日誌

田上教育長日誌

リーダーは節目での言葉が大切です!

 平成29年「教育の質を高める」
 平成30年「ふるさと真岡を愛し、世界で活躍する真岡っ子の育成」
 平成31年「[授業改善]ではなく[授業改革]」
 令和2年「県内トップレベルの教育環境で県内トップレベルの学力を目指す」
 令和3年「感染防止の徹底と教育の質の保障」
 令和4年「ICT教育第2ステージ 日々の授業の質を高める」

 これらは教育長に就任して以来、毎年発信してきた年頭所感のタイトルです。年頭所感は毎年元旦の10時にホームページ上で公表し、1月の校長会でも発表しています。
 「1年の計は元旦にあり」と言われますが、1年のうちで最も大切な節目に当たる元旦に、新年の抱負や目標を広く公表することは、教育長として果たすべき責任と考えています。ですから、年頭所感で何を述べるかは非常に重要で、その年あるいはこれからの本市学校教育の目指すべき姿を想定し、熟慮に熟慮を重ねて公表する原稿を整えました。とりわけ、その中身をひと言で表すタイトルにはこだわり、1年間を貫き色褪(あ)せない「節目の言葉」として相応しい言葉を精選しました。
 元旦に限らず、私達の日常や学校生活には様々な「節目」があります。そういった節目におけるリーダーの言葉は極めて大切と考えています。なぜなら、節目は私達に気持ちの切り替えを促し、そこで発せられたリーダーの言葉は少なからず影響を及ぼすからです。
 例えば、学校であれば、週や月の節目での校長先生の言葉は、平坦に流れがちな業務にメリハリを与え、ほどよい緊張感を持たせます。季節や行事の始めと終わり等も学校にとっては大切な節目になります。ですから、そこでの校長先生の的を射た言葉は職員の意識を変え、必ずや何かしらの成果をもたらすと確信しています。
 3月に入り、いよいよ学校にとっては大きな節目となる年度末を迎えます。学校行事の中で最も厳粛な卒業式もありますので、全校体制で巣立っていく卒業生を祝いたいものです。また、修了式、年度末の事務処理、更には人事異動があります。新年度、好スタートを切るためにも、年度末に起こりがちな気の緩みを引き締め、しっかりと締めくくる校長先生の言葉が必要です。特に、どの学校でも若い教職員が増えていますので、彼ら彼女らの心に響く熱いメッセージとなる言葉も忘れないでください。
 再度申しますが、リーダーは節目での言葉が大切です。その重要性を確認していただき、年度末、全ての教職員に届く節目での言葉をご用意願います。

ICT教育第2ステージ 日々の授業の質を高める

 新年明けましておめでとうございます。令和4年がスタートしました。2022寅
 今年は寅(とら)年です。虎は1日に千里を往復できると言われることから、勢い盛んなさまを表す象徴でもあります。虎にあやかり、先が見通せないコロナ禍に漂う閉塞感を打ち破るような、勢い盛んな年になることを切に願っております。
    さて、本市で平成30年度から取り組んでいますICT教育も今年で5年目を迎えます。これまでの4年間では、市内全ての小中学校に65インチのモニター一体型電子黒板を完備したり、児童生徒に1人1台のタブレットを配布し、高速・大容量通信ネットワークを整備したり、教員へのタブレット配布に併せてデジタル教科書を導入したりして、ICT教育の学習環境を整えてきました。
 また、ICT教育の推進を図るため、平成30年度と令和元年度の2年間、真岡東小学校と真岡西中学校をICT導入モデル校として指定し、学校と市教委が一体となってICT機器を活用した授業づくりを進めてきました。そこで公開された授業を基に作成した授業実践事例集は、各学校で活用されています。その後、この2校はICT教育推進校として、その他の学校は年度毎にICT教育重点校に指定し、積極的にICT器機を活用した授業づくりに取り組んで頂いています。
 国の教育環境整備の動向を見据えると、これからの授業はICT機器の活用が絶対的なものと考えられます。そのためこの4年間は、全ての教員に、電子黒板やタブレットを使ったデジタルな授業が主で、黒板とチョークのアナログな授業は従という発想で、ICT機器の積極的な活用に努めて頂きました。
 これによって、どの学校でもICT機器が日常的に活用されるようになってきました。となれば、いよいよこれからが授業の質を高めるために本腰を入れて取り組む段階となります。教育課程も新学習指導要領の全面実施(小学校は令和2年度、中学校は令和3年度から)により切り替わり、それに基づいた教育活動が展開されています。特に授業においては、主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業づくりが強く求められています。ICT機器もその実現のために効果的に活用しなければなりません。
 そこで、令和4年の年頭に当たり、今年から「ICT教育第2ステージ」を掲げ、日々の授業の質を高めるための効果的なICT機器の活用を、学校と市教委が一体となって取り組んでいきたいと考えています。

授業力を高めるため、学ぶ機会の提供を

   11月18日(木)に大内中学校で開催された特別活動研修会では授業が公開され、芳賀管内から多くの先生方が参加されました。また、市内5地区に指定しているICT教育重点校においても、11月から12月にかけて研究授業が行われ、公開されました。
 このような授業公開の場は授業者はもちろんのこと、参観者にとっても授業力を高める絶好の機会となっています。しかし、残念ながら今年は、新型コロナウイルス感染症の影響で、本来なら2学期にたくさん開催される研究発表会がほとんどなく、教師が授業を見て学ぶ機会が少なくなってしまいました。
    言うまでもありませんが、教師の仕事の中心は授業です。そのため教師は、より良い授業を目指して教材研究や指導法の研究等、日々努力しています。教師は反省的実践家と言われ、学んだことを実践し、省察して再び実践し改善するという繰り返しが教師の生命線となります。だからこそ大切になるのが、教師の学ぶ機会の確保です。
 教育公務員特例法を持ち出すまでもなく、教師は絶えず研究と修養に努めなければならず(第21条第1項)、また、教師には研修を受ける機会が与えられなければなりません(第22条第1項)。では、その教師はどんな研修を望んでいるのでしょうか。
 市教委が今年8月に行った教職員に対するアンケート調査では、「どのような内容の研修を受講したいか」の問いに、51.4%の教師が「教科指導」と答え、最も高いことが分かりました。また、初任から教職10年目までの若手教員は、「日々の業務でどのようなことに課題を感じているか」との問いに対し、「教科指導の技術」と答えた割合が63.6%で最も高く、若手の教員は教科指導に課題を抱えていることも分かりました。
    コロナ禍で研修会や研究発表会が開催されなくなり、アンケートで求められている授業について学ぶ機会が減少していることが危惧されます。授業力を向上させるには自ら実践するのみならず、他の教師の授業を見て学ぶことも欠かせません。特に若い教師は、教科指導の技術に課題を感じています。このような実践的課題の解決には、実際の授業を見て学び、学んだことを自分の授業で実践して身に付ける以外にありません。ですが、実際は研究授業等の特別な機会がないかぎり、他の教師の授業を見ることは難しいのが現状です。
 2学期もあと僅かで終了します。教師の欲している学びや解決しなければならない課題が明らかになった今、教師の授業力向上のため、短い3学期ではありますが、教師に学ぶ機会の提供をお願いします。

学習者の能力を伸ばす教師とは・・・

  医者と教師はどちらも「先生」と呼ばれ、人を相手にした専門職として免許が必要なことから、似ている職業とされてきました。確かに、医者の行う「治療」は、患者を病気や怪我から回復させることであり、教師の行う「指導」は、児童生徒を望ましい姿に変容させることですから、どちらもマイナスの状態を0の状態へ戻すという点では似ています。 
    しかしながら、治療と指導には根本的な違いがあります。それは、治療は0の状態に戻ればそれ以上する必要はなく、ましてやプラスの状態を扱うことなどありません。これに対して指導は、0あるいはプラスの状態をそれ以上に引き上げることが求められます。むしろこちらの役割の方が重要で、「子供の能力やよさを看取り引き出し伸ばす」という教師の指導は、教育には欠かすことができません。
  「発達の最近接領域」というのがあります。旧ソ連の心理学者ヴィゴツキーの提唱した理論のことです。子供が課題を解決できる領域は、自分だけで解決できる領域、外部の支援を受けて解決てきる領域、現在の能力では解決できない領域に分けられます。この中で外部の支援を受けて解決てきる領域を、ヴィゴツキーは発達の最近接領域と言い、そこへのアプローチの重要性を指摘しました。これはまさに0の状態(自分だけで解決できる領域)をプラスの状態(外部の支援を受けて解決てきる領域)に引き上げるという教育の立場から得られた知見にほかなりません
    この理論に従えば、子供の能力を伸ばすためには、その子の発達の最近接領域を見定め、適した課題を課すとともに、必要な支援をしていくことが求められることになります。簡単に言えば、ひとりで解ける課題をどれだけたくさん解かせても、その子の持っている能力を伸ばすことはできませんが、少し助けがあれば解ける課題なら伸ばすことができるということです。この「少し助けがあれば解ける」領域が発達の最近接領域であって、教師の指導には最も重要な領域となります。  
   「学習者の能力を伸ばす教師とは、適切な難易度の目標を設定し、学習者がそれを達成できるように場を整える教師である」と言われています。発達の最近接境域理論は、この言説を裏付ける理論と言えます。ただし、その領域の見定めは容易ではなく、教師の経験や子供理解、そして何よりも深い教材研究が必要なことは言うまでもありません。

 

コロナ禍だからこそ子供の話を聴くことが大切です

 もう大分前になりますが、横浜のとある町に、「聴き舎(や)」という喫茶店があることをラジオで知りました。(現在あるかどうかは不明です。)聞くところによると、この店ではコーヒーや紅茶を飲みながら、仕事や恋愛などの悩みを30分1000円で聴いてくれるそうです。訪れる客は、見ず知らずの店主であっても、話を聴いてもらえることに喜びを感じ、心が癒されるといいます。人と話すこと、人に話を聴いてもらえることが、どれほど精神衛生上大切なことかが分かります。
 翻って、子供たちはどうでしょうか。もっと教師や親に話を聴いてもらいたいと思っているのではないでしょうか。
 幼い子供は、「先生、あのね」「お母さん、あのね」と、教師や親に自分の話を聴いてもらいたいと懸命に話しかけます。しかし、いつしか子供は話をしなくなります。なぜでしょうか。思春期の特徴だからとか、反抗期だからといって一蹴してよいのでしょうか。 
 問題行動が多くいつも斜に構えているような中学生でも、相対で話をすると、意外とよく話すので驚くことがあります。そういった子供でも、やはり教師に話を聴いてもらいたいのです。ですから、話さなくなる原因は、子供の側だけにあるのではありません。教師も親も忙しく、子供の話をよく聴かない、聴かないからいつしか子供は話さなくなる。加えて、人間関係もうまく築けない、子供同士でも話せる相手がいない、だからストレスが溜まる、という連鎖が起こります。教師が子供の話をよく聴くことによって、このような連鎖を断ち切り、ストレスから子供を守ることができます。
  特に、もう1年以上もコロナ禍が続いていますから、子供のストレスが心配になります。 

 気になるデータもあります。それは3月に発表された昨年の自殺者数なのですが、児童・生徒の自殺者が過去最多となっていることです。厚生労働省は、「コロナ禍で学校が長期休業したことや、外出自粛により家族で過ごす時間が増えたことで、学業や進路、家族の不和などに悩む子供が増加したことに因る」と、増加はコロナの影響と見ています。感染症への恐怖と再三の外出自粛等の行動制限により、社会全体に閉塞感が続く中で、ストレスを抱えている子供が増えていることが予想されます。
  そういった子供を救うには、教師が子供に話しかけ、子供の話を聴くことが何よりも大切です。コロナ禍で、毎日感染対策に細心の注意を払うなど、教師はこれまで以上に忙しく、子供から離れがちになってしまうのが懸念されます。だからこそ、意識して子供と向き合い、話を聴いて頂きたいと思います。