日誌

田上教育長日誌

教師の当たり前

 本日、真岡市小中学校校長会があり、冒頭で次のようなことをお話ししました。
       
  教師には、教師としてやるべき当たり前のことがあります。
 例えば、パソコンに向かって仕事をしていて、子供が来てもパソコンから目を離さずに対応する教師がいることは、よく指摘されたことです。
 子供が来れば、子供と向き合うのは教師として当たり前のことです。他にも、教師としての当たり前はたくさんあります。
 ・学級担任ならば、朝は子供より先に教室に行き、子供を迎えるのは当たり前です。
 ・挨拶ができないと嘆く前に、子供より先に教師が挨拶をするのは当たり前です。
 ・授業はチャイムと同時に始め、チャイムと同時に終るのも当たり前です。
 ・子供がいるうちは子供を優先し、仕事は子供が帰ってから行うのも教師としては当たり前のことです。
  これらはほんの一部です。各校長先生が考える教師の当たり前もあると思います。充実の2学期となるよう、是非ともその徹底をお願いします。

正義が支配する学級をつくる

 2学期が始まり、2週間が経ちました。夏休み明けの慌ただしい日々から、少しずつ日常を取り戻す頃かと思います。2学期は全ての教育活動で充実期を迎えますが、その基盤にあるのが学級です。ですが、時としてその学級で、次のようなことが起こっていることがあります。
 例えば、学級委員に適任でないお調子者が選出される、あるいは、良い発言や建設的意見が良い子ぶってるなどの理由で否定されてしまう、さらには、いじめなどのあるまじき行為が起きていても見て見ぬふりをしてしまう、などです。特に、いじめについては重大で、いじめを見た子供が傍観者に化すか、教師に知らせるか、そこが早期発見・早期解決の分かれ目となります。ですから、勇気をもって教師に知らせることができる、正義感のある子供を育てる必要があります。そのためには、「正義が支配する学級」にすることが大切です。
  正義が支配する学級とは、上述のようなことが起きないよう、正しいことや建設的な考えがまかり通る学級のことです。弱い立場の子供が大切にされ、まじめな子供がつぶされない学級のことです。これらはどれも当たり前のことです。しかし、学級では30人前後の子供たちが、毎日何時間も一緒に生活しているのですから、色々なことが起こってしかるべきです。学級担任の適切な指導がなければ、良くないことが起こってもおかしくありません。いじめや学級崩壊等の過去の事例がそれを如実に物語っています。
 怖いのは、集団はある一つの論理に流されやすいということです。したがって、その論理を正義に変えられるかどうかが学級担任の役目となります。そのためには、少なくとも次のようなことを意図的・継続的に行っていくことが大切です。
 ① 一人一人の子供を大切にし、よさを生かす。
 ② よい行為を認め、大いに賞賛する。
 ③ 目標を決め、その実現に向けてみんなで努力する。
 ④ リーダーを選出し、意図的・計画的に育てる。
 ⑤ 教師自身が常に正義を意識し、自身の言動にも気を配る。
  特に、子供は教師をよく見てます。日々の心掛け次第で学級は担任の色に変わります。
 どの学校においても、充実した実り多い2学期となることをご期待申し上げます。

夏休み明けは要注意!

  42日間の夏休みもあと僅かとなりました。夏休み中であっても、学級・学年や部活動等での適切な指導のお陰で、子供の命に関わるような交通事故や水難事故等もなく、無事に夏休みが終了できますことに感謝申し上げます。
   さて、もうすぐ2学期が始まります。授業等の通常の学校生活が開始されることになります。とはいいましても、子供の気持ちは夏休みが始まるときとは打って変わって、何となく重いというのが本音ではないでしょうか。我々大人であっても、長期休業後の出勤となると気持ちは重いものです。ましてや子供は、宿題の提出があったり授業が再開されたりと、子供にとっては負担を感じるものが多々あります。もちろん、それを乗り越えていくことが大切なのですが、中には正論だけでは通らない子供もいます。不登校がまさにそれであって、長期休業後は要注意です。さらにそれだけではありません。
 昨年のこの時期に、内閣府の分析から、子供の自殺が最も多いのは夏休み明けの9月1日であることが明らかになりました。そして、これが報じられた1週間後の朝、群馬県沼田市の中学生が電車に飛び込み自殺しています。その日はこの学校の始業式だったそうです。不幸にも統計上の危機が現実となってしまいました。
   子供にとっての危機は至るところにあります。たとえ「自殺」であっても決して対岸の火事ではありません。思春期の子供は、傷つきやすくガラス細工のような脆い一面を持っています。特に、子供の深層心理は複雑で、大人には理解しがたいところがあります。だからこそ、教師はその兆候を見逃さず適切に対応することが求められるのです。しかし、いじめによる自殺にみるように、子供がSOSを発信し続けているにもかかわらず、それを察知できないことがあるのです。教師の危機意識の甘さを感じざるを得ません。
  明日では手遅れになる場合があります。なんらかのSOSを発信し、助けを待っている子供が目の前にいるかもしれません。学校では、そういった子供をいち早く発見し適切な対応をしなければなりません。夏休み明けこそ、教師の教育的敏感さが最大限に要求されますので、各学校での対応をよろしくお願いします。

子供との「つながり」が生命線

 夏休みも中盤になりました。現在のところ各学校におきましては、これといった大きな事件・事故等もなく、無事に夏休みの中盤を迎えられていることに感謝申し上げます。
 おそらく夏休みであっても、三者面談や家庭訪問を行っている学校がたくさんあると思います。また、定期的に子供たちに電話をかけたり、暑中見舞いを書いたりしている先生もいることと思います。そういった先生方の努力で、夏休みでも子供たちとの「つながり」が維持され、特別な問題等も起きていないのだと思われます。
  以前新聞に、いじめと不登校を乗り越えて、都内で開催される絵の公募展に出展するという、女性の方の記事が掲載されていました。
 その方は、中学生の時にいじめにあって不登校となり、高校への進学を諦めてしまいました。特に、対人恐怖症や摂食障害になった時期もあり、そのときは生きるのが辛くて死ぬことも考えたそうです。しかし、残る家族のことを思うと死ぬことはできなかった、と当時の心境を述懐しています。自ら命を絶つことを留まらせた最大の要因は、家族との「つながり」だったのです。
 こういった一線を越える行為を抑止するのは、やはり家族と固くつながっていることなのですね。
 この例に限らず、誰かとつながっていることが人の行為に少なからず影響を及ぼします。夏休み中の子供たちであれば、教師の存在は無視できません。学習や生活、更には問題行動等、教師との「つながり」が子供たちの生活を左右します。特に長期休業中は、顔を合わせる機会が少なくなりますので、教師と子供との「つながり」が生命線になります。したがって、先生方におかれましては、大変でも引き続き、子供との「つながり」が保てるよう、よろしくお願いします。

「節目」での指導大丈夫ですか。


 1学期もあと僅かとなりました。学校では通知表もほぼ完成し、終業式を迎えるばかりのことと思います。ところで、学級担任の先生は、通知表を子供たちに渡した後、どのような話をして夏休みに入るのでしょうか。そして、子供たちはどう受け止めるのでしょうか。
  毎年夏休みに入ると、子供の事故が発生し、尊い命が失われています。終業式の日にはどの担任も、夏休みには交通事故や水難事故等に遭わないよう注意し、全員元気で2学期が迎えられるよう話しているはずです。なのに、子供の事故は後を絶ちません。事故の話に限らず、学習指導や生活指導等、「節目」となる終業式での担任の話は極めて重要です。
  かつて2学期制が競って導入されていた時期、子供たちが通知表をもらわずに夏休みに入ってしまう「節目」のなさに、いささかの不安を感じていた教師もいたことをご存じでしょうか。通知表は、1学期の子供の努力の足跡を教師が評価し、心を込めて書いたものです。担任はそれを子供たち一人一人に渡し、夏休み中の学習や生活等の有り様(よう)を話します。そこには、1学期の終了と夏休みを迎え、通知表を挟んだ絶好の「節目」の指導があったのです。それができない危機意識が働いていたのです。
 学期だけではなく、子供たちの生活の中には様々な「節目」があります。週や月の「節目」での指導は、平坦に流れがちな子供たちの生活にメリハリを与え、ほどよい緊張感を持たせることができます。その重要性を認識し、毎回子供たちの状況を見て、適切な指導を心がけている教師とそうでない教師では、学級経営に格段の差が出てきてしまいます。
 夏休み中にも大きな「節目」があります。中学校の運動部の生徒は、夏休みの総合体育大会が終了した時点で部活動に終止符を打ち、進路に向けた勉強に本腰を入れることになります。中学校生活を二分するこの「節目」のときに、部活動顧問からの指導は意欲を喚起し相当の効果があります。中学校の部活動顧問は、技術指導だけではなく、生徒指導はもちろんのこと、学習指導や進路指導等、部員の将来を見据えた指導まで要求されるのです。
  他にも、季節や行事の始めと終わり等々、大切な「節目」での指導があります。それらは大丈夫でしょうか。特に現在、新採や若い担任が増えています。今一度、その重要性を確認していただき、どの教師もしっかりとした「節目」での指導をお願いします。

 

信頼される教師

 6月30日(木)に、真岡市教育会と教頭会の合同研修会があり、先生方に話をする機会をいただきました。教職員の大量退職・大量採用の時代に入っている本地区においては、若い教職員を育てることが重要な課題となっています。そこで、平成22年9月発行の「芳広教委だより」巻頭言で酒井前教育長が書かれた「『信頼される教師』再考」をお借りして、4つの求められる教師像をお話ししました。信頼される教師となるための条件でもありますので、ここでそれらを紹介します。
 
 先ず第一に、授業力のある教師です。つまり、どの子どもにも「分かる授業」ができる教師ということです。子どもは誰でも、能力の差こそあれ、授業が分かり、できるようになりたいと思っています。それに応え分かる授業を行うことが、教師としての役目であり責任でもあります。ですから、教材研究を怠り授業がマンネリ化すれば、教師の信頼が落ちるのは間違いありません。
 子どもの学習意欲を喚起し、子どもが主体的に学習に取り組み、一人一人が「なるほど、分かった」と実感できる授業を常に心がける教師でありたいものです。
 第二に、子どもを理解し認めることができる教師です。子どもは誰でも、多かれ少なかれ教師に認めてもらいたいと思っています。しかし、この欲求が意外に厄介です。子どもによっては自分の気持ちを素直に表現できず、大人から見れば不自然な言動をとることがあります。
 例えば、学級で教師を遠巻きに見ていて無視しているような子どもでも、実は声をかけてもらいたいと思っているのです。 子どもの深層心理は複雑で、時として理解し難いことがあります。しかし、子どもは正直でもあります。「私を見てほしい、よさを認めてほしい」と内なるサインを発していますので、それを見逃さない敏感さが教師には必要です。子どものよさをつぶさに見取り認めてあげられるよう、子ども理解に努めてほしいと思います。
   第三に、教育への情熱がある教師です。子どもに愛情を注ぎ、童心を失わず教育愛に燃えているということです。情熱のある教師は、いくつになっても魅力的で生き生きしています。その姿が子どもを引き付けます。
 昨今、教師の多忙化が問題になっていますが、教育への情熱を持ち続け、子どもと一緒に考え、悩み、共に成長できる教師であってほしいと願っています
  第四に、人間性が豊かな教師です。子どもは教師を一人の人間としても見ています。そのため、教師の人間性が子どもの生涯に影響を及ぼすこともしばしばあります。
 教師の言動はもちろんのこと、見方や考え方、生き方までも、子どもは教師をよく見ています。だからこそ、その見方は厳しいときもあるということを忘れてはいけません。一瞬にして信頼を失うことがありますので、子どもの鋭い見方に耐え得るよう、教師の内なる資源を磨いてほしいと思います。
 

ワンフレーズとストーリー


 6月23日(木)に第3回真岡市小中学校校長会がありました。私は、いくらかでも校長先生方にお役に立てればと思い、毎月教育長室だよりを作成し、校長会の折に配布しております。今回の巻頭言では、私が校長のときに心がけていた次のことを書きましたのでご紹介します。
 
「ワンフレーズ」と「ストーリー」で勝負
 前回、「校長の言葉は学校組織を動かす」ということについて述べましたが、そこで重要になるのが「ワンフレーズ」と「ストーリー」です。
  小泉純一郎元首相は、まさにそのワンフレーズで人を引きつけ、強いリーダーシップを発揮した指導者と言えます。例えば、かつて怪我を抱えながらも気力で優勝した貴乃花関に、「痛みに耐えてよく頑張った。感動した!」と讃えた言葉は有名で、今でも多くの人に知られていると思います。また、国の施策等を表した「構造改革なくして成長なし」や 「郵政民営化が改革の本丸だ」などの簡潔明瞭な言葉は、自身の考えを国民に分かりやすく伝え、見事に国民の心を掴みました。
 このように、自分の考えや主張を凝縮しワンフレーズで表すことができると、分かりやすくインパクトもありますので効果的です。校長先生がメッセージを発信する際にも、ワンフレーズでうまく表現できると、確実に伝わり記憶にも残るでしょう。と言いましても、なかなか端的に表現するのは難しく、容易ではありません。ですが、先ずは実践。よく考え、言葉を吟味・精選し、ワンフレーズで表すことを心がけてみてはいかがでしょうか。
  一方で、ワンフレーズだけで全てが伝わるということではありません。そこで、ストーリーが大切になります。
 平井孝志・古田興司著『組織力を高める』では、「ある事柄が、自分との関連性が強く、連想が広がり、そしてそれがストーリー性をもって伝えられたとき、それは心の奥に大きなインパクトを与えることになる」とあります。そして、「組織内でのコミュニケーションにストーリー性をもたせるということは、指示や説明を行う際に、前後の文脈をしっかりと語ることだ」とも言っています。つまり、単なる事実の羅列ではなく、それらが一つのスト-リーとして伝えられたとき、人は共感し心を動かすのです。そして同時に、組織も動くのです。ですから、校長先生がリーダーシップを発揮するときには、ストーリーを無視することはできず、根拠を示したり、論理的なつながりを重視したりして、職員に納得が得られるよう、自身の考えや思いを発信してほしいと思います。
   
 

 
 

元気なあいさつ 明るい応答


 去る6月13日(月)の議会一般質問で、大瀧和弘議員から、「元気なあいさつ 明るい応答」について質問がありました。
  この言葉は、私が昨年勤務した山前中学校の卒業記念碑に刻まれた言葉で、あいさつ運動の合い言葉として使わせていただいたものです。昨年5月の学校だよりでは、次のように家庭にも呼びかけましたので、ここでご紹介します。

   皆さんは、本校の正門西脇に「元気なあいさつ 明るい応答」と刻まれた碑があるのをご存じでしょうか。これは遡(さかのぼ)ること今から38年前、昭和52年度の卒業記念碑なのです。当時から本校では、あいさつの励行に力を入れて、学校全体で取り組んでいたことがうかがわれます。
 あいさつは、漢字で「挨拶」と書きます。この「挨」という漢字には「心を開く」という意味があります。また、「拶」という漢字には「迫る」という意味があります。つまり、「挨拶」という漢字は「心を開いて迫っていく」という意味を持っているのです。だから、好ましい人間関係を築く第1歩はあいさつからといえます。見知らぬ人からでもあいさつをされますと、何となく気分が良くなるのはこのためなのでしょう。「元気なあいさつ 明るい応答」の碑
 さて本校では、当時の先輩方が残してくれたこの記念碑の精神を受け継ぎ、誰もが元気なあいさつができるよう、学校全体で取り組んでいます。「元気なあいさつ 明るい応答」を合い言葉に、いつでも、どこでも、誰とでも、元気なあいさつができるよう呼びかけています。そして、更にあいさつ日本一の学校を目指したいと思っています。そのためには、保護者の皆様のご協力が欠かせません。
 そこで確認です。朝起きたとき「おはよう」とお子さんに笑顔であいさつができているでしょうか。また、帰宅したときの「おかえりなさい」はいかがでしょうか。一日のスタートを気持ちよいあいさつで始めたいものです。また、疲れて帰ったときの「おかえりなさい」の一言は何よりも嬉しいものです。お子さんにとっても、保護者の皆様にとっても、あいさつは元気の源となりますので、ご家庭でも「元気なあいさつ 明るい応答」を合い言葉に、あいさつの励行にご協力をお願いします。
                 山前中学校 学校だより「山前中は今」5月号より          

子供にとって楽しい学校にするために

 来週から3年に1度の合同訪問が始まります。かつて、合同訪問の折には、「子供にとって楽しい学校にするために」ということで、次のような話をしました。(合同訪問は、教育事務所や市教委等が学校経営や教育課程等を支援するため、学校を訪問することです)

 いうまでもありませんが、学校は子供のためにあります。ですから、学校は子供にとって楽しくなければなりません。しかし、「楽しい」といっても、単に楽しいという意味の「愉快」や、欲求が満たされたとき楽しい「快楽」という意味ではありません。そこで私は、子供にとって楽しい学校にするためには、特に次のことが重要と考えております。
 まず第一に、「わかる授業」です。学校は勉強するところですから、子供は勉強がわかってはじめて学校の楽しさを感じると思います。そのためには、なんと言ってもわかる授業が不可欠です。しかし、この「わかる」というのは、子供にとってわかるということで、そう簡単ではありません。
 例えば、子供はどのようなときにわかるのでしょうか。教師の説明と実際に体験したときでは、どちらが子供にとってわかりやすいのでしょうか。あるいは、子供にとってわかる教材とは、子供にとってわかる板書とは、子供にとってわかるワークシートとは、などなど、教師は子供にとって「わかる」ということを追究してほしいと思います。
 そのためには、授業研究が大切です。校内授業研究会等により互いに授業を公開し、授業について話し合い、子供にとってわかる授業を追究してほしいと思います。
 次に第二として、「居(い)がいのある学級」づくりです。学校生活の中心は学級です。子供は就寝時間を除くと、家庭で過ごす時間より長く学級で過ごしています。ですから、その学級が居心地が悪ければ楽しくなるわけがありません。したがって、一人一人が認められ大切にされる、子供にとって居がいのある学級づくりに努めていただきたいと思います。
 そして第三として、「子供を生かす教育活動」です。一人一人の子供にはよさがあります。そのよさを認め、引き出し、伸ばすことが教育であり学校の役目です。学校のあらゆる教育活動はそのためのものです。つまり、各教育活動は、子供のよさが発揮され向上することを目的に実施され、教師はそのために適切な指導・支援をしなければならないのです。それが子供を生かす教育活動であり、積極的に取り組んでいただきたいと思います。

 これは、私の基本となる学校観ですので、今年度の合同訪問の際にもお話ししたいと思っています。

校長の言葉は学校組織を動かす

 5月18日(水)に第2回真岡市小中学校校長会がありました。その折りに、次のことをお話ししました。
 
 
 

 「校長は講話で勝負する」と言われますように、校長先生は、児童生徒や教職員、保護者、地域の方々の前で話す機会がたくさんあります。そのため、自分の思いや考えを分かりやすく簡潔に伝えることが何よりも大切になります。しかしながら、これがそう簡単ではなく、同じことを話しても、話す人によって大分印象が違ってしまいます。
  その違いは何でしょうか。話の構成や話し方の抑揚・強弱、話し手の表情等、いくつかの要因はありますが、とりわけ一つ一つの「言葉」は大きく影響します。
 昔から言葉には霊的な力が宿ると言われており、言霊(ことだま)とも呼ばれています。つまり言葉には力があるのです。特に、リーダーにとっての言葉は極めて重要になります。かつての名だたるリーダーをみれば分かりますように、彼らは人を引きつける言葉をもっていました。また、人を動かし、人を引っ張る言葉をもっていたと思います。もちろん、校長先生は学校のトップリーダーですから、校長先生が発する言葉の意味は大きく、「校長の言葉は学校組織を動かす」と言えます。
 「校長先生の仕事は・・・」と言えば、先ずは「考えること」です。「校長室が広いのは、校長が考える場所だから」と森隆夫氏は言っていますが、校長室に限らず、校長先生はいつでもどこでも学校のことを考えています。学校の最高責任者として、児童生徒のこと、教職員のこと、保護者や地域のこと等々、学校内外のあらゆることを常に考えています。
 そして、その考えを確実に伝え人を動かすことが校長先生の仕事です。そのためには発信力が必要であって、言葉が大きな意味をもちます。話し言葉であっても書き言葉であっても、言葉には、その人の品性や識見の高さ、人間性までもが如実に表れます。特に、教職員に対する校長先生の一つ一つの言葉が、信頼と尊敬を集めると言っても過言ではありません。そして、それによってはじめて学校組織が円滑に機能するのです。
  教職員に何をどのように伝えるか、校長先生の言葉が学校組織を動かします。したがって、校長先生は言葉にこだわり、言葉に一層の磨きをかけてほしいと思います。