日誌

田上教育長日誌

交通事故は自ら注意しないと防げない

 立春が過ぎて、春の息吹が感じられる時節になって参りました。学校では年度末の卒業式や修了式を控え、1年間の学校運営の最終段階に入ります。そこでこれからの時期、特に注意しなければならないのは子供の事故です。
 消費者庁の調べによれば、公園や学校、商業施設などにある遊具での子供の事故は、三月から五月に増える傾向があるといいます。子供の事故は、暖かくなるこれからの時期に発生しやすくなる、ということを知っておかなければなりません。
 また、中学校では、進路が決定した3年生は緊張感から解放されます。1・2年生にあっては、部活動もこれといった大会等がなく目標が見えない時期であり、学年末テストが終わると、それ以上に緊張感がなくなると思われます。それに相まって春の陽気も手伝い、子供だけでなく大人も気が緩みがちになるのがこれからの時期です。ですから、たとえ自らの過失がなかったとしても思わぬ事故に遭う危険性があります。
 3年前に某市で発生した交通事故がまさにそれでした。その事故は、卒業式を1週間後に控えた3月1日の放課後に起きました。市内の中学3年生が信号機のある交差点を自転車で横断中、左折するタンクローリーに巻き込まれてしまいました。生徒は頭を強く打ち、間もなく死亡するという痛ましい事故となってしまいました。
 事故の原因は、ドライバーが横断中の生徒に気付かなかったことのようですが、この事故に限らず、横断中の歩行者等を巻き込む事故は幾つも発生しています。日常的に運転しているドライバーであれば、信号機のある交差点で右左折する際に、横断中の歩行者等に気付くのが遅れ、ハッとした経験は1度や2度はあることでしょう。ましてや、春が近付きつつあるこれから時期です。危険度は増してしかるべきです。
 交通事故は、いつ、どのような形で起こるか分かりません。たとえ交通ルールを守っていても事故に遭う危険性はあるのです。事故防止には、信号無視等の違反行為や飛び出し禁止だけでなく、このことも子供たちに十分認識させておく必要があります。
  特に、信号が青だからといって全く左右を確認せず横断する自転車を見かけますが、危険です。最近起きた生徒の自転車事故の中にも、青信号で横断中に車と接触している事故が散見します。もちろん、いずれも車側の過失なのですが、自転車側で左右確認していれば防げた事故でもあります。
 改めて、交通事故は自ら注意しなければ防げません。特に信号機のある交差点では正しく横断していても事故に遭う危険性がありますので、横断する際は信号が青になっても、もう一度左右確認する危機意識を子供たちに持たせてほしいと思います。

「授業改善」ではなく「授業改革」

 新年あけましておめでとうございます。平成31年がスタートしました。今年は亥年です。「亥」は十二支の中で最後の年です。偶然にも「平成」も最後となります。「終わりよければすべしよし」となるよう、先ずは元号が変わる5月までを有終の美で飾りたいものです。そして新元号の下、新たな時代の幕開けに相応しい飛躍の年にしたいと思っています。

2019干支

 そこで、今年はICT機器を活用した授業づくりに、本腰を入れて取り組んで行きたいと思います。
 本市では昨年末までに、市内小中学校全ての普通教室、特別支援教室、理科室に65インチのモニター一体型電子黒板を完備しました。今年から来年にかけてタブレットやデジタル教科書等も配備し、ICT教育のための学習環境を整えていきます。
 現在、真岡東小学校と真岡西中学校がICT導入モデル校として、これらの機器を活用した授業づくりに取り組んでおります。早速、昨年10月17日(水)には石坂市長をはじめ市教委で、12月13日(木)には市議会でモデル校を訪問し、授業を参観しました。どの授業もICT機器の活用が図られ、子供たちも意欲的で能動的な授業が展開されていました。
 中でも、私が見たグループ活動の授業では、タブレットと電子黒板が効果的に働いていました。その授業では、教師がワークシート等の電子データを各グループのタブレットに配信し、一斉に指示しました。グループでの話し合いでは、その内容をタブレットに整理すると、各グループの状況が電子黒板に映し出され一目瞭然となります。教師はそれを基に指導・助言していました。また、発表はタブレットと電子黒板を使って行っていました。発表者が追加の書き込みもできますし、教師が電子黒板に直接書き込みもできます。
 この授業を見たのは10月17日(水)です。タブレットや電子黒板を配備してから2か月も経ってないときの授業ですから、機器の機能のほんの一部を活用したに過ぎないでしょう。にもかかわらず、従来では考えられなかったような授業が展開できるのです。ICT機器には多種多様な機能が備わっています。活用次第で相当効果的な授業ができます。
  これは「授業改善」というよりは「授業改革」だと思います。「改善」はより良く改めることで、現状の延長線上で方法や手続きを変えることです。これに対して、「改革」は改め変化させることで、将来志向から考え方を変革することです。(日本能力協会「知恵ぶくろ・べからず集」より)
 昨年6月のICT機器導入の際には、これからの国の教育環境整備の動向を見据え、「デジタルが主でアナログは従」という発想の転換の必要性を強調しました。それはまさに「将来志向から考え方を変革すること」であって、授業づくりにおいては、「授業改善」ではなく「授業改革」を進めていかなければならないと考えております。


 

当たり前のことができないから問題を起こすのです

 もう大分前のことですが、こんなことがありました。
 ある担任が不登校気味の生徒を職員室に連れてきて、「なぜ約束を破ったんだ。今日は学校に来ると約束したじゃないか」と、少し声を荒げて指導していました。生徒は何も言えず、黙ってうつむいていました。おそらく、担任はこの生徒と、今日登校することを約束していたのでしょう。しかし、いつまで待っても登校しなかったため、しびれを切らし家まで行って生徒を連れてきたのです。
 その様子を、職員室の片隅で校長が見ていました。生徒が教室に戻った後、校長はその担任に、「約束を守れるような生徒は不登校にはならないよ」と、ぼそっと言いました。
 それが耳に入った瞬間、私は「はっ」としました。不登校の初期の段階の子供に、登校を促す指導の一環として、登校する日を約束させるという方法はよく行われています。私も何度か同じような指導をしたことがあります。約束を破られたことももちろんあります。ですが、校長が言われたように「約束を守れるような生徒は不登校にはならない」という認識は全くありませんでした。
 そうなのです。不登校のみならず、問題を起こすような子供は、当たり前のことができないから問題を起こすのです。子供の行為は生活環境が大きく影響していますし、その生活環境はそれぞれ違います。子供には選択の余地はなく、不幸にも劣悪な環境に身を置かざるを得なかった子供もいるでしょう。そういった子供はむしろ犠牲者と言えます。そう思えば、問題行動を繰り返す子供であっても、寛容さも生まれますし、根気強く対応することもできます。児童・生徒指導の幅も広がるというものです。このときから、問題を起こす子供に対する見方が180度変わったことを覚えています。
 学校では現在、不登校をはじめ、いじめや暴力行為等さまざまな児童・生徒指導上の問題が発生しています。こういった問題行動は一朝一夕には解決が難しく、教師の中には、繰り返し指導してもなかなか効果が出ないことに焦りを感じている者もいるかもしれません。それどころか、問題行動の改善を急ぐ余り、感情的に指導してしまい、問題をより大きくしてしまったなどというケースも散見します。
 そうならないためにも、問題を起こす子供は「当たり前のことができないから問題を起こす」という認識に立って指導してほしいと思います。そうすれば焦りも緩和できるでしょうし、何よりも寛容な気持ちで根気強く指導することができます。児童・生徒指導には根気強さが何より大切ですから、是非ともこのことは忘れないでいただきたいと思います。

教師は子供に夢を与える職業 それを忘れないでほしい

                               

  かつては「聖職」とまでいわれた教師の仕事ですが、現在はその「ブラック化」が大きな問題になっています。こうした状況の中で、子供たちは教師という職業をどのように見ているのでしょうか。
 (株)クラレが小学校6年生を対象として毎年行っている、将来就きたい職業を尋ねたアンケートの今年度の結果が新聞等で報じられています。(アンケートは今年の1月から3月、ランドセルをアフガニスタンに寄付する活動に協力した子供たちを対象に実施)
 それを見ると、教師は男女とも3位にランクされ、将来就きたい職業の上位にあることが分かります。男の子を見ると、スポーツ選手、エンジニアに次いで教師が入っています。女の子では、医師、看護師に次いで教師が入っています。因みに、昨年度の女の子のトップは、医師を押さえて教師でした。 
 この結果を見る限り、子供たちは教師という職業を将来就きたい憧れの職業と見ているようです。
  そういえば、管理訪問の初任者との面談で、「どうして教師になったのですか」と尋ねると、「当時の担任や部活動の先生に憧れて」と答える初任者が多いことを思い出します。
 初任者だけではありません。手元に、ある学校の広報だよりがあります。その中に「どうして先生になったのですか」という質問に対する教師の答えが掲載されています。17名中6名の教師が「当時の担任や部活動の先生に憧れて」と答えています。現職の教師の多くが、当時の先生の影響を受けて教師の道を志したのではないでしょうか。
  教師という職業は、いつの時代も子供が憧れる職業、子供にそういった夢を与える職業なのです。にもかかわらず、わいせつや体罰等の教師の不祥事は後を絶たず、つい先日も本県の中学教師が酒気帯び運転で逮捕されるという事案が発生しています。表沙汰にならないまでも、教師の不用意な言動により、子供が傷付き信頼を失うという場面は多々見られます。社会的風潮としても、学校バッシング、教師バッシングがはびこっている現状があります。とはいえ、子供たちは教師を憧れの職業と見ているのです。このことは教師として絶対に忘れてはいけません。教師は子供に夢を与える職業なのです。それを忘れずに、自信と誇りをもって教師の仕事に打ち込んでもらいたいと思います。

子供の心に寄り添う教師が求められているのですが・・・

 9月2日付け下野新聞『日曜論壇』に掲載された、獨協医大公衆衛生学教授小橋元(げん)氏の「心に寄り添い救う社会に」を読んで感銘を受けました。
 小橋氏は、学生時代に多くの治らない患者と接したことから、病気になる前の予防を考えるようになったといいます。そして、臨床の場で病気の予防ができるのは、産科の妊婦検診と母親教室と気付き、産婦人科医になることを決心します。しかし、自分が男である以上、産婦人科を受診する女性の気持ちは分からないことを知り、愕然とします。そこで氏は、少しでも女性の気持ちを分かろうとして自ら試みたことを次のように書いています。

 私は、夜中の誰もいない分娩室で分娩台に上がってみたことがある(もちろん下着も取って)。また、初めて働く病院では、いつも朝早く病院の正面玄関から受付を通って外来へ行き、待合室のベンチに腰掛けてみることが習慣だった。たとえば外来で昨晩からの腹痛で来院した患者さんに会ったとき、「昨晩からどんな気持ちで過ごして、今朝はどんな気持ちでどんな景色を見ながらこの外来に訪れたのだろう」と具体的にイメージしながら診察をする。患者さんと同じ境遇にはなれないが 「患者さんの心に寄り添おうとす」る気持ちが、患者さんの不安を和らげ、患者さんを救うと信じていた。

 体験しなければ分からないことがあります。と言っても、絶対に体験できないこともあります。その最たるものが男性が妊婦になることでしょう。しかし小橋氏は、自ら分娩台に、しかも下着を取ってまでして乗るなど、患者と同じ状況に自らを置くことを試みます。もちろんそれで、患者の気持ちが理解できるということではありませんが、そうすることが「患者の心に寄り添う」気持ちの表れで、それがあるからこそ患者の不安を和らげ救うことができるというのです。なんとすばらしいことでしょう。医者の鑑と言えます。
 翻って、教師も今ほど子供に寄り添う指導が求められているときはないでしょう。しかも、小橋氏とは違って、どの教師も子供時代があって学校生活を経験しているのですから、子供の境遇が分かるはずです。にもかかわらず、教師になった途端に子供の立場を忘れ、「指導」という美名の下、多少難しいことでも一律に子供に強いる教師がいます。
 かつてのように「子供の共通性を前提とする学校」であればそれでも通ったかもしれませんが、今や学校は、「子供の多様性に応答する学校」への転換が求められているのです。だからこそ、子供の心に寄り添う教師であってほしいと思っています。