。学校経営に命を吹き込むような大いなる力があるのです。ですから、言葉は学校経営の戦略として使えます。と言っても、言葉巧みに相手を洗脳するとか、カリスマ的に相手を操るとかのために使うのではないことは言うまでもありません。あくまでも、校長が学校組織を動かし、円滑に学校経営を進めるために使うのです。そのためには、職員への発信が最も大事になります。
  よく「校長は講話で勝負する」と言いますが、これは主に児童生徒や保護者向けの講話です。もちろんそれも重要ですが、それ以上に神経を注がなければならないのは、実は職員への話なのです。なぜなら、その校長の言葉によって学校組織が動き、あらゆる教育活動が展開されるからです。一人一人の職員が校長の考えに納得し、共感・共鳴して、一丸となって学校運営に当たれるかどうかは、校長の言葉次第ということです。
 ですから、学校経営の戦略として言葉を使う必要があるのです。そのためには、普段使っている言葉は別として、思いつきや行き当たりばったりで言葉を使うことは避けなければなりません。そこで、次の3つのことが大切になります。
 (1) 言葉を使える確かな言葉として整え、ストックしておくこと。
 (2) いつ、何をどのような言葉で発信するか、意図的・計画的であること。
 (3) 必要に応じて、同じ言葉を何度でも繰り返し使うこと。
  言葉は見えませんし形もありませんが、使い方次第で、学校経営の大きな武器になるということも忘れてならないことです。

学校には「6月の危機」がある

 5月25日(木)に校長会があり、次のようなことをお話ししました。

 ある書物で知ったのですが、学校には「6月の危機」という言葉があるのをご存じでしょうか。4月病や5月病という言葉はよく耳にしますが、「6月の危機」とは一体何なのでしょうか。。
 学校は、入学式や始業式に始まり、身体測定や授業参観、PTA総会など、新学期の諸行事が立て続けにあります。それが終わると、春の各種大会や修学旅行、中間テストがあります。これら全てが終わると、一学期の半ばとなる6月を迎えます。この頃は、4月や5月の慌ただしい状態から普段の生活に戻り平生を取り戻す時期となります。その一方で、教師や生徒にストレスが溜まってくるのもこの頃です。それは、6月には祝祭日がなかったり、梅雨時で室内で過ごすことが多くなったりと、ストレスとなる要因が多いことが挙げられます。また、6月は一学期の中間に当たり中だるみの時期でもあり、4月や5月の緊張感がなくなり、気分的にも沈みがちになる時期でもあります。ですから、「6月の危機」と呼ばれていて、注意が必要です
 ふりかえると、2001年の大阪教育大学附属池田小事件も、2004年の佐世保同級生殺害事件も、そして、2006年の新潟県村松小の小一男児防火シャッター事故も6月に起きています。さらに6月には、2011年に名古屋市立高校で柔道部員が練習中に死亡する事故、2013年には茂原樟陽高校で、サッカーゴールが倒れ死亡するという事故も起きています。偶然とは言え、これだけの事件・事故が6月に起きていることは侮れない事実です。これらは極めて希な事件・事故ではありますが、私が以前勤務した市貝中学校の次の例に見ると、6月には何らかの危険性が潜んでいることが分かります。
 東日本大震災で甚大な被害を受けた市貝中は、隣町の旧水沼小での生活でしたので、多少不便でしたが一定の緊張感がありました。そのため、4月から6月中頃までは、生徒指導上の問題は全くありませんでした。ところが、6月後半になって、送迎のバスの中で生徒間のトラブルや器物破損が連続して発生しました。さらには、不注意でガラスを立て続けに割るなど、生活全体に落ち着きがなくなってきました。私は「6月の危機」を直感し、徹底した指導を教職員に呼びかけました。それが功を奏し事態は程なく収拾しましたが、まさに「6月の危機」でした。
 学校には「6月の危機」なるものが存在します。誰もがそれを認識し危機意識をもって防止に努めていただきたいと思います。

笑顔で始め、笑顔で終わる

 新学期が始まり3週間が経ちました。学級経営や日々の授業は順調でしょうか。そこで今回は、先生方へのメッセージとして書きましたので、是非実行していただきたいと思います。

 子供は教師をよく見ています。なかでも、教師の表情は常に見られていますので、子供に大きな影響を及ぼします。といいますのは、教師の表情によってそのクラスの雰囲気が変わりますし、それだけではなく、クラスの子供自身が変わってしまうからです。
 私が最初に勤務した中学校の先輩教師のことです。その教師は、子供に厳しく、どちらかといえば力で牛耳るタイプの教師でした。毎年のように問題行動のある子供を担任していましたが、それでも無難な学級経営をしていました。
 しかし、ある年のクラスはそうはいきませんでした。やはり、問題行動のある子供がクラスにいましたので、彼は、毎日のように、険しい表情で朝や帰りの会を行っていました。それだけでなく、授業でも厳しく、笑顔などほとんど見せませんでした。教室に入るときから、怒鳴り散らしていることも希(まれ)ではありませんでした。
 ついに彼のクラスは、今でいう学級崩壊の状態となってしまいました。だからといって、そのクラスには問題行動のある子供がたくさんいたわけではありません。ほんの数名だったのですが、恐ろしいことに、他の子供も教師に反発するようになってしまったのです。
   教師の表情で子供が変わります。やはり、笑顔でにこやかな表情が、子供によい影響を与えることは間違いありません。
 特に、授業は笑顔で始めたいものです。私は、いつも授業に臨むときには、自分の気持ちをハイにして子供の前に立つように心がけていました。とはいっても、授業中はそうはいかないこともあります。もちろん、大切なところは真剣な表情で教えなければなりませんし、注意を促すときには表情も厳しくなってしまいます。教師は、ときには役者になることも必要なことです。
 笑顔や厳しさなどの表情の豊かさは、まさしく教師の専門性といえます。ですが、授業においては、笑顔で始め、笑顔で終わることを心がけるだけでも、子供の授業への取り組みは変わってくると断言できます。


 

学力が人の流れをつくる

 4月5日(水)に真岡市小中学校校長会総会があり、教育長の挨拶の中で、次のことをお話ししました。

 平成29年度がスタートしました。4月10日(月)・11日(火)には小・中学校の入学式が行われます。次の週の4月18日(火)には全国学力・学習状況調査ととちぎっ子学習状況調査、そして本市独自の学力調査も行われます。その準備はいかがでしょうか。チャレンジシート等の活用はされたでしょうか。
  もはや、学力向上は学校だけの問題では済まされないのです。
 去る3月17日(金)に行われた県議会予算特別委員会総括質疑の中で、学力問題が取り上げられました。新聞によると、学力向上は人口減少対策に直結する重要課題だとして、低迷している本県の小学生の学力について、原因の分析と適切な対応、そして危機感をもって学力向上に取り組むよう強く要望されたということです。
  特筆すべきは、「学力向上が人口減少対策に直結する」という点です。
  ご承知のとおり、日本の人口は平成20年から減少時代に入っています。特に地方においては、少子化だけでなく都市部への人口流出も相まって、著しく減少しているところもあります。人口の減少は、労働生産の減少や消費市場の縮小を引き起こし、地域経済やサービスに大きな影響を及ぼします。そのため各自治体では、少子化問題や人口流出問題は喫緊に取り組まなければならない重要課題とし、当該自治体へ人の流れができるよう「選ばれるまち」づくりに躍起になっています。
 その方策の一つが教育です。つまり、教育の質を上げることによって人の新たな流れができるということです。なぜなら、教育は若い子育て世代にとっては関心が高く、よい教育が受けられるところに人は集まって来ると予想されるからです。中でも学力については注目度が大きく、「学力が人の流れをつくる」と言っても過言ではありません。水は高いところから低いところに流れますが、「人は学力の低いところから高いところに流れる」と言えます。
 したがって、学力向上は、学校だけの閉じた世界で論じられる問題ではなく、今や県をはじめ各市町村の行政が人口減少対策として講じなければならない重要な問題となっているのです。校長先生にはこういった社会情勢も踏まえたうえで、学力向上に積極的に取り組んでいただきたいと思います。

ご卒業おめでとうございます。

 小学6年生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。山前小また、保護者の皆様、お子様の大きく成長された姿に喜びもひとしおかと存じます。本当におめでとうございます。
 さて、小学校課程を終了したみなさんは、4月から中学生となります。中学生の時期は思春期前期に当たり、心も体も人生の中で最も成長する時期です。また、感受性も強くなり多感な時期でもあります。ですから、中学校での学びや体験はそのときだけに留まらず、将来に大きな影響を与えることになります。しかし、中学校は小学校と違って3年間しかありませんから、これまで以上に一日一日の生活が大切になります。
 そこで大事なことは、先ずは勉学に励んでほしいということです。中学校での学習は、小学校とだいぶ違います。「算数」が中学校では「数学」となります。名前が変わっただけではなく、内容もより考える力が求められるようになります。英語の授業も本格的に始まります。また、授業も教科ごとに先生が違う教科担任制になります。さらに、小学校ではなかった中間・期末テストがあります。そのため、予習や復習などの家庭学習も計画的にやることが大切になります。中学校3年間は、皆さんが自ら進んで勉強する良い時期でありますし、意欲的に学んでほしいと願っています。
  次に、何かに本気で打ち込み友情を育んでほしいと思います。中学校では、体育祭や文化祭など様々な行事があります。また、生徒会活動や部活動も活気があります。特に部活動では、県大会をはじめ、関東大会や全国大会ですばらしい活躍をしています。このような活躍は、皆さんの先輩たちが、毎日努力を積み重ね、本気で取り組んできた成果なのです。仲間と本気で取り組めば、そこに確かな友情が生まれます。共に何かを成し遂げる体験やそこで生まれてくる友情は一生の宝物です。豊かな体験を通して友情を育み、一生の友とできる人を探してほしいと願っています。
 みなさんの中学校での活躍をご祈念申し上げます。

ご卒業おめでとうございます。

  卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。真岡東中また、この日を長く待ち望んでおらました保護者の皆様には、心よりお慶び申し上げます。
  さて、義務教育を終了したみなさんは、今日より新しい門出を迎えます。進む道もそれぞれ異なりますし、将来就く職業も違います。自分の人生設計に基づいて、自分の意思で歩んで行くことになります。
  そこで、大切にしてほしいことは、「感謝の気持ちを忘れない」ということです。
  思い起こしてください。ちょうど6年前の3月11日午後2時46分、未曾有の被害をもたらした東日本大震災が起こりました。ここ真岡市でも震度6弱の激しい揺れに見舞われ、甚大な被害が生じました。水は出ない、電気は付かない、スーパーでの買い物もできない、ガソリンスタンドには長蛇の列、一瞬にして「日常」が奪われてしまいました。学校でも、電気や水、トイレ、チャイム、給食、授業、そして部活動等々、当たり前のことが当たり前でない状態になってしまいました。
  その後、少しずつ復旧していきましたが、その都度、誰もが当たり前の生活ができることに感謝したことと思います。東日本大震災という過去に経験したことのない大災害を乗り越えてきた皆さんだからこそ、より以上に「感謝の気持ち」の大切さを深く心に刻み、これからも忘れないでほしいと思います。
  私たちは誰でも、一人では生きていくことができません。皆さんがこうして卒業の日を迎えられたのも、決して皆さん一人だけの力ではありません。これからの人生、皆さんが生きていくためには多くの人の力を必要とします。そうした方々への感謝の気持ちが大切で、その気持ちが何よりも自分自身の人生を豊かにしてくれます。感謝の気持ちを忘れずに大切にしてほしいと思っています。
  みなさんの輝かし未来を祝福いたします。

指導主事を活用していただきたい

 本年度最後となる3月2日(木)の校長会で、次のことを校長先生方にお願いしました。
 
 ご承知のとおり、芳賀地区広域行政事務組合教育委員会(以下「芳広教委」という)は一昨年3月末をもって解散いたしました。これまで1市4町の教育事務の共同処理として、芳広教委が行っていた教員研修や学習指導・教育課程に関する指導等を各市町教委が行うことになりました。そのため真岡市教委においては、指導係を新設し指導主事6名を配置するなど、組織を改編し体制を整えたことは周知のとおりです。
 しかしながら、芳広教委を解散するとなると、教員研修をはじめ合同訪問や教科書採択等の事務を滞りなく市町教委へ移管しなければなりません。これは相当の事務量で容易ではありません。そこで、芳賀地区教育研究協議会を1年間の限定で創設し、解散後もこれまでと同様に事務処理を行い円滑に移管できるようしました。業務は広域行政センターで市町教委の指導主事が行い、真岡市教委は3名を派遣していました。そのため、指導係に6名の指導主事が配置されたとはいえ、実際は3名で指導係の業務を行っていました。
 その芳賀地区教育研究協議会もこの3月末をもって解散することになります。4月からは指導係に6名の指導主事が揃います。いよいよ真岡市教育委員会学校教育課の指導係が、本格的に業務を遂行するときが来たと言ってよいでしょう。ですから、大いに指導主事を活用してほしいと思っております。
 今やどこの学校においても、学力向上やいじめ・不登校対策、若手教員の育成等々、課題があります。また、授業をはじめ、学級経営や児童・生徒指導等、学校で日常的に営まれている教師の仕事であっても、専門性と実践的指導力が要求されます。指導主事はこういった学校の課題解決の取組を援助し、教師を支援するために配置されています。
 地教行法第18条第3項には「指導主事は学校における教育課程、学習指導その他学校教育に関する専門的事項の指導に関する事務に従事する」とあります。そのため、指導主事には理論と実践に基づく高い専門性が要求されます。それだけではなく、学校教育を教育行政の最前線で支援する市教委の指導主事には、県教委や教育事務所等の指導主事と違って、積極果敢な機動性も要求されます。つまり、学校で起きた諸々の出来事に即対応し、解決を図らなければならないのです。6名の指導主事は学校の要請に応えるため、その専門性と機動性を培ってきていますので、是非とも活用していただきたいと思います。

指導がなければ向上はない!

 2月13日(月)に真岡市小中学校校長会があり、次のことを話しました。

 早いもので年が明けて既に1か月半が経ち、2月も中旬となりました。短い3学期の慌ただしい中で、ふと気付いてみれば、平成29年度の全国学力・学習状況調査及びとちぎっ子学習状況調査の実施まであと2か月になっています。どこの学校でも、昨年の調査結果を分析し、学力向上のための改善プランを作成しています。また本年度は、学力向上検討委員会を設け、学校で取り組むべき学力向上の具体的手立てを提案していただきました。それらの取組状況はいかがでしょうか。
  言うまでもありませんが、教師の指導がなければ子供の向上はありません。特に各学校の課題となっている学力については、子供一人一人の学力を把握し、必要かつ適切な指導を全校体制で行うことが必須と言えます。そのための改善プランであり、具体的手立ての提案であったわけです。もちろん、学力向上は一朝一夕には結果が出ないことは分かっています。しかし、だからといって改善プランや具体的手立てを、教師が安易な気持ちで受け止めていたのでは事態は絶対に改善しません。先ずは教師自身が、それらの学力向上の取組に本気になることです。子供にとって必要な学習指導を本気で行うことです。
  当然テストへの備えも必要です。思考力・判断力・表現力等の活用力については、課題や発問を工夫したり、論述や説明などの言語活動を取り入れたりして、授業を通して育んできています。しかしながら、授業学力とテスト学力は必ずしも同じではありませんので、授業で身に付けた力がテストに反映されるとは限りません。全国学力・学習状況調査のB問題に見るように、たとえ算数や数学の問題であっても、解答するためには相当の読解力を要します。子供たちはそういった問題をやり慣れていませんので、無防備に臨むと戸惑ってしまい対処しきれません。したがって、ある程度類似した問題に取り組ませておくことも必要です。各学校に配布してある「チャレンジシート」(芳賀教育事務所・芳広教委発行平成26年12月配布)はそのためのものですので、是非とも活用をお願いします。
  また、テストのあるなしにかかわらず、国語の漢字やローマ字、算数・数学の計算等の基本的事項は、その学年で確実に身に付けていなければ、その後の学習に支障をきたすことになります。ですから今、この時期が大切であって、まとめの3学期におけるそれらの総括した学習と、定着させるための繰り返し指導が極めて重要になります。
 改めて、教師の指導があってはじめて子供は向上するということをご指導願います。

「質」とは「品質」のこと

 昨日(1月18日)、真岡市小中学校校長会がありました。改めて、平成29年の年頭所感について話しました。そして、その中で述べた「質」について、私の考えを次のように話しました。

 平成29年の年頭所感では、今年は「質」にこだわり質的充実を目指して、「授業の質を高める」「教職員の質を高める」「教育委員会事務局の質を高める」「事業の質を高める」の4点を挙げました。
 この「質」とは「品質」のことを意味しています。手元の辞書で「質」を引くと、「その物を形成している物質の可否。良し悪しからみた品物の性質」(旺文社国語辞典)とあります。良し悪しからみた品物の性質とは品質のことであって、冒頭の4つのことにも相通じます。
 例えば、真岡特産の苺の「質を高める」というのであれば、「品質を良くする」ことですから、より甘くておいしくする、より色つやを良くする、より大きく形良くする、などが挙げられます。これらは苺を買ってくれる消費者から求められることです。つまり、「質を高める」というのは、対象となる相手があって、相手が求めていることに対して、より近付き、あるいはそれ以上のことをすることと言えます。
 このように捉えますと、「教職員の質を高める」というのであれば、対象となる相手はもちろん児童生徒です。したがって、児童生徒の求める分かる授業を追究し授業力を高めること(これは「授業の質を高める」ことでもあります)や、児童・生徒指導、学級経営等における実践的指導力を高めることとなります。これらについては、教育委員会としても研修等で積極的に教職員の資質能力の向上を図っていきたいと思っています。学校におきましても、OJTや校内研修の充実に努めていただくとともに、教職員自らの自己研修の啓発もお願いします。
 また、対象となる相手は児童生徒だけではなく、保護者や地域の方もそれに当たります。これらの方々には誠意ある対応が何よりも大切になります。言うまでもありませんが、学校での教育は、学校への信頼があってはじめて成り立ちます。ですから、学校は不誠実だと思われては困りますし、万が一教職員の軽率な言動があれば、学校の信頼は一瞬にして失われてしまいます。これはまさに教職員の質の問題と言うことができ、こういったことのないよう教職員の質を高めていくことが大切です。そのためにも再度言わせていただきますが、昨年4月当初に教職員の信条として掲げた「誠意・愛情・実力・根気」を今一度確認していただき、「教職員の質を高める」ことに努めていただきたいと思います。

新年明けましておめでとうございます

  新年明けましておめでとうございます。酉
   平成29年がスタートしました。今年の干支は酉です。「酉」という文字は、酒を醸す器の象形文字だそうで、収穫した作物から酒を抽出することや作物が収穫できる状態を表すことから「実る」という意味があるそうです。この「酉」の文字が示すように、平成29年が実り多い充実した一年となりますようご祈念申し上げます。
   本市教育におきましても、実り多い充実した教育活動が展開できるよう、今年は「質」にこだわり、質的充実を目指したいと考えております。   といいますのは、本市においては、学校教育をはじめ、生涯学習、文化芸術、スポーツ関係等々における教育資源や教育環境はほぼ整っており、他と比べても遜色ありません。それらを余すところなく活用し、一層の教育効果を上げることが本市教育の充実・発展には不可欠と考えております。質的充実とはそのためであって、今年は次の4つのことについて全力で取り組んで参りたいと思っております。
(1)  授業の質を高めます
   将来を担う子供たちに確かな学力を身に付けさせることは、学校の役目であり責任をもって行わなければなりません。そのためには授業の充実が何よりも大切であって、子供にとって分かる授業はもちろんのこと、「分かる・できる・定着する」まで責任をもって学習指導を行うことが必要です。学校ではこのようなことを踏まえ、教師一人一人の授業力の向上を目指し、定期的に授業研究会を行うなど積極的に授業研究に取り組んでおります。教育委員会としてもそれらの取組を一層支援し、教師一人一人の授業の質を高めて参ります。
(2)  教職員の質を高めます
  「あらゆる教育論は突き詰めていけば教師論に行き着く」と言われるように、教育は何といってもその直接の担い手である教師にかかっています。また、教職員の大量退職・大量採用の時代を迎え世代交代が進んでおり、ミドルリーダーの育成や若手教師の資質能力の向上が課題となっております。そのため、教育委員会としては独自の研修を立ち上げ、教職員研修の充実を図って参ります。また、各学校のOJTによる人材育成の取組への支援や、新たな2~5年目教員への支援事業を通して、教職員の質を高めて参ります。
(3)  教育委員会事務局の質を高めます
    何を隠そう私たち教育委員会事務局としても、その質を高めていかなければなりません。教育委員会事務局には、学校教育課、生涯学習課、文化課、スポーツ振興課、給食センター、自然教育センター、科学教育センターがありますが、職員誰もが本市教育行政を司るという責任と自覚、そして高い課題意識をもって業務を遂行できるよう質を高めて参ります。特に、昨年4月には学校教育課指導係が組織され、指導主事6人が配置されました。学校教育を最前線で支援する市教委の指導主事には、高い専門性と積極果敢な機動性が要求されますので、それらを踏まえた資質能力の向上を図って参ります。
(4)  事業の質を高めます
   そして何よりも各種事業の質を高めて参ります。本年も各課において様々な事業を実施しますので、それらが参加者の期待に応え満足されるよう質的充実を図って参ります。中でも、自然教育センターや科学教育センターは本市特有の教育施設であり、不断に目的・内容・方法等の見直しを図り、より教育的効果が上がるよう努めて参ります。

おや、おかしいぞ、なんとかしなければ・・・

 福島第1原発事故で、福島県から横浜市に自主避難してきた中学1年の男子生徒がいじめを受けていた問題で、学校や市教委の対応の甘さや危機意識の薄さが問題視されています。
   この生徒は小学生のときに避難してきたそうですが、いじめはその直後から起こっています。複数の同級生から、名前に「菌」を付けてバイキン呼ばわりされたり、「放射能がうつる」などとからかわれたりしています。また、「賠償金あるだろ」などと言われ、ゲームセンターでの遊び代や食事代等の金銭を同級生から強請されています。しかもその額が法外で、1回5万~10万円、総額にして150万円にも上るというのです。これを知った親は、学校と市教委に相談しましたが、学校は「重大事態」と捉えず、市教委は学校へ介入できないと応じなかったということです。
 いじめの問題ではこれまでも、学校や教育委員会の「事なかれ主義」というか、危機感のなさがたびたび指摘されてきました。しかし、改善には至っておらず、今回も同じような事案が発生してしまいました。
   では、こういったことが繰り返されるのはどこに問題があるのでしょうか。
  いくつか考えられますが、私は特に「おや、おかしいぞ」と感じる気持ち、つまり「感覚」に問題があると思います。今回のいじめの件で言えば、小学生の間で万単位の金銭のやりとりがあったわけですから、「おや、おかしいぞ」と感じてしかるべきです。いかなる理由があったとしても、小学生が何万円ものお金を扱うこと自体、おかしいと感じなければいけないのです。
 そして、おかしいと感じたならば、次に「なんとかしなければ・・・」という気持ち、つまり「意識」の問題です。この意識さえあれば、被害者と加害者、そして、それぞれの保護者に対しても真剣に向き合い、解決に向けて誠心誠意対処することができるはずです。
    学校では、いじめに限らず様々な問題が発生します。それらの問題を早期に発見し、適切に対応することが求められます。そのためには、全ての教職員が「おや、おかしいぞ」という感覚、そして「なんとかしなければ・・・」という意識を常にもっていることが大切です。いや、教職員だけでなく子供たちにも、「おや、おかしいぞ、なんとかしなければ・・・」という鋭い感覚と強い意識を植え付けなければなりません。そのためにも、教師自身が自らの感覚を磨き、意識を高めることが必要なのです。

合い言葉は集団を引っ張る

 先週の議会一般質問の中で、大瀧和弘議員から学力向上のための合い言葉について質問がありました。
  私も、合い言葉の必要性や重要性は十分に認識しており、「合い言葉は集団を引っ張る」と考えております。ですから、校長として赴任した市貝中では「がんばろう市貝 つくろう新しい市貝中」を、山前中では「きずこう!山中の新たな歴史」をそれぞれ掲げて学校経営を行いました。これら2つが全く異なる合い言葉となっているのは、学校経営上それぞれに深く重要な意味づけがあったからです。
  若干説明しますと、先ず市貝中の合い言葉「がんばろう市貝 つくろう新しい市貝中」ですが、当時の市貝中は、東日本大震災のため甚大な被害を受け非常に厳しい状況にありました。学校だけでなく、町全体も大きな被害を受けていましたので、「がんばろう市貝」の「市貝」には、市貝中だけでなく市貝町全体への思いも込めています。これに対して後半部を「市貝中」としたのは、新しい市貝中をつくるのは市貝中の生徒以外にはいない、生徒一人一人が自分たちの手で新生市貝中をつくる、という気概をもって学校生活を送ってほしいという強い願いを込めて掲げたものです。
 次に、山前中の「きずこう!山中の新たな歴史」ですが、歴史と伝統のある山前中での生活に満足するのではなく、更に向上する新たな1歩を踏み出してほしいという願いから、次の3つの意味を込めて掲げたものです。
   一つ目は、歴史は一人では築けませんから、「きずこう」には「みんなで」が含まれています。生徒、教職員、保護者、地域が一緒になって山前中の新たな歴史を築くことを願っています。
   二つ目は、 「新たな歴史」といっても、何か特別なことを成し遂げることではありません。先ずは一日一日を大切にすることです。授業を真剣に受ける、大きな声で元気に挨拶をする、掃除をしっかりやる、部活動に一生懸命に取り組む、家庭学習を毎日行う、などの日々の積み重ねが新たな歴史を刻みます。
   三つ目は、過去を振り返ると、山前中には素晴らしい歴史があります。どの生徒も、先輩に負けないよう、一生懸命に努力してほしいことを願っています。

もおかの心で伸びゆく心 
 合い言葉は短く簡潔に表現されていますが、このように思いや願いが凝縮されて込められています。
だからこそ力があり、強いメッセージ性があるのです。
 真岡市にも「もおかの心で伸びゆく子」という合い言葉があります。
   「も」は「もう一歩努力する心」
   「お」は「おもいやりの心」
   「か」は「感じ、かんがえ、学ぼうとする心」
   というものです。これは真岡市小中学校校長会と教頭会で作成していただきました。真岡市の子供たちの実態を踏まえ、健やかな成長を願って掲げられた、価値ある合い言葉です。この合い言葉は、各学校の各教室に掲示してありますので、先生方には大いに発信し活用していただきたいと思います。
   合い言葉は集団を引っ張ります。「もおかの心」が浸透し、日々の教育活動の原動力となることを願っています。

「分かる・できる・定着する」指導を

  教師は毎日授業をしています。しかも、どのようにすれば子どもにとって分かる授業となるか、日々悩み工夫しながら授業をしています。「教師は授業で勝負する」とも言われています。では、こういったことから、教師の仕事は授業をすることなのでしょうか。
   かつて教師になりたての頃、自分の授業づくりに生かせないかと思い、NHK教育テレビの数学講座をよく見たものです。ご存じのとおり、こういった講座は、授業構成のよさや洗練された説明、ポイントを押さえた板書、適切な時間配分などから、分かり易い授業になっています。ここでの講師は、まさに授業をすることが仕事だと言えます。つまり、分かり易い授業をするために、綿密に構想を練り確実に授業を行うことが仕事であって、視聴者である相手ができてもできなくても問題にはしません。
 しかし、学校の教師はそうはいきません。どんなに子どもにとって分かり易い授業を行っても、分かっただけでは済まされないのです。教師は子どもが学習内容を、「分かる→できる→定着する」ところまで見届けなければなりません。なぜなら、教師は子どもに確かな学力を身に付けさせることが仕事だからです。もちろん、そのためには分かる授業は不可欠です。しかし、授業はあくまでも手段であって、授業を通して子どもに確かな学力を身に付けさせることが本分なのです。
  さて、過日発表された全国学力・学習状況調査では、残念ながら本県の結果は芳しくありませんでした。アンケート調査を見ると、授業が「好き」「分かる」と回答した児童は全国平均より高いにもかかわらず、正答率は低いことが分かりました。このことに対して県では、「小学校の授業では特に丁寧に教えているので、その場では分かったつもりになっているのではないか」と答えております。本市においてもその傾向は同様です。
 子どもの学力向上は、どこの学校でも取り組むべき重要課題だと思います。そして、これまで以上にその成果が問われています。そのためには、分かる授業から一歩進んで、「分かる・できる・定着する」指導を心がけていただきたいと思います。

読書の秋 心の贅沢はいかが

  読書は知識を得ることはもちろん、想像力や言語力を培う上でも有効です。それに留まらず、本に親しみ本から受ける影響というのは計り知れないものがあります。体に栄養が必要なように頭や心にも栄養が必要です。そのためにも読書は欠かすことができません。
  本市では読書活動の充実に力を入れています。今年度から専任司書を5人に増員し、市内全小学校に巡回で配置しています。また、各小中学校では朝の一斉読書を行っています。僅かの時間ですが、子供たちは自分の好きな本を用意し、しばし本の世界に浸っています。
  ところで、このとき担任の先生は何をすべきでしょうか。試験監督と同じように、子供の読書の様子を監視することでしょうか。もちろん、読書と全く違ったことをしたり、他に迷惑をかけたりするような子供がいれば、注意しなければなりません。しかし、それが常時ということはないと思います。中には、生活ノートを見たり、家庭学習帳を見たりしている教師もいます。毎日忙しいですから、こういった僅かな時間を利用して、これらのノートを見なければならないのも分かります。ですが、読書の時間は、やはり教師も読書をすべきなのです。なぜなら、子供を読書好きするには、教師自らも読書好きになって、大いに読書のよさを語らなければならないからです。そのためには、本を読むのは当たり前であって、一斉読書の時間に教師が読書をしないで、読書のよさなど語れるはずがないと思います。また、たとえ語ったとしても、子供が受け入れてくれるわけありません。
   北海道大学大学院教授の橋本努氏は、「読書は溺れてみないとその効果は分からない。読書の意味を疑う人は、人生の豊かさを逃してしまうかもしれない」と言っています。教師自らが人生の豊かさを享受する上でも、読書は重要なのです。そのためには、一斉読書の時間はもちろん、寸暇を惜しんで本を読んでみるのもいいものです。
  また、心への栄養は子供だけでなく大人も必要です。現代人の口癖は「忙しい」だそうですが、忙しいとは「心を亡くす」と書きます。教師も忙しく、余裕のない毎日を送っていますので、心を亡くしてしまっては困ります。だからこそ、心の栄養が求められますし、読書がそれを満たしてくれると思います。
  今まさに秋本番、読書の秋を迎えています。10月27日からは秋の読書週間も始まります。秋の夜長、虫の音(ね)を聞きながら好きな本を思いっきり読むという、心の贅沢はいかがでしょうか。

教師の当たり前

 本日、真岡市小中学校校長会があり、冒頭で次のようなことをお話ししました。
       
  教師には、教師としてやるべき当たり前のことがあります。
 例えば、パソコンに向かって仕事をしていて、子供が来てもパソコンから目を離さずに対応する教師がいることは、よく指摘されたことです。
 子供が来れば、子供と向き合うのは教師として当たり前のことです。他にも、教師としての当たり前はたくさんあります。
 ・学級担任ならば、朝は子供より先に教室に行き、子供を迎えるのは当たり前です。
 ・挨拶ができないと嘆く前に、子供より先に教師が挨拶をするのは当たり前です。
 ・授業はチャイムと同時に始め、チャイムと同時に終るのも当たり前です。
 ・子供がいるうちは子供を優先し、仕事は子供が帰ってから行うのも教師としては当たり前のことです。
  これらはほんの一部です。各校長先生が考える教師の当たり前もあると思います。充実の2学期となるよう、是非ともその徹底をお願いします。

正義が支配する学級をつくる

 2学期が始まり、2週間が経ちました。夏休み明けの慌ただしい日々から、少しずつ日常を取り戻す頃かと思います。2学期は全ての教育活動で充実期を迎えますが、その基盤にあるのが学級です。ですが、時としてその学級で、次のようなことが起こっていることがあります。
 例えば、学級委員に適任でないお調子者が選出される、あるいは、良い発言や建設的意見が良い子ぶってるなどの理由で否定されてしまう、さらには、いじめなどのあるまじき行為が起きていても見て見ぬふりをしてしまう、などです。特に、いじめについては重大で、いじめを見た子供が傍観者に化すか、教師に知らせるか、そこが早期発見・早期解決の分かれ目となります。ですから、勇気をもって教師に知らせることができる、正義感のある子供を育てる必要があります。そのためには、「正義が支配する学級」にすることが大切です。
  正義が支配する学級とは、上述のようなことが起きないよう、正しいことや建設的な考えがまかり通る学級のことです。弱い立場の子供が大切にされ、まじめな子供がつぶされない学級のことです。これらはどれも当たり前のことです。しかし、学級では30人前後の子供たちが、毎日何時間も一緒に生活しているのですから、色々なことが起こってしかるべきです。学級担任の適切な指導がなければ、良くないことが起こってもおかしくありません。いじめや学級崩壊等の過去の事例がそれを如実に物語っています。
 怖いのは、集団はある一つの論理に流されやすいということです。したがって、その論理を正義に変えられるかどうかが学級担任の役目となります。そのためには、少なくとも次のようなことを意図的・継続的に行っていくことが大切です。
 ① 一人一人の子供を大切にし、よさを生かす。
 ② よい行為を認め、大いに賞賛する。
 ③ 目標を決め、その実現に向けてみんなで努力する。
 ④ リーダーを選出し、意図的・計画的に育てる。
 ⑤ 教師自身が常に正義を意識し、自身の言動にも気を配る。
  特に、子供は教師をよく見てます。日々の心掛け次第で学級は担任の色に変わります。
 どの学校においても、充実した実り多い2学期となることをご期待申し上げます。

夏休み明けは要注意!

  42日間の夏休みもあと僅かとなりました。夏休み中であっても、学級・学年や部活動等での適切な指導のお陰で、子供の命に関わるような交通事故や水難事故等もなく、無事に夏休みが終了できますことに感謝申し上げます。
   さて、もうすぐ2学期が始まります。授業等の通常の学校生活が開始されることになります。とはいいましても、子供の気持ちは夏休みが始まるときとは打って変わって、何となく重いというのが本音ではないでしょうか。我々大人であっても、長期休業後の出勤となると気持ちは重いものです。ましてや子供は、宿題の提出があったり授業が再開されたりと、子供にとっては負担を感じるものが多々あります。もちろん、それを乗り越えていくことが大切なのですが、中には正論だけでは通らない子供もいます。不登校がまさにそれであって、長期休業後は要注意です。さらにそれだけではありません。
 昨年のこの時期に、内閣府の分析から、子供の自殺が最も多いのは夏休み明けの9月1日であることが明らかになりました。そして、これが報じられた1週間後の朝、群馬県沼田市の中学生が電車に飛び込み自殺しています。その日はこの学校の始業式だったそうです。不幸にも統計上の危機が現実となってしまいました。
   子供にとっての危機は至るところにあります。たとえ「自殺」であっても決して対岸の火事ではありません。思春期の子供は、傷つきやすくガラス細工のような脆い一面を持っています。特に、子供の深層心理は複雑で、大人には理解しがたいところがあります。だからこそ、教師はその兆候を見逃さず適切に対応することが求められるのです。しかし、いじめによる自殺にみるように、子供がSOSを発信し続けているにもかかわらず、それを察知できないことがあるのです。教師の危機意識の甘さを感じざるを得ません。
  明日では手遅れになる場合があります。なんらかのSOSを発信し、助けを待っている子供が目の前にいるかもしれません。学校では、そういった子供をいち早く発見し適切な対応をしなければなりません。夏休み明けこそ、教師の教育的敏感さが最大限に要求されますので、各学校での対応をよろしくお願いします。

子供との「つながり」が生命線

 夏休みも中盤になりました。現在のところ各学校におきましては、これといった大きな事件・事故等もなく、無事に夏休みの中盤を迎えられていることに感謝申し上げます。
 おそらく夏休みであっても、三者面談や家庭訪問を行っている学校がたくさんあると思います。また、定期的に子供たちに電話をかけたり、暑中見舞いを書いたりしている先生もいることと思います。そういった先生方の努力で、夏休みでも子供たちとの「つながり」が維持され、特別な問題等も起きていないのだと思われます。
  以前新聞に、いじめと不登校を乗り越えて、都内で開催される絵の公募展に出展するという、女性の方の記事が掲載されていました。
 その方は、中学生の時にいじめにあって不登校となり、高校への進学を諦めてしまいました。特に、対人恐怖症や摂食障害になった時期もあり、そのときは生きるのが辛くて死ぬことも考えたそうです。しかし、残る家族のことを思うと死ぬことはできなかった、と当時の心境を述懐しています。自ら命を絶つことを留まらせた最大の要因は、家族との「つながり」だったのです。
 こういった一線を越える行為を抑止するのは、やはり家族と固くつながっていることなのですね。
 この例に限らず、誰かとつながっていることが人の行為に少なからず影響を及ぼします。夏休み中の子供たちであれば、教師の存在は無視できません。学習や生活、更には問題行動等、教師との「つながり」が子供たちの生活を左右します。特に長期休業中は、顔を合わせる機会が少なくなりますので、教師と子供との「つながり」が生命線になります。したがって、先生方におかれましては、大変でも引き続き、子供との「つながり」が保てるよう、よろしくお願いします。

「節目」での指導大丈夫ですか。


 1学期もあと僅かとなりました。学校では通知表もほぼ完成し、終業式を迎えるばかりのことと思います。ところで、学級担任の先生は、通知表を子供たちに渡した後、どのような話をして夏休みに入るのでしょうか。そして、子供たちはどう受け止めるのでしょうか。
  毎年夏休みに入ると、子供の事故が発生し、尊い命が失われています。終業式の日にはどの担任も、夏休みには交通事故や水難事故等に遭わないよう注意し、全員元気で2学期が迎えられるよう話しているはずです。なのに、子供の事故は後を絶ちません。事故の話に限らず、学習指導や生活指導等、「節目」となる終業式での担任の話は極めて重要です。
  かつて2学期制が競って導入されていた時期、子供たちが通知表をもらわずに夏休みに入ってしまう「節目」のなさに、いささかの不安を感じていた教師もいたことをご存じでしょうか。通知表は、1学期の子供の努力の足跡を教師が評価し、心を込めて書いたものです。担任はそれを子供たち一人一人に渡し、夏休み中の学習や生活等の有り様(よう)を話します。そこには、1学期の終了と夏休みを迎え、通知表を挟んだ絶好の「節目」の指導があったのです。それができない危機意識が働いていたのです。
 学期だけではなく、子供たちの生活の中には様々な「節目」があります。週や月の「節目」での指導は、平坦に流れがちな子供たちの生活にメリハリを与え、ほどよい緊張感を持たせることができます。その重要性を認識し、毎回子供たちの状況を見て、適切な指導を心がけている教師とそうでない教師では、学級経営に格段の差が出てきてしまいます。
 夏休み中にも大きな「節目」があります。中学校の運動部の生徒は、夏休みの総合体育大会が終了した時点で部活動に終止符を打ち、進路に向けた勉強に本腰を入れることになります。中学校生活を二分するこの「節目」のときに、部活動顧問からの指導は意欲を喚起し相当の効果があります。中学校の部活動顧問は、技術指導だけではなく、生徒指導はもちろんのこと、学習指導や進路指導等、部員の将来を見据えた指導まで要求されるのです。
  他にも、季節や行事の始めと終わり等々、大切な「節目」での指導があります。それらは大丈夫でしょうか。特に現在、新採や若い担任が増えています。今一度、その重要性を確認していただき、どの教師もしっかりとした「節目」での指導をお願いします。

 

信頼される教師

 6月30日(木)に、真岡市教育会と教頭会の合同研修会があり、先生方に話をする機会をいただきました。教職員の大量退職・大量採用の時代に入っている本地区においては、若い教職員を育てることが重要な課題となっています。そこで、平成22年9月発行の「芳広教委だより」巻頭言で酒井前教育長が書かれた「『信頼される教師』再考」をお借りして、4つの求められる教師像をお話ししました。信頼される教師となるための条件でもありますので、ここでそれらを紹介します。
 
 先ず第一に、授業力のある教師です。つまり、どの子どもにも「分かる授業」ができる教師ということです。子どもは誰でも、能力の差こそあれ、授業が分かり、できるようになりたいと思っています。それに応え分かる授業を行うことが、教師としての役目であり責任でもあります。ですから、教材研究を怠り授業がマンネリ化すれば、教師の信頼が落ちるのは間違いありません。
 子どもの学習意欲を喚起し、子どもが主体的に学習に取り組み、一人一人が「なるほど、分かった」と実感できる授業を常に心がける教師でありたいものです。
 第二に、子どもを理解し認めることができる教師です。子どもは誰でも、多かれ少なかれ教師に認めてもらいたいと思っています。しかし、この欲求が意外に厄介です。子どもによっては自分の気持ちを素直に表現できず、大人から見れば不自然な言動をとることがあります。
 例えば、学級で教師を遠巻きに見ていて無視しているような子どもでも、実は声をかけてもらいたいと思っているのです。 子どもの深層心理は複雑で、時として理解し難いことがあります。しかし、子どもは正直でもあります。「私を見てほしい、よさを認めてほしい」と内なるサインを発していますので、それを見逃さない敏感さが教師には必要です。子どものよさをつぶさに見取り認めてあげられるよう、子ども理解に努めてほしいと思います。
   第三に、教育への情熱がある教師です。子どもに愛情を注ぎ、童心を失わず教育愛に燃えているということです。情熱のある教師は、いくつになっても魅力的で生き生きしています。その姿が子どもを引き付けます。
 昨今、教師の多忙化が問題になっていますが、教育への情熱を持ち続け、子どもと一緒に考え、悩み、共に成長できる教師であってほしいと願っています
  第四に、人間性が豊かな教師です。子どもは教師を一人の人間としても見ています。そのため、教師の人間性が子どもの生涯に影響を及ぼすこともしばしばあります。
 教師の言動はもちろんのこと、見方や考え方、生き方までも、子どもは教師をよく見ています。だからこそ、その見方は厳しいときもあるということを忘れてはいけません。一瞬にして信頼を失うことがありますので、子どもの鋭い見方に耐え得るよう、教師の内なる資源を磨いてほしいと思います。
 

ワンフレーズとストーリー


 6月23日(木)に第3回真岡市小中学校校長会がありました。私は、いくらかでも校長先生方にお役に立てればと思い、毎月教育長室だよりを作成し、校長会の折に配布しております。今回の巻頭言では、私が校長のときに心がけていた次のことを書きましたのでご紹介します。
 
「ワンフレーズ」と「ストーリー」で勝負
 前回、「校長の言葉は学校組織を動かす」ということについて述べましたが、そこで重要になるのが「ワンフレーズ」と「ストーリー」です。
  小泉純一郎元首相は、まさにそのワンフレーズで人を引きつけ、強いリーダーシップを発揮した指導者と言えます。例えば、かつて怪我を抱えながらも気力で優勝した貴乃花関に、「痛みに耐えてよく頑張った。感動した!」と讃えた言葉は有名で、今でも多くの人に知られていると思います。また、国の施策等を表した「構造改革なくして成長なし」や 「郵政民営化が改革の本丸だ」などの簡潔明瞭な言葉は、自身の考えを国民に分かりやすく伝え、見事に国民の心を掴みました。
 このように、自分の考えや主張を凝縮しワンフレーズで表すことができると、分かりやすくインパクトもありますので効果的です。校長先生がメッセージを発信する際にも、ワンフレーズでうまく表現できると、確実に伝わり記憶にも残るでしょう。と言いましても、なかなか端的に表現するのは難しく、容易ではありません。ですが、先ずは実践。よく考え、言葉を吟味・精選し、ワンフレーズで表すことを心がけてみてはいかがでしょうか。
  一方で、ワンフレーズだけで全てが伝わるということではありません。そこで、ストーリーが大切になります。
 平井孝志・古田興司著『組織力を高める』では、「ある事柄が、自分との関連性が強く、連想が広がり、そしてそれがストーリー性をもって伝えられたとき、それは心の奥に大きなインパクトを与えることになる」とあります。そして、「組織内でのコミュニケーションにストーリー性をもたせるということは、指示や説明を行う際に、前後の文脈をしっかりと語ることだ」とも言っています。つまり、単なる事実の羅列ではなく、それらが一つのスト-リーとして伝えられたとき、人は共感し心を動かすのです。そして同時に、組織も動くのです。ですから、校長先生がリーダーシップを発揮するときには、ストーリーを無視することはできず、根拠を示したり、論理的なつながりを重視したりして、職員に納得が得られるよう、自身の考えや思いを発信してほしいと思います。
   
 

 
 

元気なあいさつ 明るい応答


 去る6月13日(月)の議会一般質問で、大瀧和弘議員から、「元気なあいさつ 明るい応答」について質問がありました。
  この言葉は、私が昨年勤務した山前中学校の卒業記念碑に刻まれた言葉で、あいさつ運動の合い言葉として使わせていただいたものです。昨年5月の学校だよりでは、次のように家庭にも呼びかけましたので、ここでご紹介します。

   皆さんは、本校の正門西脇に「元気なあいさつ 明るい応答」と刻まれた碑があるのをご存じでしょうか。これは遡(さかのぼ)ること今から38年前、昭和52年度の卒業記念碑なのです。当時から本校では、あいさつの励行に力を入れて、学校全体で取り組んでいたことがうかがわれます。
 あいさつは、漢字で「挨拶」と書きます。この「挨」という漢字には「心を開く」という意味があります。また、「拶」という漢字には「迫る」という意味があります。つまり、「挨拶」という漢字は「心を開いて迫っていく」という意味を持っているのです。だから、好ましい人間関係を築く第1歩はあいさつからといえます。見知らぬ人からでもあいさつをされますと、何となく気分が良くなるのはこのためなのでしょう。「元気なあいさつ 明るい応答」の碑
 さて本校では、当時の先輩方が残してくれたこの記念碑の精神を受け継ぎ、誰もが元気なあいさつができるよう、学校全体で取り組んでいます。「元気なあいさつ 明るい応答」を合い言葉に、いつでも、どこでも、誰とでも、元気なあいさつができるよう呼びかけています。そして、更にあいさつ日本一の学校を目指したいと思っています。そのためには、保護者の皆様のご協力が欠かせません。
 そこで確認です。朝起きたとき「おはよう」とお子さんに笑顔であいさつができているでしょうか。また、帰宅したときの「おかえりなさい」はいかがでしょうか。一日のスタートを気持ちよいあいさつで始めたいものです。また、疲れて帰ったときの「おかえりなさい」の一言は何よりも嬉しいものです。お子さんにとっても、保護者の皆様にとっても、あいさつは元気の源となりますので、ご家庭でも「元気なあいさつ 明るい応答」を合い言葉に、あいさつの励行にご協力をお願いします。
                 山前中学校 学校だより「山前中は今」5月号より          

子供にとって楽しい学校にするために

 来週から3年に1度の合同訪問が始まります。かつて、合同訪問の折には、「子供にとって楽しい学校にするために」ということで、次のような話をしました。(合同訪問は、教育事務所や市教委等が学校経営や教育課程等を支援するため、学校を訪問することです)

 いうまでもありませんが、学校は子供のためにあります。ですから、学校は子供にとって楽しくなければなりません。しかし、「楽しい」といっても、単に楽しいという意味の「愉快」や、欲求が満たされたとき楽しい「快楽」という意味ではありません。そこで私は、子供にとって楽しい学校にするためには、特に次のことが重要と考えております。
 まず第一に、「わかる授業」です。学校は勉強するところですから、子供は勉強がわかってはじめて学校の楽しさを感じると思います。そのためには、なんと言ってもわかる授業が不可欠です。しかし、この「わかる」というのは、子供にとってわかるということで、そう簡単ではありません。
 例えば、子供はどのようなときにわかるのでしょうか。教師の説明と実際に体験したときでは、どちらが子供にとってわかりやすいのでしょうか。あるいは、子供にとってわかる教材とは、子供にとってわかる板書とは、子供にとってわかるワークシートとは、などなど、教師は子供にとって「わかる」ということを追究してほしいと思います。
 そのためには、授業研究が大切です。校内授業研究会等により互いに授業を公開し、授業について話し合い、子供にとってわかる授業を追究してほしいと思います。
 次に第二として、「居(い)がいのある学級」づくりです。学校生活の中心は学級です。子供は就寝時間を除くと、家庭で過ごす時間より長く学級で過ごしています。ですから、その学級が居心地が悪ければ楽しくなるわけがありません。したがって、一人一人が認められ大切にされる、子供にとって居がいのある学級づくりに努めていただきたいと思います。
 そして第三として、「子供を生かす教育活動」です。一人一人の子供にはよさがあります。そのよさを認め、引き出し、伸ばすことが教育であり学校の役目です。学校のあらゆる教育活動はそのためのものです。つまり、各教育活動は、子供のよさが発揮され向上することを目的に実施され、教師はそのために適切な指導・支援をしなければならないのです。それが子供を生かす教育活動であり、積極的に取り組んでいただきたいと思います。

 これは、私の基本となる学校観ですので、今年度の合同訪問の際にもお話ししたいと思っています。

校長の言葉は学校組織を動かす

 5月18日(水)に第2回真岡市小中学校校長会がありました。その折りに、次のことをお話ししました。
 
 
 

 「校長は講話で勝負する」と言われますように、校長先生は、児童生徒や教職員、保護者、地域の方々の前で話す機会がたくさんあります。そのため、自分の思いや考えを分かりやすく簡潔に伝えることが何よりも大切になります。しかしながら、これがそう簡単ではなく、同じことを話しても、話す人によって大分印象が違ってしまいます。
  その違いは何でしょうか。話の構成や話し方の抑揚・強弱、話し手の表情等、いくつかの要因はありますが、とりわけ一つ一つの「言葉」は大きく影響します。
 昔から言葉には霊的な力が宿ると言われており、言霊(ことだま)とも呼ばれています。つまり言葉には力があるのです。特に、リーダーにとっての言葉は極めて重要になります。かつての名だたるリーダーをみれば分かりますように、彼らは人を引きつける言葉をもっていました。また、人を動かし、人を引っ張る言葉をもっていたと思います。もちろん、校長先生は学校のトップリーダーですから、校長先生が発する言葉の意味は大きく、「校長の言葉は学校組織を動かす」と言えます。
 「校長先生の仕事は・・・」と言えば、先ずは「考えること」です。「校長室が広いのは、校長が考える場所だから」と森隆夫氏は言っていますが、校長室に限らず、校長先生はいつでもどこでも学校のことを考えています。学校の最高責任者として、児童生徒のこと、教職員のこと、保護者や地域のこと等々、学校内外のあらゆることを常に考えています。
 そして、その考えを確実に伝え人を動かすことが校長先生の仕事です。そのためには発信力が必要であって、言葉が大きな意味をもちます。話し言葉であっても書き言葉であっても、言葉には、その人の品性や識見の高さ、人間性までもが如実に表れます。特に、教職員に対する校長先生の一つ一つの言葉が、信頼と尊敬を集めると言っても過言ではありません。そして、それによってはじめて学校組織が円滑に機能するのです。
  教職員に何をどのように伝えるか、校長先生の言葉が学校組織を動かします。したがって、校長先生は言葉にこだわり、言葉に一層の磨きをかけてほしいと思います。